第5話 ご安全に
お題「若葉」「ケーキ」
吹き消す蝋燭が一本増えた日、オーブンを一六〇度に予熱した。そこに投入するため予め測っておいたグラニュー糖と薄力粉、その他必要なものを混ぜていると、カウンター越しに気まずそうな顔が見つめているのに気づく。
何かを言いたそうに薄く開かれた口を無視した。どうせ「ごめん」とか、それに類する言葉しか出て来ないに決まっている。一週間前からうんざりするほど聞かされたものだ。今更、それを聞かされたとして私の手が止まることなどないというのに。
オーブンの灼熱を生地に味わわせる三十五分の間に、クリームを泡立てる。この日のために買っておいた食用色素は、黄色と緑。一週間前に決行を決意した日、重くなった心臓とは裏腹に、冷静な頭でオンラインストアの商品を一つ一つチェックしながら選び抜いた。私がこれを、どういう気持ちで選び取ったか、あなたは考えたことがあるだろうか。
本来はごく少量で十分な色の粉末を、気前よく一振り、固くなり始めたクリームに混ぜ込む。強すぎる黄色と緑のクリームが同量ずつ出来上がっていく。あなたはまだ、クリームを冷やす氷がぶつかり合う音だけ聞いて、真っ白で優しい、ごくありふれた色のものが出来上がってくると思い込んでいるだろう。
オーブンが鳴る。焼き上がったスポンジを冷ましてから、まん丸なそれを切り刻む。そう、まん丸ではいけない。鋭い矢羽根のような形でなければ、私の気持ちは伝わらない。そしてそれは、ちょうど縦で区切って半分ずつ、緑色と黄色に彩られなければならない。そこではたと、クリーム用のパレットナイフなど持っていないことに気付いた。もっとも、そこで計画を頓挫させるつもりなどない。もう少しで完遂なのだから、この際、ゴムベラでもよしとしよう。
「お待たせ」
全然待ってなんかいないよ。笑おうとして、自身が気軽に笑える立場ではないことを思い出したように、神妙な顔つきを作る。白々しい。その右手に掛けられた包帯と三角巾ほどに、白々としている。
「私、怒ってなんかないわ。でも、言いたいことくらいあるの」
事故のせいで、年が一つ増える日にどこにも行けなくなったこと。そんなの、あなたが助かってくれれば十分。
「どうぞ一年、ご安全に」
ぴかぴかの運転手一年生のあなたに。
それと、お誕生日おめでとう。
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