傷は喜びの結晶

三鹿ショート

傷は喜びの結晶

 自身が他の人間と異なっていると自覚したのは、幼少の時分である。

 往来で転んでしまい、膝から血液を流しながら一人の少女が泣いていた。

 周囲には私以外の人間が存在していなかったため、声をかけ、少しでも不安を和らげるべきだったのだろうが、私は無言で少女を見つめていた。

 痛みによって歪むその表情や膝から流れ出る赤い液体が、私にとっては不朽の名作のように感じられ、目を離すことができなくなり、いつの間にか呼吸が荒くなっていたのである。

 泣き声を聞いて駆けつけたと思しき少女の両親は、無言の私を訝しげに見つめた。

 私は慌ててその場から逃げたが、何時までも呼吸が落ち着かないのは、逃亡のための駆け足が原因ではないだろう。

 それは、私の目覚めだった。

 大多数の人間が異常だと非難するようなものだろうが、他者にとっての普通が刺激の無い平凡な日常であることを指すのならば、私にとっての普通は、普通の人々が異常だと告げるものなのである。

 幾ら非難されたところで、改善するわけがなかった。


***


 皮肉なことに、異常な感覚を持っているにも関わらず、私は異性が好むような外見を有しているらしい。

 ゆえに、愛の告白をされたことは、一度や二度ではない。

 そのたびに、私は相手を受け入れていたのだが、

「苦しんでいる姿を見せてくれないか」

 そう伝えると、人々は私の前から姿を消していった。

 相手の告白を受け入れ、他の人間たちに私を所有することができたと自慢することができるようになったことを考えると、指の骨を折るくらいのことは許すべきではないだろうか。

 そのようなことを繰り返していたためか、何時しか私に近付いてくるような異性は皆無と化した。

 それでも近付いてくるような人間こそが私の欲望を満たしてくれるに違いないと期待していたものの、それが叶うことはなかった。

 金銭を渡して己の身体を傷つけることを許してくれるような人間が、何処かに存在しないだろうか。

 繁華街を歩き、声をかけてくる異性たちに提案したが、揃って私から離れていってしまった。

 危ない道を進むしか無いのかと諦めようとしたとき、私は彼女と出会った。


***


 彼女は、常に怪我を負っていた。

 頭部や首、手足などには必ず包帯が巻かれ、手首にも傷口を晒さないようにしているのか、白い布を巻いていた。

 時には骨折していることもあり、不注意な人間なのか不幸な人間なのかは不明だが、傷が存在することに抵抗のない彼女ならば、私を受け入れてくれるのではないだろうか。

 私が近付き、声をかけると、彼女は目に見えて嬉しそうな表情を浮かべた。

 最初から本性を明かしては逃げられてしまう可能性が高かったため、私は彼女を労る人間を演じ続けた。

 その甲斐があってか、私は彼女と交際するに至った。

 それでも即座に私の真なる欲望を伝えることなく、平和的な日常を送っていく。

 恋人と化して一年ほどが経過した頃、私はとうとう彼女に告げることにした。

 苦痛に歪む顔が見てみたいために傷つけても構わないかと問うと、彼女は迷うことなく首肯を返した。

「あなたが私の傷に熱い視線を向けていたことには、気が付いていました。だからこそ、驚くこともありません」

 彼女が寝台の上で大の字になったため、私は生唾を飲み込んだ。

 形を確かめるように、彼女の右手の指を一本一本、丁寧に触っていく。

 そして、人差し指を握ると、思い切り曲げた。

 彼女の口から短く声が漏れ、目には涙が滲んでいた。

 激痛の影響か、呼吸が荒くなっているが、それは私も同じだった。

 彼女の腹部に手を当てると、段々と力を込めていく。

 私の手が沈んでいくにつれて、彼女は苦しそうな声を出した。

 やがて、その口から反吐が飛び出した。

 寝台を汚し、室内に異臭が漂うが、私が気にすることはない。

 次に刃物を取り出すと、大量の出血を避けるため、傷つける場所に注意しながら、身体を切っていく。

 広がった傷口に指を挿入し、前後左右に動かしたところで、彼女は激痛のあまり、意識を失ってしまった。

 何の反応も無ければ、私の行為に意味は無い。

 私は彼女に手当をしながら、目覚めるまで待ち続けた。


***


 それから私は、何度も彼女の肉体を傷つけた。

 だが、彼女と身体を重ねたことは一度も無い。

 その行為によって快楽を得ることは出来るだろうが、彼女を傷つけるという行為の方が、私にとって強い快感であることは疑いようが無かったからだ。

 元々彼女には包帯などが多かったためか、私の行為による傷が目立つようなことはなく、邪魔の入らない日々を送っていた。

 実に、幸福である。

 今日はどのように彼女を傷つけようかと考えながら歩いていると、私の身体は、突然宙を舞った。

 地面に叩きつけられたところで、ようやく自動車に撥ねられたのだと気が付いた。

 自動車の運転手は青い顔をしながら私に近付き、周囲の人々も騒ぎ始めている。

 しかし、そのようなことは、どうでもよかった。

 自身に襲いかかるこの激痛に、喜びを見出していたからだ。

 腕から飛び出した骨を掴み、軽く動かすだけで、意識が飛んでしまいそうなほどの痛みを覚えたため、骨から手を放した。

 意識を失っては、何も面白くないからだ。

 飛び出した骨以外にも、傷口に指を挿入することで快楽と同義ともいうべき激痛に襲われ、私は笑いが止まらなくなった。

 周囲の人間たちが化物を見るような目を向けているが、気にすることはない。

 他者を痛めつけることに限らず、己を傷つけることでも喜びを見出すことができるなど、これほど幸福な人生があるのだろうか。

 肉体が元に戻った際には、私を傷つけてくれる人間を捜そうと考えながら、私は目を閉じた。

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