第5話 東校舎の話
R高校の生活指導課のK先生は、文化祭が近付くにつれて残業時間が膨らみ続けていた。
その夜もいつもと同じく、誰もいない職員室でパソコンに向かっていた。
遅くまで活動していたバスケットボール部と吹奏楽部もニ時間前には全員帰宅し、強豪の剣道も道場から明かりが落ちている。窓の外はひたすらに暗い。
K先生は各クラスから集めた模擬店ポスターをデータ化し、それを並べて冊子にしようとしているのだった。
データで良いって言ってたのに、校長め。
内心毒を吐く。校長の朝令暮改は今に始まったことではないが、やられるとかなり嫌な気分だ。来賓の中にはデータだと見辛い人もいるから、冊子にまとめておいてね。前日に出す指示ではない。
夜中の学校は静かだ。
昼間の喧騒は消え去り、校庭や複数の校舎が町からの音も遮る。キーボードを打つ音、印刷機の動く音がやけに大きく聞こえ、その大きさが逆に学校の静寂を強調している。
印刷を終え、紙を並べてホチキスで綴じる。
模擬店ポスターはどれも明るく賑やかで、特に担任の顔を描いた2D担々麺屋、3Aたこ焼き屋はクオリティが高いと思う。今が深夜の学校でなければ、だが。真夜中で見るこの画像の明るさは、どこか上滑りしているように思える。
綴じた冊子をペラペラと捲る。ページや順番に誤りがないか確認していく。
ダーツ……フォトスポット……お化け屋敷……
……クレープ……焼きそば……ラーメン……
ドーナツ……写真展示……部誌即売会……
一通り、揃っている。
仕事が一つ片付いたことにリラックスし、K先生は伸びをしながら時計を見た。
時刻は23時を示している。
静寂がひときわ強まったように思えた。
深夜の学校。
そんなに恐ろしいものでもない。
ここ半月、毎日のように残業していて、夜中の学校には慣れきっている。
それでもたまに、厭だなあと思うことは起きる。
起きるというか、気付く。
隣の東校舎二階。職員室の窓から漏れた明かりを浴びて、銀色にきらめいている。
1年E組の教室だ。模擬店はフォトスポット。銀紙がキラキラと光りながら揺れている。
揺れている?
ああ窓が開いている。
K先生はそう思った。
二階だ。別に侵入なんてされないだろう。それでも、開いた窓を放置して帰ったことを管理職に知られたら怒られるし、仮にもしも何かあれば責任問題だ。
閉めに行くしかない。
ああ厭だ。面倒だ。
職員室をでた。
廊下は暗い。職員室の明かりは、夜の闇にすぐに飲み込まれてしまう。
非常灯やスイッチの位置を示す明かりがぼんやりと小さく光っている。
職員室のある中央校舎から東側校舎へ向かうには、渡り廊下を通る必要がある。といっても普通の廊下と変わらない。変わらなかったのだが、このスペースを活用しようと考えたある時代の校長が生徒の制作物を並べ始め、それが続いているため、ある種のギャラリーとなっている。
そこに踏み込む。
電気はつけない。面倒だからだ。
雰囲気は抜群だ、と思った。
風船を持って飛ぶ太った小人数十人に囲まれぼんやりと微笑む少年の絵画。タイトルは「友達」。五年前に卒業した生徒の絵。
木材を削って作成された梟の彫刻。ただし瞳はガラスで、何処からでも目が合うように出来ている。三年前の卒業生のもの。
阿修羅像。
薔薇のスケッチ。
アップされた笑顔。
死火山の風景写真。
税作文。高校生短歌。
球体関節人形三体とか、どんな生徒がいたんだよと思う。
ふと、足を止める。
大きな絵がかけてある。
授業の様子が描かれている。
一人の生徒が起立して、問題に答えているようだ。
いや……違うのか?
問題に答えているのではない。
起立した生徒は、口を結んで、俯いている。
他の生徒は皆にやにやと笑いをこらえた表情だ。
教壇に立つ教師は、困ったような苛苛しているような顔で、生徒を見ている。
タイトルは、『最後の一人』。
ははぁ、と納得した。
こういう授業もあるなあと。
最初に全員起立させ、解答したものから座っていくという形式だ。K先生も何度かやってみたことがある。
恐らくこの生徒は答えられずに最後まで残ってしまったのだろう。周りの生徒はそんな彼を笑っている。
笑っている。
そんなに面白いか。面白いだろう。
しかし、こんな場面を描いた生徒がいたとは。
その点が少し気になり。
足がつかれました。
鑑賞している時間ではなかった。まずは窓が開いているかどうかを確かめなければならないのだ。
K先生は廊下を抜けて東校舎に入る。階段を上る。
二階は模擬店の装飾が沢山なされており、昼間は明るく賑やかだろう。
問題の教室に入る。
窓から垂れた銀の紙……いや、銀のテープだろうか、それらがゆらゆらと揺れている。
風は感じない。
……風はないのに、揺れている。
静電気か。
すぐに思い至る。静電気を利用しているのだ。だから、揺れている。撮影したら常にキラキラとしていてよく映えるだろう。お洒落な仕掛けと感心する。
となれば、だ。銀のテープのカーテンの向こう、窓に触れてみる。どれもしっかり締まっていて、鍵もかけられていた。
なんだ。
しょうもない。
脱力する。
まあ、気分転換にはなったか。そう、K先生は自嘲した。
そして、なんとなく視線を下げた。
明かりの灯った職員室が見える。
当然、無人だ。
そろそろ帰るかと思って、K先生は職員室へ戻ろうとした。
一階へ降り、渡り廊下へ。
何も異常はない。
『最後の一人』がある。立っている生徒がこちらを向いている。目があったように思えた。
球体関節人形。
税作文。高校生短歌。
死火山の風景写真。
アップされた笑顔。
薔薇のスケッチ。
阿修羅像。
木材を削って作成された梟の彫刻。ただし瞳はガラスで、何処からでも目が合うように出来ている。三年前の卒業生のもの。
五年前に卒業した生徒の絵。タイトルは「友達」。
風船を持って飛ぶ太った小人が歯を剥き出して笑っている。中央にぼんやりと微笑む少年。
職員室につく。
荷物をバッグに詰め、帰ることとした。
警備会社に連絡して、学校を施錠する。
最後に一度振り返る。
明日───そろそろ今日になる───は、文化祭だ。
あと数時間後には賑やかな校庭になるのだろうと思い、眺めて、
東校舎三階の窓を埋め尽くす歯を剥き出した人々と目が合う。
もうどうでもいいや。どうせあの教室はお化け屋敷だし。K先生は見なかったことにして帰宅した。
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