14. 断絶1
*
交代の時間だ。俺らは身支度し始める。俺は念入りに服を整える。
仮眠はとったが休めた気がしない。
身体の節々に痛みが残る。特に太股から足首にかけて神経が焼き付いているような痛みがある。俺だけ休みを多くもらっているのに。
「なぁこの世界って、本当何なんだろうな。現実の世界との関係というか」
「……√2みたいなものだと思う」
「ルート2?」
「……そう。ピラゴラスの定理が見つかったとき……、底辺と高さの2乗の和が斜辺の2乗に等しいという定理を手に入れた人が……、底辺も高さも1であるという例で試すのは想像に難くないことではある……けれど、そのとき彼は何を考えたんだろうって思うの」
「1足す1、つまり2乗して2になる数は何かって疑問にぶち当たるってことか」
「人は訳のわからないものは無視して……見なかったことにして……色んな事を推し進める……√2も、臭い物に蓋しただけ」
「いやそれでも、無理数は無理数だろ?ヒトヨヒトヨニヒトミゴロとか、暗記するじゃん。それは数だろ?」
「そのときは、それは数じゃなかった。……数という概念ではなかった。パスカルが0マイナス4が0であることを理解できない人間がいるって嘆いてたみたいに、数を数として認識できるかどうかというのは……概念があるかどうか。上手く臭い物に蓋できたかどうか」
「結局、俺らはこの世界をそのものとして捉えられているが、別にそれは単なる概念の有無のせいかもしれないし、もっと言えば、概念による隠蔽作業のおかげというか、せいみたいな感じか」
「……概念による隠蔽作業は良い表現。……ただ、人が捉える主体であるというのは違うかもしれない。ある公理系において一群の概念が欠落しているというのに近いのだと思う」
「ほら、グダグダくっちゃべってないで、さっさと支度をしなさい。そんなこと言ったって死ぬときは死ぬ。それだけよ」
「厳しいね。でも、僕もそこは同意するよ。帰って飲む一杯。このために僕は生きてるからね」
マンションから出た俺らは、まずは任務の交代を告げるために仲間の元へ向かう必要があった。
重く鈍い灰色に染まった街並みをみると、暗澹たる気分になる。起きて働いて寝て、起きて働いて寝てを繰り返し、終わりなんかみえない。
だが、気を抜いたら終わってしまうということだけはわかる。だが、終わってはいけない理由なんてない。
リーダーを先頭にした4人——クラン・ベー。暗闇で見え隠れするリーダーの右手の合図を元に、俺ら残り3人が着いていく格好だ。
俺以外の3人は軽々と飛んでいくが、俺だけは何とか遅れないようにと必死だった。
何度もコンクリートで身体を打ち付けそこかしこがジンジンと痛む。だが、声は一言も発さないように、そして足音も殺す。こうも街がグレーがかってしまうと、見たことがある景色だとは到底思えない。
俺らは、まるでネズミのように、そそくさとビルとビルの間の裏道へと進む。リーダーがフェンスを軽々乗り越え、フェンスの向こうで辺りを見渡した後、右手で着いてこいと合図を送ってくるのを確認し、俺ら3人もフェンス向こうのリーダーのもとへ駆けつける。
「……あんたさ、フェンスの飛び越え方も分からないの?身体を横に向けたまま乗り越えなさいよ。無能なら無能でもやれることはやりなさいよ」リーダーが小声で俺にそう言った。
「ここは収めて。たしかに乗り越え方はマズかった。でも、今は……ね?」リーダーを宥める、こちらにはほとんど聞こえるか聞こえないかの声。
リーダーの小さな舌打ちが聞こえた。
途中、リーダーの合図が変わる。その右手人差し指がクイックイッと通りの方を示す。ビルの影にいる後方の俺らも少し前に出て、リーダーの人差し指が指す大通りを覗き込む。
あいつがいる。だが、1体だけか……はぐれの1体。小さめの個体。ビルの2階分もない高さだ。
俺たちはそのまま沈黙を保ちながら再度後方へと引っ込み、その間リーダーがじっと辺りを窺っているので、次の指示を待った。
リーダーが俺の傍まで来て、俺の肩を人差し指でトントンと叩き、
「……一体よ。それも小さめ。無能でも頭を使えばやれるわ」とそのまま俺の肩にその右手を置きながら、耳元でささやいた。
「状況によっては斥候の役割を兼ねるということは忘れないで、次にどういう動きに繋げるかも考えなさい」
行きたくなかった。他の3人と違って、俺1人だけ転び擦りむけた傷が全身にいくつもある。それでも、足手まといにはなりたくなかった。俺は了解の意を示すために、頷きながら、右手で自分の左胸を軽くトンと叩いた。
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