第17話 エントロピーを噛む
お題「物理」「食事」
髭の似合う紳士は新聞を読みながらトーストを齧り、仕事着の女性が乱れた髪を気にしながらサラダをつつき、参考書を閉じた学生が運ばれてきた料理を受け取って、やっぱり違うメニューにしておけばよかったかと顔を微かに歪める。
思い思いに空いている席に掛けた人々は、しかし示し合わせたように同じ食器を使っていた。家族でも何でもない人々が、この場においてはまったく区別のない食器を共有して、少しも疑問を持っていない。レストランの魔力とでも言うべきだろうか。適当な席を選んで掛けると、否応なく自分自身もその一員になる、あるいはなってしまう。
全ての席に平等に配られたメニューは、まるで兄弟喧嘩をしないよう母親が平等に与えたおもちゃのようにラミネートでてかてかしていて、けれど触れた者の個性を残すように、少しずつ違う傷がついている。
「お皿をください」
お粥しか食べないような顔つきの女が、細い声で店員を呼んだ。決められた喋り方で注文を問うアルバイトに、女は同じ言葉を繰り返す。何も載せていない、真っ白な洗い立ての皿だけが欲しいのだと言う。アルバイトは眉を下げながら、しかし小さな、恐らくは本来ソーサーに使うのであろう小皿を一枚運んで来た。女は薄い唇に喜色を浮かべて、その表面を見つめた。
ちょうど食べ終えた自分の皿も、大きさこそ異なるが同じような丸みをもって机の上に収まっている。まだ役目を果たしていない皿と、役目を果たした皿とには、大きな違いがないように見えた。小さな違いは、使いきれずに残ったケチャップの痕跡だ。真っ白を乱すエントロピーの赤は、料理を食んだ労力の痕跡でもある。
「お水はいかがですか?」
お粥しか食べないだろう女は、グラスに水が注がれるのを嫌がった。傾けられた水差しから庇うように、空のグラスに手のひらをかざし、申し訳なさそうに首を振る。
「地球のお水は合わないんです」
女は役目を果たせない皿とグラスを見つめて、再び満足そうな顔になる。水滴一粒の乱れもない、限りなくエントロピーと無縁なそれらこそが、乾きと飢えを満たすのだと言うように。
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