18. 話すこと、何が俺らに益することがあるのか

 次の日の日曜はヒカリさんも家にいたが、いつもながら午後まで寝通していた。


 俺は、先ほど家を飛び出したナツキに朝食をつくったり、食器を洗ったり、洗濯物を干したり、掃除をしたりして無事に一連の家事ノルマが完了して満足していた。綺麗になった部屋を見ながら自分の家事スキルを一人自画自賛した後に、リビングで勉強し始めた。今日はまず長文読解だ。


 「おはよう、ユウ君。また勉強?えらいね」


 ヒカリさんは、午後2時にあくびしながら部屋から出てきた。白のモコモコしたパジャマを着ている——去年、俺とナツキがプレゼントしたものだ。


 「おはようございます。そろそろ起きてくるかなと思って、大体メシの準備ができてます。食べますか?」


 「おー、流石ユウ君。いただくね、いつもありがとう。今日は何つくってくれたの?」


 眠たげなヒカリさんを見て、俺は仕事ってそんなに疲れるもんなのかと疑問に思った。


 「大したものじゃないです、野菜炒めただけです」


 「そんなことないよ!ありがとう」


 ヒカリさんはいつも丁寧にお礼を言ってくれる、ナツキも見習って欲しいところだ。


 ヒカリさんがうがいとか髪を整えたりとかしてる間に、食卓も食器を並べて昼食の準備をしておいた。


 テーブルにつきメシの前で祈りを捧げるヒカリさんを見ながら、ふと先ほど読んでいた英語長文を思い出した。


 「そういえば、ヒカリさんってミサとかないんですか?日曜毎朝行くものなんですよね?」

 祈りが終わったのに合わせて、お互い食べ始めたときに俺は聞いてみた。


 「ないよ、私は勝手にしてるだけだから。……興味あるの?」

 モグモグしながら口にそっと手を添えて話すヒカリさん。


 「ちょうど英語の長文で出てきたんで少し気になっただけです。でも、勝手に、とかできるものなんですか?」


 「勝手に、というのは、私が一人でしてるだけ。だから別に宗教に正式に加入しているって訳じゃないんだよね」


 「でも何というかキリスト教ではあるんですよね?何か宗派とかありますか?」


 「うーん、まぁそうだねー。カトリックって訳でもないし……、キリスト教にもたくさん宗派があるからねー……、ちょっと無理に当てはめるなら無教会主義なのかなぁ、教会なしで個々人が個々人で祈るの」


 「そんなのがあるんですか、じゃあ趣味というかそんな感じですか?」


 「うーん、趣味っていうのかなぁ……。例えば、バッターってさ、打席に立ってルーティンをするよね。腕回したり、屈伸したり、打席について深呼吸したり」


 ——ヒカリさんは時々こういう話をしてくれた。書き留めることはできているが、当時の俺はこのときのヒカリさんの言葉を誤解するだけに留まらなかった。何であのとき受け止めることができなかったのだろう。傷つけてばかりだった。


 「はい」


 「あんな感じと思う。その都度、心を整えて受け止める準備する感じ。ある意味ね」


 「なるほど……、でも神がいるとは信じてるんですよね?祈るってことは」


 「何ーユウ君、気になるの?」

 と、箸をクルリとこちらに向けて回す。


 「まぁヒカリさんに聞いてなかったなと思ったのと、英文読むときにそういう知識がないといけないなと思って。背景知識ないと誤読しちゃうんですよね」


 「そうかー、じゃあ答えると……、うん私は信じてるよ。だから、色んな事を受け止める準備のためだけじゃなくて、神様へ感謝もしてる。こうしてご飯があることに、もちろん作って貰ったことにもありがとうってね、いろんなことが積み重なってこうして私の目の前にご飯があるってことに感謝してる」


 「じゃあ、ヒカリさんは祈りは神様とか色んなことへの感謝もあるってことですか?」


 「うーん、そういうことかなぁ。ユウ君は神様は信じる?」


 「いや……いないと思います」


 「じゃあ神様がいると信じる人たちのことはどう思う?」


 「……正直言えば、心が弱かったのかなって」

 こんなこと言っていいのかわからなかったが、おそるおそる言ってみた。


 「まーある意味というか……、ちょこっと合ってるのは合ってるんじゃない」

 ヒカリさんが笑ってそう言ってくれたのを見て良かったと思った。


 「でもちょこっとっていうのは?」


 「うーん、例えばさ、髪を切りにいきます。そこで、美容師さんがはさみを自分の首に刺すかもしれないという不信感があったら、そんな軽々しく美容室に行けないでしょ?」


 「それはそうです」


 「そういうことと思うんだよねー」


 よくわからない。俺の顔がキョトンとしていたのか、ヒカリさんは続けた。


 「なんて言うのかな。髪を切りに行くときに、そんな不信感はないでしょ?」


 「まぁないですね」


 「何かをするってことは、その前に何かを信じてるってことになるの。歩いているなら、その前に道路がいきなり陥没しないと信じている。海で泳ぐなら、その前にいきなり大波が襲ってこないと信じている。伝わりにくいか……、そうだなぁ、お金が明日突然紙くずになってしまうことがないと信じているから決まったお金を得るために働く。とか、そういった色んなことへの不信ってのはあるけど、こうして生きれてるから、生きてることとかこうして在るってことは信じれるし、そもそも信じれていることそのものもちょっとありがたいじゃない?」


 「不信感はわかりますけど……、そこから神様を信じるってのはよくわからないです」

 こういう話になるのも珍しいので率直に聞いてみた。


 「そこは信じるというかとらわれる感じかな」


 「とらわれるってのは?」


 「うーん、例えば、リンゴが落ちる。これは万有引力のせいだって思うでしょ」


 そう言いながら、箸を垂直にもって、その箸を軽く指に滑らせて食器をカンと鳴らしてみせるヒカリさん。


 「あまり思わないです」


 「ひねくれユウ君だなぁ」

 と手を伸ばし俺の頬をツンツンしようとしてきたが避けた。目を細め、意地悪そうな笑顔をしたヒカリさんが続ける。


 「でも何故かって考えたらそう思うでしょ。落ちる原因は万有引力の法則だってなるでしょ?」


 「まぁ、たしかに」


 「そういうことと思う。だから、私が信じないと考えていても、それも物が落ちるみたいに神様が設計したというか、現れの一つだし。ユウ君が今ね、神を信じないって言っても、神様が設計した一部、予期・予測の一部、もしくは、現れの一つと思っちゃうというか。んー、私たちが感じる、死ぬのが怖いとか、苦しいとか、そういう感情も神様からの、世界からの預かり物っていうのかなぁ。信じるとか信じないとかも恩寵なの。伝わる?」


 「なんとなく。……でも、俺それは違うと思いますよ。だって、素朴に神がいたならここまで辛いことなんてなかったと思っちゃいますし」


 そう言った俺を見て、ヒカリさんは何か言いかけた様子だったが、結局何も言わず、少し悲しそうに微笑んだだけで、また食事へと戻った。


 でも俺は、その考えはダメだと思った。神みたいなのがいたとして、こんな苦しみがあるか?そんなのあったらダメだ、あってたまるか。


 俺とナツキの状況が、乗り越えられる神の試練とか言われたりするんだろ?断じて違う。たとえ、俺らが頑張ってそれ相応に報われたとしても、それは俺が立ち向かったからだ、抗ったからだ。


 神を信じたり、祈ったりする前に、人は自分の苦しみの本当の原因をしっかりと把握し、そこから抜け出すために全力で努力すべきだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る