第40話 A海岸のひとつめの話


 俺の兄が昔体験した話なんだけど。


 兄が高校生の頃、ちょっとやんちゃなグループにいてさ。まあやんちゃなんて言っても別にタバコも酒もやらないし、暴れたりもしない、なんなら授業もほとんどサボらないっていう、それのどこがやんちゃなんだよって、まあ、マイルドやんちゃ、そんな感じの。で、そういう集まりのちょっとしたやんちゃ行為のひとつが夜のドライブだった。もちろん兄も同級生も免許はないんだけど、卒業した先輩の一人がその夏帰省していて、つい最近免許取れたからドライブ行くぞと声をかけて、で、ついてきたのがうちの兄含めて五人、だったのかな。それで、計六人の夜が始まった。


 町から抜けて、山を越えて、向かった先はA海岸。ここは海水浴場もある温泉街で、夏場はかなり賑わうんだけど、そのドライブはそんな夏のピークを終えた、八月も下旬、まあこの手の話の常として時期を濁させてもらうけど、より詳しく語るなら、砂浜の有料駐車場の看板が外されて、何も気にせず止められるようになった頃だった。


 先輩はそこに車を停めた。

 国道から横に曲がってすぐ。

 砂浜を見下ろす、少し高い位置にある駐車場。その、一つしかない出入り口の近く。

 時刻は二十二時。

 六人で砂浜に駆け出した。


 夜の浜辺は、祭りの後そのものだったようで、昼の賑わいのかけらもなく、全て波に流された後。

 青空も白い砂浜も夜の闇に染められて真っ黒。

 国道の電灯が道を挟んだ向こう側、八階建ての廃ホテルを照らし出す雰囲気が抜群。破れた障子までよく見えたという。

 ざざーん、ざざーんと鳴る。波打ち際を見れば、白い泡立ちだけが鮮やかで、それより奧には色濃い闇が立ち込めている。


 ざざーん、ざざーん。

 兄たちはそこでしばらく遊んだ。

 もちろん海には入らなかった。

 ただ一人が花火を持ってきていたから、それを楽しんだという。


 夏の終わりの情景としてはなかなかエモーショナルではなかろうか。


 ただ、六人の中で兄だけは気もそぞろ、というか別のことを気にしていたらしい。

 それは、祖父に言われた、海の機嫌が悪い時はこのような波の音がする、そういう時には近付くな、という教えに該当する波の音が聞こえていたから、とかではない。六人の中に七人目がいることに気付いた、とも違う。


 もっと現実的な話として、警察を気にしていたんだとか。

 まあ確かに六人中五人は高校生で、こんな時間海にいたら補導の対象だ。

 国道をパトカーが走らないか。ひやひやしながら過ごしたらしい。


 ざざーん、ざざーんと波の音。


 そんなこんなで一時間ほど経って、一同流石に飽きてきた。夜の海のエモーショナルな空気感は味わい深く、昼間は喧騒に打ち消されるざぶざぶ言う波の音も夜ならこれ以上なく響いて心地よい。しかしそれでも視界に闇しか映らぬでは気も滅入るか。わりかしあっさり飽きを覚えて、皆一様に車へと向かう。


 先輩の車に乗り込む前に砂を落としておこうと、靴や服をはたいていた。


 その時だった。



「おい、おまえたち」


 突然、高校生とはまるで違う低い声が聞こえた。

 ぎょっとする六人。

 見れば砂を踏みながら近付いてくる人影がある。

 電灯の明かりが微かに照らしたところを見るに、制服、ああ、お巡りだ。警察である。


「いまいくからそこでまってろ」


 警察の男はそういった。

 背の高い男だった。ザクザクと砂を踏む音が聞こえた。磯の香りを強く感じた。

 兄は、ああどうしようと思ったんだとか。どうやって言い訳しよう、と。そう考えたのだと言う。


 だが、先輩は違った。


「バカ! さっさと乗れ!」


 怒鳴ったんだとか。

 それで五人は慌てて車に乗り込んだ。先輩は直ぐにアクセルを吹かして、逃げ出した。駐車場から国道へと速やかに出て、そのまま海に背を向けて走って行った。



 逃げた。警察から逃げてしまった。そして今まさに逃げているのだ。その事実に兄は怯えた。何度も後ろを振り返り、夜道の無能の闇から赤色のランプが見えやしないかとひやひやしていた。

 それは他の四人も同じだったとか。


 けれど、先輩は違った。


「お前らあんまり後ろ見るな」


 そう言って。


「パトカーなんか見えねえから。あれは追いかけてこねえよ。もう、海からは離れたからな」


 どういうことか。何故、追いかけてこないと言い切れるのだろうか。


 仲間の一人がそれを聞くと、先輩は言った。


「あれは警察じゃねえ」


 信号を右折した。


「警察なら、なんで砂浜の方から来るよ」


 道を直進する。


「駐車場の出入口にパトカー停めて、国道から来るだろ、普通なら。でもあれは、砂浜から、海から来た」


 後方にはもう、海は見えない。間に山がそびえている。気がつけば山を越えて、町の中に入っていた。


「あれは警察じゃねえよ」


 先輩はそう、唱えた。



 ではあれは何なのだ。



 その質問は、誰もしなかった。


 先輩は五人全員をそれぞれの家まで送って、最後に兄をおろした。



 それで終わり。


 あの警察の正体とか知らない。人かもしれないし、海から来た何かかもしれない。しれないだけだ。


 この話はここで終わり。


 でも、別の話なら、そうだね。

 A海岸にまつわる話は他にもある。この話よりずっと怖くて、戦慄する、禍々しくて、畏怖を覚える、聞いたことを後悔するような話がある。兄と先輩たちが会った何かより、もっと、会うべきではなかったものについての話が。


 それは、やっぱりA海岸の夜……


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