第30話 私の話




 書き残しておくことがある。

 私が死ぬ前に、書き残しておくことがある。


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 足家町は田城村の、その村長宅。二階建ての日本家屋。そこに起源はある。


 村長の多代公三郎とその妻、娘と息子が一人ずつ住む家である。

 その息子、次男の公彦という少年九歳小学生がことの発端を見たのが、ある夏の日。


 なおこの話に登場する地名人名は全て仮名であることを申し添えておく。


 さてこの公彦少年がある日下校途中に姉である多代家長女梨花の怪しげな様子を目にしたという。農道を歩く少年の目にした怪異とは、即ち道端にしゃがみ込む姉の姿。果たして姉はしばらくして立ち上がると、何かポケットにしまったように見えた。



 以来姉は己に与えられた子供部屋への公彦の、更には家族の侵入も拒むようになった。部屋には自ら買ってきた鍵をかけ、更に弟には絶対に入るなとキツく告げた。


 見るなの禁の常として、この封印は当たり前のように破られた。弟の募る好奇心は幼少期故の無謀と結びつき、窓からの侵入を試みるに至る。時は七月。熱を部屋に溜めておきたくない姉は、窓を開けたまま外出していた。弟は屋根伝いに姉の部屋へ入り込む。


 中の様子は、かつて何度も出入りできていた頃と大きく変わらない。

 ただ一点、天井付近に神棚ができている。

 壁に取り付けられた板と、その上に乗っている何か。そんなモニュメントを神棚と表現したのは、偶然にしては出来過ぎていた。


 椅子を動かし、その上に乗り、神棚に置かれた御神体を、弟は手にする。それは木箱だった。中学の美術にて彫刻したオルゴール箱。その中のオルゴールを外して、代わりに何かを入れたらしい。何を?


「それが……何かの死骸なんだよ。干乾びた細長い……。ミミズみたいな、でも白いんだよな。蛇の抜け殻とは違うよ。ウロコなかったし。もっと細くて、ずっと長い」


 そして、そんな白い何かの死骸と一緒に、一枚の写真があったという。


 それは集合写真で、姉のクラスの全員が修学旅行に行った時のものだった。


 公彦はなんとなく恐ろしさを覚えて、箱の中に戻し、その箱も神棚にあげて、慌てて部屋を出たという。



 公彦少年の心に留めておくにしてはあまりに不気味な体験であり、会話の中でつい漏らしてしまうことに不思議はない。

 だがそれは学校のこと。

 あっという間に広まるだけでなく、ことが村の村長の家のことであり、更に問題だったのは、姉のクラスメイトで弟と同じ小学校に通う妹のいる生徒がいたことだ。


 噂が人を伝い、中学校に届く頃には、多代梨花はクラスメイト全員を呪い殺そうとしていた───という言説が、さも確定した事実のように語られていた。


 折も折、この地区で発狂者が出る。

 それは中学校の生徒であり、兄弟で散歩していたところ突然兄のほうが倒れ、意識が戻った時には別人のようにおかしな言動ばかり取るようになっていたというものだった。関節が本来許さない方向にまで、腕や足を曲げようとするのをやめられないのだとか。自分から関節を壊しに行くので、これはいけないと、市内ではなく県外の大きな病院にまで運ばれたらしい。


 さてこの発狂した生徒というのが、姉多代梨花にかつて告白し、断られた後も一月ほど付き纏っていた人物であったので、呪詛の話は信憑性を増す。否。端から妄言、根も葉もない流言飛語以外の何物でもないが、醜聞に勝る娯楽などなく。


