第9話 二二〇〇万光年の残業

 お題「ロータリー」「星座」「階段」


 この曲は『蛍の光』ではなく『別れのワルツ』だと、半年前に分かれた彼女が言っていた。客に閉店時間を告げる曲の名前などその時の僕にはどうでもよくて、これからどちらの部屋に行こうかということばかり気にしていたと思う。

 テナントがぎっちり詰まったビルから流れてくるそれを聞きながら、一つ一つ落とされていく照明と、店から吐き出される客の影が見えなくなるのを、駅前のロータリーからぼんやりと眺めていた。件のビルの灯りが看板を浮かび上がらせる屋外のものだけになると、見計らったように周囲の店も一つまた一つと暗くなっていく。コンビニだけが、いつでも受け入れる準備があるように明るい。

 今はもう、家に戻っていないことを心配してくれる人もいない。ひとりぼっち、という言葉が似合いの夜だ。

 しかし、ロータリーの向こうに一人、同じようにベンチに腰かけている人がいるのに気付く。照明が減るごとに鮮やかになっていく星空の下、合羽を着てビニール製らしい傘を持っていた。

 新品らしいピンクの傘が、星を突くようにまっすぐ上を向く。立ち上がった合羽の合間から、細い手足がすんなり伸びて見えた。

「恐れ入ります、あなたが担当者でしょうか」

 合羽は傘で空気を掻き回し始めた。重要な話し合いをするときのような、焦った声をしていた。それはもう、僕がそうでなければ困るという様子で。

「白鳥座のロータリーにいるということは、あなたを担当者と見なします」

 傘を持っていない手が、ロータリーの四方を照らす街灯を順番に指差した。

「網状星雲には、NGC六九四六のはしご経由でお連れ致します」

 歪な十字を描くように配置されている街灯は、確かに不格好な白鳥座の配置と言えなくないな。そんなことを考えている僕の目の前で、空から何かが降りて来た。未だ振り回し続けられている傘の回転に巻き込まれるように、星屑が渦を描きながら落ちてきているのだ。緩やかな螺旋を巻き取る手は止まらない。次第に星屑の密度は増し、螺旋はそのまま階段を形作った。

「さあ、急ぎましょう。網状星雲の絡まりを解かないことには、流れ星が行き来できなくなってしまいます」

 僕はロータリーの反対へと駆け出す。鞄はベンチに置いたままだった。待ち続けていたバスの灯りが近づいているのを階段に足を掛けながら見た。

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