第9話 山の話

 熊が死んでいたのだという。

 山に入ったおじさんの話だ。

 ただの熊ではない。この辺りの猟友会でマークしてた危険なやつだ。人を恐れない熊で、麓まで降りてきて畑やゴミステーションを荒らしていたこともあるという。

 そんなやつが、死骸になっていた。

 まあ、危険がなくなってよかったじゃないと、心にもないことを言った。

 どうにも納得がいかないとおじさんは溢した。

「あんな死に方は見たことがねぇやな」

 上から大きな石が落ちてきて、ぺしゃんこにされたみたいな死に方だったという。

 金持ちの家とかにありそうな、平べったい動物の皮のカーペットとか、飾り。ああいう感じで。でも所々臓物がはみ出ていたり、血がベットリついていたりした。テラテラと光る毛皮からは嫌な臭いがした。撒き散らされた臓物に、蝿が沢山たかっていた、という。

 大きな石が落ちてきて、とおじさんは言ったが、本当に石に潰されたわけがないとも呟いた。少なくとも見渡す限り、熊を潰せるような石なんてどこにもなかったからだ。

 本当に嫌な臭いだった。とおじさんは言った。そもそも、熊が死んでることを発見したのも、その臭いのせいだったらしい。

 血の臭いとか腐敗臭とも違うという。そこでおじさんは、少し口を歪めた。唇を少し突き出し、頬を僅かにひきつらせる。それは下品なことを言うときの、おじさんの癖だった。

「ありゃ、包茎のちんこを剥いた時みてーな臭いだな」

 そう言って、げひげひ笑った。

 その笑い方はなんだか、不安を無理矢理笑い飛ばそうとしてるみたいな、不自然さが隠せない、そんな笑いだった。


 厭な例えではあるけど、想像はしやすい。それに、おじさんが本当は何を言いたかったのかもなんとなく分かった。

 あの臭いは、どことなく唾液の臭さに近い。


 おじさんの言いたかったことは。

 下品な喩えで誤魔化したことは。

 ひとつしか、思いつかない。


 近々、山には風車が造られる予定だという。工事の前に危険が排除できてよかったと家族はいうが、私は疑問だ。

 あの山には、もっと怖い何かがいるような気がしてならない。

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