第41話 A海岸の闇の中の話
A海岸のホテルに泊まった「彼」の話です。私はこの話を、ある晩、居酒屋で隣の席に座っていた「彼」から聞きました。
その日彼らは七人のグループで宿泊しました。
温泉で温まり、食事を楽しんだ後、花火をしに行くことになりました。
ただ、一人だけ体調が悪いとのことで、六人で砂浜に出たそうです。
花火は楽しかったそうです。
そのうち、彼は、なんとなくちょっと歩いてみたくなりました。
後ろでは賑やかな仲間たちの声。
それを背にしながら、浜辺をなんとなく歩いていました。
ざざーん、ざざーん。
わいわい。
ざざーん、ざざーん。
わいわいわい。
ざざーん、ざざーん。
ざざーん、ざざーん。
ざざーん、ざざーん。
ざざーん、ざざーん。
はっとしました。彼は後ろを振り向きます。何故だか声が聞こえなくなっていました。仲間たちの声が、突然イヤホンの電源が切れたみたいに。
それで振り向いた視線の先には、闇だけがあった。
闇。
色濃い闇が、その場に鎮座していました。
仲間たちの明るい声も、花火の光も、その向こうにあった国道の街灯も、温泉街も、全て消えていた。
黒。
ただ闇だけが、あった。
おーい。どうした。
そう声を出しました。
おいてくなよお。
どうしたんだよお。
ざざーん、ざざーん。
返事はない。
声は、ただ暗闇に飲まれて消えました。
彼は慌てて来た道を戻ろうとしました。考えていたより遠くまで来てしまったらしい、と自分を納得させながら。
だが、行けども行けども、闇ばかり。
自分の手のひらすらまともに見れない深い闇が立ち込めていて、仲間たちの明かりは欠片も見えません。
ざざーん、ざざーん。
波の音だけが聞こえている。
その波すらも、暗闇に同化して、まともに見えないのに。
ざざーん、ざざーん。
おーい、どこだあ。
ざざーん、ざざーん。
叫んでも叫んでも、何も無い。
暗闇は溶けないし、聞こえるのは波の音ばかり。手元に明かりになるものもない。携帯を宿に置いてきたのは失敗だった。そう悔やんでいると。
きゃあきゃあきゃあ。
声が聞こえました。
後ろからである。
振り返ると、明かりが見えました。
きゃあきゃあきゃあ。
はしゃいでいる声でした。人影が明かりを囲んで何かしています。
あれが、仲間たちだ。
そう彼は思いました。
なんだよお、どっきりかよお。
おどかしやがって。隠れてたなこのやろう。
そう、彼は判断しました。明かりを消して気配を消して、彼が通り過ぎるのをまっていたのだろう、と。
仲間たちは騒いでいる。
きゃあきゃあきゃあ。
ざざーん、ざざーん。
彼は急いでその明かりの下へと歩を進めました。
きゃあきゃあきゃあ。
ざざーん、ざざーん。
きゃあきゃあきゃあきゃあきゃあ。
しばらく進んで、止まりました。
おかしいと、思いました。
人影が多い。
十人以上いる。
明かりを囲んでいます。黒い影が十人以上。砂浜に伸びています。仲間の数は、五人のはずなのに。
人が増えた? 通りすがりの人を巻き込んだのか?
そう考えるのが一番自然だったけれど、すぐに違うとわかりました。
きゃあきゃあきゃあきゃあきゃあきゃあ。
これは擬音ではない。
きゃあきゃあきゃあきゃあきゃあきゃあ。
彼らは、このような音を立てている。
それは日本語ではなかったのでした。仲間たちの言葉ではなかったのでした。
甲高い、弾けるような、軋むような、そんな音。
言葉というより鳴き声に近いそれを撒き散らす十人ほどの人影。彼らは明かりを囲んで、囲んで、そして
何かを、している。
何を?