 結果として多代梨花は不気味がられることとなる。魔女と扱われることとなる。


 ことここにきて、多代梨花も事態を察し、その源となるものが何か───己の秘密を暴いたものが誰なのか、直ぐに思い至る。



 翌日、市内の病院に搬送された公彦少年の右腕は折れ曲がっていた。


 姉との喧嘩があったとのことである。両親はとにかく弟の腕の心配が第一であり、救急車に二人で乗り込み病院までついていった。



 その頃、姉は家に一人でいた。




 弟の処置が終わり、三人で家に帰ってきた時、公彦少年がまず感じたのは異臭であった。

 奇妙な臭い。腐った香りと、刺激臭。


 家の中は暗かった。出る時に電気を消していたのだから当然だろう。

 そう思った。しかし落ち着いてよく見渡せば、暗さの源が何であるか、よくわかったはずだ。


 カーテンというカーテンが全て閉じられ、ガムテープで窓枠に貼り付けられているのだ。まるで外界からの明かりを決して入れないためであるように。


 密閉された家の中、それも真夏日、でありながら、妙な寒さを感じたという。母親が梨花を呼ぶ大きな声を遮るように、父のくしゃみが響いた。


 梨花からの返事はない。


 三人は流石に異様なものを感じ、家の中を、梨花の部屋目指して進んでいく。

 床がひんやりと足に吸い付くようであった。

 呼吸の音すら大きく聞こえる静寂。


 公彦の足が何かに触れた。

 それはぬいぐるみである。熊のぬいぐるみだった。公彦はそれを足で除ける。

 暗がりでなければ、気付いただろう。ぬいぐるみの腹が裂かれて、中から米粒が漏れていたことに。


 階段を上る。

 公彦少年は異様な臭いを左右から感じた。

 それは、両親から漂ってくる臭いである。

 この世の何とも似つかわしく無い臭いが、父と母から漂ってくる。


 そして、姉の部屋の前に立った。


 扉は開いていた。


 その扉の向こう側に姉は立っていた。

 鬼のような形相で、「死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね」と繰り返している。



 公彦は悲鳴を上げ、慌てて近くの両親にすがりつこうとして、その両親が首を吊っていることに気が付く。


 家中の窓が割れる。

 姉の部屋のカーテンが破けて、風が吹き込む。


 射し込んだ光に目がくらみ、気が付くと、目の前で梨花は首を吊っていた。


 三方から漂う、垂れ流しの糞尿の臭が鼻についた。



 三日後、近所の住民が訪れた時、公彦少年は風呂場の空の湯船に隠れて、笑っていたという。

 だが近所の男性が声をかけたら弾丸のように飛び上がって家を駆け出し、以来行方は知れない。



 せめてこれで終われば良かったのだがそうもゆかぬ。



 今度はその日家に立ち入った近所の男性が狂い死んだ。大きな目玉が覗いているとしきりに口にし、最後には顔を布団に押し付けての窒息死である。


 続いて中学校にて食中毒騒ぎが起こる。全員が救急車で搬送され、内、死者は二名。梨花の通っていたクラスであった。彼らは皆、昼食の最中教室の扉が開き、顔の膨らんだ女がぬぼおと突っ立っていた、それを見ていたら気分がどんどん悪くなり、気付けば嘔吐していたと語る。なおこの日、学校への女性の来客は記録されていない。監視カメラの記録にも異常はなかった。


 次に死んだのは担任である。点滴の針を己の目に突き刺して奥へ奥へとねじ込むようにしていたという。明け方死体となり発見される。


 同刻、多代邸向かいの家が焼ける。三人暮らしの家のリビングから出火し、家を全焼させた。焼け跡からは七人の死体が見つかる。四人分が身元不明のまま今に至る。


 顔の肌が剥がされた少年が泣き叫びながら駆け抜けていくのを酒屋の店番をしていた婆が目撃する。慌てて店の外に出たところを車に撥ねられた。婆は一命は取り留めるが、一方の運転手は車から飛び降りたかと思うと地面に顔を擦り付けながら四つん這いで走り出し、目も鼻も口も擦れ落ちて顔の判別がつかなくなる頃、心臓麻痺にて息絶えた。


 これだけの異常が続くので、住民は皆戦慄を覚える。逃げ出そうと試みるもの、寺や神社に参り出すもの、様々であるが、怪異は止むことなく続く。


 目玉が抉られ、代わりにカブトムシの幼虫がごろんと埋め込まれた死体が見つかる。


 火葬場で焼かれた後、頭蓋骨がひとつ増えている。


 農薬を一缶丸ごと飲み干して心中した一家。


 終わることない異常死と事故と発狂と、それらでは片付けられない怪異の頻発。


 とうとう住民が拝み屋を呼ぶ。


 村に立ち入った拝み屋は堂々とした振る舞いで、多代邸へ真っ直ぐ進むと、なるほどと頷いた。


「よからぬ神に手を出した末路である。この家を中心として神の瞋恚が村中に波及している。神体となるものを正しく器に込め、そうして清い神となるよう崇め奉る必要がある。はぁ~~~~~~んひ」


