4. 日常の目覚め


 朝、部屋中に響き渡る悲鳴。俺は顔を赤くし、大声で叫ぶ。


 「ヒカリさん、トイレはちゃんと閉めてっていつも言ってるじゃないですか!」


 ごめーんと義母(はは)のか細い声がトイレから聞こえる。その後ろから、


 「……兄ちゃん、わざとでしょ」


 ダイニングテーブルで食パンを食べる手を休め、ジト目でこちらを睨んでくる妹のナツキ。


 「いや、わざとじゃねぇよ」


 「そんなこと言って、前もトイレ覗いてたじゃん」


 「……だから覗きじゃないって。本当に間違えてドア開けちゃっただけだ」


 「前科をどれだけ積み重ねたら自分の罪を認めることやら」と、ナツキはやれやれと、ポニーテールを揺らしながら大げさにジェスチャーを見せる。やれやれはこっちだ。


 「不可抗力だろ。こっちも寝起きでそんな毎日毎日意識してられねぇよ。朝っぱらから変なやりとりさせんな」


 「と容疑者の男は申しておりますが、現在、ナツキ警部をリーダーとする痴漢撲滅課が詳しい捜査を進めております」とアナウンサー調で、俺の発言に重ねて来やがった。


 「だからさ——」と弁明しかけた俺を、ナツキは無視し、食パンの残りを一口に放り込んで、


 「じゃあ、行ってきますー」と、食べ終えた食器をシンクに入れて、リビング横の玄関へとピョンピョン駆けていく。


 「おいナツキ、お前まだ誤解したままだろ」


 「はいはい、もうわかったよー。あたしも犯罪者の妹として生きる覚悟を決めとくよー」靴を履きながらテキトーなことを抜かしてくる。全然わかってねぇ。


 「あたし友達待ってるから、じゃあねー」そこで行ったかと思ったが、ドアから顔だけ出して「兄ちゃんもそろそろガリ勉やめて友達と遊んできな」との置き台詞。


 余計なお世話だと口を開けようとしたときには、もうバタンとドアが閉まっていた。女子中学生は朝から元気だ、でもまぁナツキの元気な姿をみると感慨深いものもある。


 ナツキが飛び出した玄関のすぐ横のトイレからヒカリさんが出てきた。


 「また鍵閉め忘れちゃってた。ごめんね。ユウくん」と言いながら、ふぁーあとあくびをする。


 「いえ、こちらこそすいません。俺も気をつけます。じゃあ、俺も皿洗ったら出ます」ついでに、別に何も見えてないんで!と言おうか迷ったが、逆に自意識過剰になる気がしたのでやめておいた。


 「ありがと」と言いながらまたあくびをしてダイニングチェアに座るヒカリさん。見慣れた寝癖のあるショートカット。そこに、俺とナツキが昨年のクリスマスにプレゼントした星形の髪留めで前髪をとめていて、まだ若々しい丸っこい額とくっきりしてるけど優しげな三日月のような眉が見えている。


 俺は、ヒカリさんにミルクコーヒーを淹れた後、テーブルに置かれた俺とナツキの食器をキッチンで洗い始める。


 「いつも、ありがとね」とヒカリさんはミルクコーヒーを啜る。


 「いえ、こちらこそ。ヒカリさん、お仕事大変でしょうし、俺にはこれくらいしかできないですからね」俺は皿洗いしつつ、ヒカリさんの方に顔だけ向けて言った。


 「でもご飯もつくってくれて本当に助かってるよ、ありがと」俺の目を見ながら、ふふんと眠たげでとろんとした笑顔を見せてくる。


 照れ臭さから「どうも」とだけ返しシンクの方へ目を移す。ちょうど皿洗いを終えたところで「あ、食パンも焼いておきますね」と食パンを入れオーブンだけ回してあげて、俺も身支度をして家を出ようとする。


 「いってらっしゃい。ユウ君に良い友達ができますように」そこで、ヒカリさんは少し間をおいて「今日も神様がユウ君を照らし導いてくれますように」と目を閉じ軽く祈ってきた。


 そうして、玄関にいる俺に、眠り眼のまま手をヒラヒラ振る。


 「その友達の部分は祈らなくても良いですって……。いってきまーす」


 ナツキといいヒカリさんといい困ったもんだ。


 いつもながら、我が家は狭く、朝から騒がしかった。

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