彼は動きを止めて、よく見て、そして。
黒くないものがあった。
それは明かりに照らされて、肌色と赤色を示していました。
細長い、棒のようなものを、人影たちは持ち上げて、それを折ったり、捻ったり、ちぎったりしていました。
壊れた部分からは赤色の液体が吹き上がり、そうなるたびに彼らは、きゃあきゃあきゃあと声を上げました。
それは人の体でした。
人影の足元には、同様のものが複数、力なく転がっていました。
新たに一つが持ち上げられて、歓声と共に折り曲げられ始めました。
その時、彼は青い腕時計を見ました。
自分のものではありません。
視線の先、謎の饗宴の中に、見覚えのある腕時計を。
あれはいけない。
関わってはならないものだ。
彼は直感して、そして走り出します。後ろへと。来た道を戻るように。
だがその時、ばきりと音が鳴りました。
足元から。
流木を踏んづけたのでした。
きゃあきゃあきゃあきゃあ。
きゃあきゃあ。
きゃあ。
無音。
彼は走りました。
ただひたすらに走りました。
後ろを振り向くことはできませんでした。
だってそうですよね。
闇の中で人肉を弄る十人以上の何かが、追いかけてきているかもしれないんですから。
振り向けるわけがありません。
走って走って、闇の中を走って、自分の足音と波の音だけが聞こえる中を、後ろから追いかけられていないか、あと少しで追いつかれないか、そう怖くて恐くて震えそうになりながら、必死で走って走って、ああ、あれはなんなのか、なぜこんなことになったのか、何かしてしまっただろうか、いや心当たりはない、こんなことになるいわれはないはずだ、心のなかで叫びながら、そうやって走って、走って、ざざーん、ざざーん、ざざーん、ざくざくざくざく、ざざーんざざーんざざーんざざーんざざーん、ざくざくざくざくざくざくざく、ざざーんざざーん……
おーい、と。
声が前から聞こえました。
気が付くとそこは夜の砂浜で、星明かりが見えます。明かりがそこかしこにあります。ホテルにも、国道にも。
目の前から歩いてきたのは、ホテルで休んでいた一人でした。
その休んでいた一人は、忘れ物だぁと言いながら、打ち上げ式の大きな花火の入った袋を持ってきたのでした。
おお、ごめんよお、ありがとう。そう言ったのは、「彼」の後ろで遊んでいる仲間たちです。
振り返るとそこには仲間たちがいて。明かりに照らされながら何かに興じていた人影は綺麗に消えていました。
ああ、戻ってこれた。「彼」はそう思いました。
ふらっと、何か間違ったところに入り込んだ。もしくはそんな気がしただけの、あるいは夢だったのかもしれません。
仲間のうちの一人が、駆け出してきて、運んできた一人から花火を受け取りました。
その姿を、見て「彼」は安堵のため息をつき
その仲間は青い腕時計をしていた。
じんわりと汗が頬を伝いました。
六人で遊んでいた砂浜で、一人だけ、奇妙な何かに踏み込みかけたお話でした。私はこの話を、ある晩、居酒屋で隣の席になった男から聞きました。
人影たちはなんなのか。彼にはどうしてもわからなかったそうですが、ひとつだけ、ヒントがあるとしたら、と彼が言うところによると。
腕時計。
それは人影が壊していた人体にではなく、
はしゃぐ人影の方についていた、と。
仲間たちは今も元気にしているそうですが。
彼はたまにふと、怖くなるそうで。
今度、またA海岸旅行に誘われていてなあ。
そう、物憂げに言っていました。
そして、付け加えるように
「だがねえ、A海岸にまつわる話なら、こんなんじゃあない、もっととんでもねえのがあるんだぜ。俺はそれを後で知った。あの光景の謎を解くために調べていたらたどり着いちまったのさ。俺が出会った闇の連中とは全然違う、もっと深いところにいて、もっと恐ろしい、もっとやべえもんの話だ。そいつはな
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