第10話 夜を逃げる
お題「夜通し」「平社員」
昼の公園には適度な黙殺がある。子供たちは砂を掘り返していたと思えば、遊具から遊具へ駆けまわって、その足がこちらへ向きそうになると、父親なり母親なりが駆けて来てその行く手を阻む。稀にその手をすり抜けて、このベンチの目と鼻の先までやって来たとしても、大人がすぐに体を抱え上げ、いるべき場所まで連れ戻す。その動きはついさっきまでぼんやりと頬杖をついて微笑んでいたとは思ないほど、鬼気迫った俊敏である。そして、ちらりともこちらを見ようとしない。彼らはただ、子供の体に集中している。こちらを見ないように、集中しているように振舞っている。スマートフォンだけが、早く気付いて欲しいというようにポケットの中で震え、視線がその画面に落ちるのを待っていた。
傾き始めた陽の色の変化を感じるようになる頃には、もう親の目がなくとも家と学校とを往復できる子供たちが笑い声を上げたり、手元のスマートフォンの画面を見せ合ったりしながら行き来し始める。子供たちは一様に、こちらを見ようとはせず近づこうともしない。彼らの親がそうしてきただろう振る舞いを、しっかり見て学んでいるのだ。
そういうわけで、陽が沈むまでは、好奇だとか哀れみだとか色々な意味を持つたせることができる視線というものから解放され、ただ静かな黙殺の中で時間を過ごすことができる。
宵闇というものはよほど凝視するのが好きらしく、その時間に動きだす人々は、打って変わって街灯の光を反射させたぎろぎろした眼差しでこちらを注視し始める。
「こんな時間にいたら、危ないですよ」
制服姿の男が片手に持った懐中電灯をこちらに向けた。
危ないことなど何もないと、よく知っている。危なくなるのは、適度な黙殺がなくなってしまったせいで、それが昼も夜も保たれていれば、どこに居たって問題ないのだ。
制服はあくまでも、ただそこにいることを許さないという雰囲気なので、根負けして公園の出口へ向かう。おあつらえ向きに通りかかったタクシーに片手を上げて乗り込む。運転手の被る帽子に、さっきの警官を思い出した。
「こんな時間まで、お疲れ様です」
よれたシャツをミラー越しに眺めた運転手が目的地を尋ねたので、うんと遠くと言えばどこに連れて行ってくれるか質問で返した。考え始めた口の端に、一瞬映った迷惑そうな気配を見逃さない。
彼が提案したのは、とある墓地だった。何故そこなのかと尋ねれば、さっきの公園からその墓地まで乗せてくれと言って、途中で消えてしまう幽霊の都市伝説を教えてくれた。
「あの世に繋がっているとしたら、そこがこの世から最も遠い場所でしょう」
「その幽霊は、墓場に行きたかったわけでないと思いますよ」
ははは。意味のない笑いが短く返ってくるが、居場所を失ったものにとっては笑いごとではない。その幽霊だってきっと、懐中電灯に照らされて、どこかへ帰るよう促され、困り果ててタクシーに乗ったに違いない。
結局、高速をつかって海まで行くことにした。タクシーは静かに速度を上げ、夜のアスファルトの上を流されるように走る。いつまでも到着しないことを、走っているうちに夜が明け、また黙殺の中に生活が始まることを静かに祈った。スマートフォンはまだ震えている。
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