第2話 地蔵の話
帰り道に地蔵が立っているのだけれど、ある日前を通りかかると何やら様子がおかしい。見れば頭が外れていた。そういえば、と思う。今朝地震があった。なかなか大きな地震だった。その影響だろうか。流石に首のもげたままは可哀想であったので、胴体の上に乗せてやった。
人身事故に遭遇したのは、翌日のことだ。
人身事故、というより、不審者か。
朝、駅のホーム、隣に並んでいた男性が何やらブツブツ言っており、厭だなあと思っていたら、急にこちらを向いた。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
左右異なるサイズに開かれた目。痩けた頰。不揃いの歯は黄ばんでいる。
突然何を言い出したのか呆気に取られている私の視界の隅で、ホームに入ってくる電車が見えた。
「死ねよおおおおお」
目の前で男性はそう言い放って。
懐から包丁のような刃物を取り出した。
そして。
「はぐ」
いきなり苦しみだした。
「ぐぎぎ」
ふらふらと動いたかと思えば、線路に落ちた。倒れ込んだ。
「ひぎ。くび。くび。ぐぎぎ」
そのまま駆け込んできた電車の車輪が、首を切った。
帰り道に地蔵が立っているのだけれど、その日前を通りかかると何やら様子がおかしい。見れば頭が外れていた。そういえば、と思う。昨晩は大きく風が吹いていた。以前地震のせいかもげていたので上に乗せたが、接着させたりはしていないので、風によって落ちたのかもしれない。以前と同じよう、胴体の上に乗せてやった。
翌日。無免許の学生が運転していた車が、パトカーから逃げようとしてアクセルを踏んだ。急加速、しかしそのまま突っ込んだ交差点を曲がりきれず、その車は住宅の塀へ。
卵の殻と乾麺とその他乾いてぼろぼろなものを紙コップに入れて、上からマイクで押し潰し、起きた音を録音して聞いていたことがある。バリバリバリと迫真の破砕音が撮れて、気持ちがよかった。
あの時の音をほんの一秒に凝縮したような破砕音が、辺り一面に撒き散らされた。
私はその時、まさに車が突っ込んでくるその交差点の横断歩道を渡っていたのだった。
車が急カーブを決めて私めがけて走ってきた時、死を覚悟した。
だが、車はハンドルを誤り、ほんの僅かに私をそれて、塀に激突したのだった。
慌てて様子を見に行くとひどい惨状で。
運転席のドアがバキンと音を立てて落ちた。
そして、運転手である学生が、崩れるように外へ倒れた。
私と目があった。
死んでいるとわかった。
その首はねじ曲がっていて、背中側を向いていたからだ。
パトカーのサイレンの音が聞こえる。
死体の目はこちらを見ている。
多分見間違いだと思うのだが。
運転手の首が曲がったのは───塀に激突したときではなく、交差点へ入って曲がろうとした瞬間───私に衝突しかけたあの刹那であったように思える。というか、そう見えた。フロントガラスの向こう側で、私を視認しマズイと顔を青ざめさせた若者の首が、物凄い勢いでぐるりと回転した。そう、見えたのだ。
多分、見間違いだと思うのだが。
帰り道に地蔵が立っているのだけれど、その日前を通りかかると何やら様子がおかしい。見れば頭が外れていた。胴体の上に乗せてやった。
目の前で自殺を見たのは翌日だった。
ただ道を歩いていただけなのだが、ぼーっと進んでいたら突風が起き、一瞬足が止まった。
その直後、どさっと落ちる音。ぐしゃっと潰れる音。
見れば人が地面に倒れていた。
助からないと一目でわかった。
首から上がアスファルトの上で潰れている。
学生らしい制服が、赤く染まっていく。
頭から落ちてきた飛び降り自殺である。
私の頭は変に落ち着いていて、頭から落ちるなんて珍しいなあと思った。普通は足から飛び降りるだろうに。
その後数秒遅れて気づく。
突風に足を止めていなければ、この50キロ以上の重量を持つ物体が、私の体を潰していただろう、と。
帰り道、地蔵の頭が外れていた。
ふと、思う。
最近、あまりに多いのではないか。
死体に遭遇し過ぎだと思う。
地震のあった日。初めてこの地蔵の首を戻した日から。
いや、違う。
死体に出会うのは、いつも決まって、地蔵の頭を戻した翌日だ。
そしてそのどれも、単なる死体ではなく、明確に私を巻き込みそうになっていた事件である。
不審者が錯乱しなければ、私は刺されていたろうし。
無免許運転手があのまま進めば私は轢かれていた。
自殺者もあのまま私が歩いていれば、私の体を押し潰していたろう。
加えて言えば。
車輪に首を切断された不審者。
首がねじ曲がり後ろを向く運転手。
頭の潰れた飛び降り自殺者。
全て、首が、壊れている。
ふと、思う。
地蔵が守ってくれたのだろうか。
古くから、地蔵の恩返しにまつわる伝説は多い。有名なのは傘地蔵か。それを踏まえて考えれば、結論はこうなる。壊れた首を戻したから、地蔵が私を助けてくれた。
そう、純粋に考えるにしては。
自殺者はともかくとして。
不審者を錯乱させ線路に落とし、運転手の首をねじるのは、恩返しというには残酷にすぎる手法である。やり方に悪意があるのではないだろうか。
────地蔵は静かに微笑んでいる。
その微笑みが、何か邪悪を孕んでいるように思えるのは、私の気のせいだろうか。夕焼けの赤光を浴びた地蔵の顔。それを、慈愛に満ちて幼子を救う菩薩のそれとは思えない。
私は、どうすればよいのだろうか。
悩んだ末に、首を乗せた。
携帯に通知が来る。妻からのメッセージだ。
今日は遠方の大学に進学した子供が久しぶりに帰省する。妻の夕飯はたいそう気合いが入っていそうだ。『はやくかえってきて』と短いメッセージに了解のスタンプを返した。
不穏な妄想を追い払い、私は地蔵に背を向ける。
ある夜一家に惨死来たりて
地蔵の首がころんと落ちる
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