第18話 職員室の話

 テスト前なので、職員室に残っていたのだという。


 先生が新人の頃、経験したという話だ。

 他の先生は帰ったが、翌日までにテストを仕上げねばならないため、一人で残っていた。

 部活動停止期間。階下の喧騒も止んだ。生徒も皆帰り、学校はひどく静かだ。扇風機、換気扇の回る音が、やけに大きく響いていた、という。

 作るテストは四種類。うち三つまでは終わり、残りひとつに取りかかっていた。

 開けた窓から、風が吹き込んでいた。

 最後のひとつ。一気に終わらせよう、と。

 気合いを入れてパソコンに向き合っていた。

 問1───問2───

 教科書と板書ノートと問題集と指導書を広げて、WordとExcelを開き、あれを出すこれは出さないこれは難し過ぎるちょっと配点デカイんじゃないか? あれ? あ、これ教え忘れてたカットカットカット。ここはこの問題に変えて、回答用紙もいじらないと……考えることが多い。経験を積めば簡単に作れるのだろうが……。

 疲れた。

 肩が重い。目にも違和感がある。鈍く頭痛が走っていた。

 ふう、と。息を吐いた。

 休みたい気持ちをこらえる。一気に終わらせないと、帰る時間がもっと遅くなる。

 そう思って、突き進む。

 進める。

 そうしてた時だった。

 コンコン、と。

 ノックの音がした。

「先生。今よろしいですか?」

「ごめん、ちょっと待ってて!」

「はい」

 普段ならすぐに立って向き合うのだが、その日は本当に追い込まれていた。ここで集中が切れたら駄目だ。最後の、最後の最後の問題だったのだ。一気に終わらせたかった。

 そして、終わる。どうにか四つ目のテストが完成した。

 終わった……と。

 解放された気分になりながら、生徒に対応しようと、窓の方を見る。

「どうした───」

 違和感。なぜ今、窓の方を向いたのだろう。

 生徒が職員室を訪れるなら、逆方向、廊下側のドアだろうに。

 風が吹き込んでいた。カーテンが、揺れている。

 窓の向こうは真っ暗だった。既に夜中だ。何も写っていない。

 それは、おかしい。

 職員室の窓からは、北側校舎が見えるはずだ。

 なのに、窓の向こうは黒一色。

 職員室の電灯から明かりが出ているはずなのに。

 何も照らされない。何も写されない。

 いや───違う。よく見ると、北側校舎は見える。外壁が見える。だが、欠けていたのだ。最初に目を向けた、一部分だけ。そこだけが真っ黒で、光の一切を反射しない暗黒で、次元でも切り取られたみたいに漆黒で。だから───じゃあ、その黒は、なんだ。


 その黒は。

 人の輪郭をしていた。


 人───だ。そう思った。

 輪郭がそれなだけで、人かどうかは、わからない。真っ黒が過ぎて、顔も格好もわからない。性別も年齢も不明極まる。だが、それは、確かに人の輪郭をしている。

 写真の中に写る人間の、一人だけを切り抜いて、そこを黒く塗ったような。

 それは、人だ。

 そして、黒だ。


 黒は───動かない。


 しばらくして、消えた。


 先生は、慌てて開いていた教材を片付けたという。帰りの準備を急いで終わらせ、職員室を閉めた。窓際によって窓を閉めるのがとても怖かったと言っていた。

 職員室の戸締りを済ませ、廊下に出る。既に真っ暗だ。携帯の光を投げると、壁や床がぼんやりと浮かび上がる。それで安心した。ここは、暗黒じゃない。あの人とは違う。ただ暗いだけだ。

 そうしてほっとして───なんだか馬鹿馬鹿しくなった。

 何が黒い人だ。切りぬきだ。やりようは幾らでもある。黒ずくめの服を着れば良いのだ。

 廊下を抜けて、階段を降りて───

 ふと、思う。


 職員室は、二階にある。


 じゃああれは、どこに立っていたのだろう。




 今にして思えば、と。先生は語っていた。やはり生徒のいたずらなのだと思うと。それをやる意味は分からないが、方法なら思い付くし。動機なんて、やってみたかったで済む話だ。



 あそこまで光を吸収するような黒を、用意できるものなのかは───わからないが。




 この学校で、死人はまだ出ていないという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る