3. 何か一つ信じられることは必要だ

 「ナミキリ、お前さ、もっと上手くできないのかよ」


 ここは国語資料室。モリミヤは煙草をふかしながら呆れ顔で俺にそう言った。


 「……すいません」


 モリミヤは教師だが信頼していた。国語が担当で、俺以外の生徒からも人気がある。三十代の美人教師ってのもあるだろうけど、それよりはモリミヤのすごくフランクな性格が生徒にウケているのだろう。長い髪を後ろで束ねていて、いつもラフな格好で授業している。今日は紺の薄手のブルゾンに、黒のスキニージーンズだった。


 「というか、先生こんなところで煙草吸っていいんですか?しかも紙のタバコなんて」


 「いいんだ、ここは私の城だからな」


 そう言いながら、煙草の灰を窓枠に置いた灰皿へ落とす。よくねぇだろと思った。ただ、窓を開け放した方へと煙を吐いてるのを見るに気遣ってくれてるようではある。


 「この国語資料室がですか?」


 「文芸部室でもある。文芸部顧問だからな」


 「あ、そうなんですか。ていうか、それ職権乱用じゃないですか」


 「職権の正しい利用だ」


 「いや違うと思いますよ」


 「職員である私のストレス軽減のためという名目でセーフだ。学校は雇い主さ、労働者のよりよき職場環境づくりに奉仕する必要がある。ところで、ナミキリ、コーヒーいるか?」咥え煙草でマグカップを両手にもっている。


 「あ、いただきます。ありがとうございます」


 コーヒーメーカーで淹れてくれ、俺に出してくれた。このコーヒーメーカーも私が持ち込んだものだ、と口角を上げるモリミヤ。


 「この職業はブラックだからな。労働環境を自分でよくする権利と必要があるだろう?今度、職員室で昼ご飯食べて見ろ。どんなご飯も不味くなるぞ。想像してみろ、いつも疲労感を滲ませた暗い顔で、次の授業の準備をしながら黙々と弁当食べている教員に囲まれながら食べるご飯を」


 「たしかに、嫌ですね。それ」


 「だろう?教師ってのは基本割り当てられた業務をこなす職業だ。教師同士は、コミュニケーションがほとんどないし、お互いに関心もないんだよ。まぁこれは、教師の個々の性格のせいというより職業柄かな」


 「へぇ、たしかに大変な職業ですね」俺はコーヒーを啜った。


 「だが、この城があるおかげでな、例えば、授業したくないときには、先生は怒ったぞといって、ここに逃げ込めば一コマ休めるんだ」


 「……いやサボりじゃないですか、それ」


 「冗談だよ。ただ、全て映像授業に変えるべきだとは思うね。教師なんて寝ている生徒を起こすことと理解度チェックすることのみを仕事とすればいい」ハハと笑うモリミヤ。


 「そんなことより、ナミキリ、来週の三者面談は親が来ないって書いてたけど、それはお前の母親も同意の上か?それとも話してないのか?オンラインでも不可になっていたからな」


 「……すいません」詳細は話したくなかったのだが、モリミヤはそれを察したようで、


 「あぁ、すまん。お前が母親へ言っていようが言まいが、別に怒るつもりはない。あと、もし、言っていなかったからといって、母親に言って、再度調整しろとお前に言うつもりもない。雑談みたいなものだ、素朴に気になってな」と、ちょっと申し訳なさそうな顔をして俺に言った。


 「……母親には言ってないです」とだけ俺が言うと、モリミヤは真面目な顔をしてこちらを見ながら、黙って俺の話を促している感じだったので、沈黙に耐えきれなくなった俺は言葉を繋げた。


 「多分先生も聞いてると思いますけど……、うちの母親は血が繋がってる訳でもないのに、本当に俺ら兄妹のために仕事頑張ってくれてて、毎日疲れてるし、何か三者面談とかで休みを奪うのが申し訳なくて……。だから、三者面談だけじゃなくて他の学校行事もできるだけ言わないようにしてるんです」


 「……それは大変だな」モリミヤはもう一本の煙草に火を付けて続けた、「たしかまだお若いよな?私なんか想像できない大変さだろう。それがいきなり思春期の兄妹を育ててる訳か」そこで煙を吐き、「なら、私とお前の二者面談になるな」


 「……すいません」


 「別に謝罪なんか要らない、気にするな。家庭のことはナミキリが一番わかっているし、私はわざわざ三者面談を強要したりはしない。ま、三者面談なんて今のご時世、進んでしたいものじゃないしな」軽く肩をすくめる。


 「そんなもんですか?」


 「詳しくは言わないが、大変な親御さんも多いよ」


 「へぇ」まぁモンスターペアレントとか言われた時代もあったみたいだしな。


 「というか、先生は俺が殴られた理由とか、被害届をどうするかとか聞かないんですか?」


 「ん?聞かれたいのか?」


 俺はちょっと勇気を出して切り出したのだが、モリミヤはあっけらかんとそう答えた。


 「いえ、そういう訳じゃないですけど」


 「なら別にいいよ。おそらく大した話でもないだろう。あ、でももし被害届出すようなら、事前に教えといてくれ。管理者責任という奴だ。責任が取りたくないというわけではない。出すなら出すでいい。そのときは一緒に責任をもってやるということさ」


 「いや、あれはついムカついて口走っただけですよ、そんな面倒臭い手続きは踏むつもりはありませんね」


 モリミヤは二本目の煙草をくいっと灰皿に軽く押しつける。


 「そうか、私自身は別にどちらでも構わないんだけどな。むしろ出すのが正当なんじゃないか?」


 と微笑みながら続けた、


 「あっ言うのを忘れていたが、ナミキリは今回何一つ悪くない。気にするな。ただ、社会に出たらどこでもそうだが、おっさん連中ってのは自分が責任を取りたくないというのが唯一の行動原理だ。明日、また私がお偉い先生方に頭を下げとくよ。ナミキリのことは私が責任をもって強く指導し、かなり反省してましたとね。ただ、私の下げる頭に気を遣ってくれるのなら、もう少し上手くやってくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る