第2話 階段の話


「階段を登っていないのに、階段を降りてはいけない」

 それがSの通う小学校にあった七不思議のひとつだった、という。

 階段にまつわる七不思議にしてはどこか独特なもので、S自身も大人になって振り返ってみた時に何かおかしいなと感じたりしたらしい。「踊り場の鏡」とか「増える十三段目」とかではなく、「降りてはいけない」。怪奇な現象というより、禁忌の伝承。降りたらどうなるのかについては一切触れられていないことも、不気味に思えた。


 Sの通っていた頃、確か四年生の頃だったと記憶しているという、その時期、センターから給食が送られてくるようになって、また、食堂ではなく教室で食べるようにルールが変わり、それらの変化に伴って、給食を二階や三階に運ぶためのエレベーターが増設された。ただ、教室から離れていたし、階段を登った方が早く教室につくこともあり、生徒がそれを利用することは滅多になかった。

 けれどある日、クラスメイトのAが足の骨を折った。松葉杖で移動せざるを得ないAにとって階段を登るのは難しく、エレベーターを利用して教室のある三階まで移動していた。

 その日、放課後、クラスでの会話がやけに盛り上がったのをSは覚えている。会話の輪の中心にはAがいて、クラスメイトとケラケラ笑っていた。やがて、下校する流れとなり、Aはクラスメイトに囲まれて廊下に出た。Sもついていった。廊下を抜けて、階段に出る。クラスメイトもSも、Aが階段から降りるつもりであることを察していた。多少時間はかかるだろうが、一緒にいる方が楽しいと思ったのだ。それは、階段に向き合うまで、Aも同じだったと思う。事実、Aはクラスメイトの一人に、松葉杖を預けまでしていたのだから。

 だが、Aは立ち止まった。そして、松葉杖を取り返すと、エレベーターで降りると短く告げて階段に背を向けた。訝しげに見るSたちに、バツの悪そうな顔を浮かべて、彼はエレベーターへと向かった。不思議に思うクラスメイトたちだが、やはり安全に降りた方がいいと思い、話すのを再開して一階へと降りた。一階ではちょうどAがエレベーターから降りてきたところだった。彼は辺りをキョロキョロと見回し、特に階段の方をじっと見て、いや、それはむしろ、睨んでいるようだったと、Sは語る。けれど、合流してしまえばいつものAで、その自然さと、さっきまでの行動に、不自然さを覚えたSは、どうしたんだと聞いた。もしかして、七不思議が怖かったのかと。Aは素直に頷いた。

そして、階段から十分から離れたことを確認して

「見られてた」

 そう、Aは言った。

「誰に?」

「下にいたやつ。笑ってた」


階段の下に人などいなかったと、Sは記憶している。


 Aの骨折はしばらくして治り、松葉杖なしで歩けるようになった彼は、元気に階段を登って教室に来て、駆け下って退校していた。下にいる誰かに笑われていたのは、あの日のその時一度だけだったらしい。


 降りたらAに何が起きていたのか、Sは知らない。笑っていた誰かが、何者だったのかも。


 それともうひとつ、不自然に思うことがある。その学校に地下はなく、階段を上がる前に階段を降りるなんて行動は、エレベーターを使わない限り不可能だった。なのに、


 その七不思議が、エレベーター設置前から存在していたことである。


 風の頼りで、Aは元気にやっていると聞く。

 彼の評判が届く度に、Sはあの階段を思い出す。

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