第17話 戸締りの話

 母は霊感が強いと自称している。

 その母が、絶対に気を付けろ口を酸っぱくして言うことがある。

 盛り塩だとか、あそこは悪所で霊がいるから行くなとかではない。これを信じろと像を渡してくるわけでもない。

 戸締り。

 寝る前に、家の扉や窓にある、鍵という鍵を全て閉めること。これを徹底しろと言うのだ。

 しなければ、入ってくるらしい。

 どろぼうが?

 それとも、幽霊?

 どちらでもないと、母は言う。


 ある日の夜。なんとなく暑苦しくて寝付けずにいた真夜中。飲み物でも飲もうと台所に降りたら、母がいた。母は台所の窓を閉めているところだった。

「開いてたの?」

 母は汗を脱ぐって頷いた。

「よく気付いたね」

 と言うと、呼ばれた気がしたのだと言う。

「閉めろ……はやく閉めろ……って」

 それで、台所の窓が開いているのではないかと思ったらしい。

 他のところではなく台所だったのは、居間や寝室と違いクーラーのない部屋で、夕食時には窓を開けていたからだ。だから、閉め忘れるとしたらそこしかないと、慌てて降りて、閉めたのだと言った。

「危なかったわ。後ちょっとで」

 ピンポーンと。玄関チャイムが鳴った。

「帰ったぞ。入れてくれえ」

 父の声だった。

 二階の寝室で寝ているはずの。

 母が人差し指を立てた。静かにというジェスチャー。私は頷いた。

 そして、灯りのついている台所から離れる。足音を立てないよう静かに、仏間の方へ移動する。階段を使って二階へ上がらなかったのは、うちの階段がよく軋むから、だと思った。

 その時、玄関の前の廊下を一瞬だけ通った。暗い廊下の先、玄関の扉についた窓。その向こう側に、人間でも幽霊でもないものが佇んでいて、その影が窓に覗いていた。

 母と二人で仏間に着くまで、入れてくれえという声は続いた。

 そしてしばらくして聞こえなくなると、今度は足音が鳴り出した。

 それはザクザクと音を立てて家の周りを回っていた。そして時折音が消え───恐らく、立ち止まったのだと思う───コトン、という硬い音が聞こえる。窓から聞こえた。ノックをするような音だ。たまにギシギシ言っているのは、無理にでも開けようとしているからだろうか。足音が再開され、また止まり、コトンコトンコトン、ギシギシギシギシ。やがて引っ掻いたり、撫でたりするような音も混ざり始める。

 ドアの向こうにいたあれが、開いている窓を探しているのだ。

 母は目を閉じ、仏壇を拝んでいた。何かぶつぶつ唱えている。

 私は怖くて怖くて、同じように目を閉じて、一刻もはやくあの何かが立ち去ることを祈っていた。


 音は、二時間ほど続いた。

 家を何周もして、ようやく諦め、去っていった。


「今のは何?」

「むかし、東京で拾っちゃったみたいなの」

 母は疲れた顔で「今晩はもう来ないから、安心して寝なさい」


 でも、眠れるわけもない。

 結局その日、眠れたのは、明け方となりカーテンの向こうから青い光が入ってきた頃だった。


 以来、戸締りを欠かしたことはない。

 早めに寝るようにしたので、あれを感じたことも、あれ以来、ない。

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