 拝み屋の言葉に違和感を覚えた村人が見ると、そこには下半身だけが残されており、まるで大きな何かに食い千切られたような、潰された切断面から血が噴き出ていた。


「助けてくれぇ」


 村中に響き渡る声が上空から聞こえるも、その日その村は雲一つ無い快晴であり、青空におかしなものは何もない。


 こうなると誰もが終わりを察し、村を捨てるものが続出する。


 今となっては空き家のほうが遥かに多くなってしまった。空き家にはたまに何かが蠢いている。今までの住民と違う、泥棒だろうか、それとも……。


 ゾンビ映画の、死人の街のような静寂が町中にひしめいている。




 私の話をしよう。

 私は多代家の長男である。次男の公彦の兄である。

 緊急の葬儀のために急遽家に戻り、以降続く異常と惨事を目撃してきた。目撃しながら、事の始まりを聞き取り、どうにか事態をまとめようとしてきた。

 だがそれも、ここまでらしい。


 昨日から梨花が見える。

 顔が膨れては縮み膨れては縮みを繰り返す梨花が、今日はずっと家の戸口に立っている。昨日は門の前にいた。明日は中まで入ってくるだろう。

 裏口から出ることはできない。一階の窓という窓には子供が犇めいており、出ることができない。


 この家に閉じ込められている。


 このまま梨花が近付いてきたらどうなるか、想像に難くない。

 確実なのは、私は長くないということだ。


 だからこの書を残す。


 私の家と村と町に起きた全てを語るためにではない。むしろこの家の惨事は知られたくないと思う。どんな形と成り果てようと、私の家族に変わりはない。

 故に全て偽名とした。仮にこの書を見つけられても、簡単には突き止められないように。


 そのうえで、では何を残したいのか。

 悪趣味なノンフィクションホラーノベルではない。


 これは教訓だ。寓意を一つ残したいのだ。


 事の始まりとなる農道で、公彦が梨花を見つけた時。しゃがんでいた梨花が何をしていたのか。


 それを見ていた者が一人いた。村外れの半分廃屋となった家に住んでいた銀座という老人である。


 彼は、梨花が祠を開けているのを見たという。



 祠。


 この村は数ヶ月前、ある取り組みで話題になった。

 不法投棄対策の祠である。

 ゴミの多く捨てられる場所に祠をおいておくことで、信心に訴え、ゴミの投棄を防ぐという手法である。


 梨花が開けていたのは、その一つだった。



 当然、こんな目的の代物に御神体など置いたりしない。中身は空のはずなのだ。

 なのだが、公彦は何かを見たし、恐らくその何かと思われるものを梨花は持ち帰り、神棚に祀った。


 現在、その神棚は梨花の部屋から失われている。

 天井付近の板は残っているが、箱は家中の何処にも見つからなかった。

 誰かが持ち出したのか。それとも。


 少なくとも神棚は公彦の嘘で、そんなもの最初からなかった、というわけではあるまい。銀座老は、祠を開けて何か取り出す梨花を見ている。明らかに異様な振る舞いを見せる梨花の存在もある。天井付近の板もあるのだ。こんなもの昔はなかったと、私の記憶が告げている。


 では、神棚の箱は、何処へ消えたのか。


 そしてその箱の中に入っていた、白く長いものは何なのか。


 何故そんなものが、祠の中に入っていたのか。


 中に何もないはずの、贋物の祠の中に。



 思うに、空いているところには、何かが入り込むのだろう。ましてや祠。神のおわすべき場所だ。形だけならなおさら、中に入りたくなるものもある。


 特に、誰にも祀られることのない、悍ましく、忘れ去られた何者か、などは。

 入りたくなるのも、当然だろう。



 この最後の考えを記すのに時間をかけてしまった。既に日付は変わっている。

 上から笑い声がする。宴会でもやっているみたいだ。

 下の部屋ではずるずると、長いものが這う音が聞こえる。いよいよ家の中にまで現れ始めたらしい。


 梨花は既に部屋の扉の前にいた。トイレに行こうとして開けたら、すぐそこにいて慌てて閉めた。もう何処にも行けそうにない。部屋の中に花瓶があったのでそこで済ませた。


 最後に水ぐらい飲みたかったが。


 妹に連れていかれるのを待つのも、人生最後の一日としては悪くない。


 ここらで筆をおくとしよう。
























 しにたくない
















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 上記はT町☓☓村の家屋にて発見された文書の内容を写したものである。発見場所となった家屋には☓☓ ☓☓☓さんとその家族三名が暮らしていたが、一家の家族構成は父、母、長女、長男であり、息子が二人以上いた記録はない。☓☓☓☓☓さん一家は二〇☓☓年八月に全員が死亡しているが、詳しい事実は今を以て不明である。

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