第6話 空の話


 私にはずっと人に見えないあれが見えた。


 他の人には全く見えないあれ。

 見上げればいつもそこにあるのに、誰も気付かない、知らないあれ。


 あれが見えるお陰で、私は、空に関するどんな情景描写、風景画、アニメーションにも共感を覚えたことがない。例えば、真夏の空、入道雲と果てない青色と輝く太陽に支配された光景も。清少納言が湛えた春のあけぼのも。芥川龍之介が書いた暗澹たる平安京の雨模様も。夏目漱石の翻訳も。新海誠の描く美しい星空も。どれも私の視界と違っていて、だからなんだか上滑りしている。ように思える。

 そしてそれは作品鑑賞のみならず、普通の会話でも同じことが起こる。空が綺麗だねとか、天気が悪いねとか、そういう言葉が、よく分からない。私にとって、確かに、晴れと雨は違うけど、それ以上にあれの存在は強くて、大きくて、だから、よく分からない。


 あれが見えると大声で主張していたのは五歳までだ。小学校に入る頃には、大声で言ってはいけないことを学んだ。中学生になる頃には、頬の痛みと引き替えに、誰にも言わないべきだということを知った。高校生になって調べたり観察したりして、世界の誰にも見えていないことを理解した。その辺りで、諦めた。どうせ私にどうにかできるものではない。あれはあまりに大きいし、未知で、そして私以外の誰も見えず、感じず、知れないから、つまり他の誰にも無価値だった。恐らく、無意味じゃないと思うけど。私だけしか感じ取れない価値に共感なんてしてもらえないのは当然のことだ。


 あれは今も空にある。昼も夜も空にある。

 今は、太陽の後ろに浮かんでいて、空の大半を埋め尽くしている。

 たぶん、太陽系より遥かに大きい、それは輪だ。

 大きな輪が空に、宇宙に浮かんでいる。星空の中に挟まるように。太陽の後ろで笑うように。

 輪は、何もしない。

 ただぼんやりと光っているだけだ。雲も雨も夜も貫通する光線で、私の空を満たしている。


 いや、正確には違う。

 輪は三つある。三重の円を描いている。光っているのは内側の二つで、一番外の輪はまだ全部光っていない。よく見るとほんの微かに、光の線が途切れている箇所がある。

 その途切れているところが、年々小さくなっているように思える。

 あの輪は、まだ未完成なのかもしれない。少しずつ本当の円に近付いて、つまり、完成しようとしているのかもしれない。

 三つ目の輪が完成したらどうなるのか、何もわからない。

 意外と何も起こらないのかもしれない。何もわからない。


 毎朝仕事に行く電車の窓からそれを眺めて、あ、隙間、小さくなってるな、なんて思い、もう少しで輪の完成だ、頑張れと、なんとなく応援している。



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