第18話 戸締りの話
母は霊感が強いと自称している。
その母が、絶対に気を付けろと口を酸っぱくして言うことがある。
盛り塩だとか、あそこは悪所で霊がいるから行くなとかではない。これを信じろと像を渡してくるわけでもない。
戸締り。
寝る前に、家の扉や窓にある、鍵という鍵を全て閉めること。これを徹底しろと言うのだ。
しなければ、入ってくるらしい。
どろぼうが?
それとも、幽霊?
どちらでもないと、母は言う。
ある日の夜。なんとなく暑苦しくて寝付けずにいた真夜中。飲み物でも飲もうと台所に降りたら、母がいた。母は台所の窓を閉めているところだった。
「開いてたの?」
母は汗を脱ぐって頷いた。
「よく気付いたね」
と言うと、呼ばれた気がしたのだと言う。
「閉めろ……はやく閉めろ……って」
それで、台所の窓が開いているのではないかと思ったらしい。
他のところではなく台所だったのは、居間や寝室と違いクーラーのない部屋で、夕食時には窓を開けていたからだ。だから、閉め忘れるとしたらそこしかないと、慌てて降りて、閉めたのだと言った。
「危なかったわ。後ちょっとで」
ピンポーンと。玄関チャイムが鳴った。
「帰ったぞ。入れてくれえ」
父の声だった。
二階の寝室で寝ているはずの。
母が人差し指を立てた。静かにというジェスチャー。私は頷いた。
そして、灯りのついている台所から離れる。足音を立てないよう静かに、仏間の方へ移動する。階段を使って二階へ上がらなかったのは、うちの階段がよく軋むから、だと思った。
その時、玄関の前の廊下を一瞬だけ通った。暗い廊下の先、玄関の扉についた窓。その向こう側に、人間でも幽霊でもないものが佇んでいて、その影が窓に覗いていた。
母と二人で仏間に着くまで、入れてくれえという声は続いた。
そしてしばらくして聞こえなくなると、今度は足音が鳴り出した。
それはザクザクと音を立てて家の周りを回っていた。そして時折音が消え───恐らく、立ち止まったのだと思う───コトン、という硬い音が聞こえる。窓から聞こえた。ノックをするような音だ。たまにギシギシ言っているのは、無理にでも開けようとしているからだろうか。足音が再開され、また止まり、コトンコトンコトン、ギシギシギシギシ。やがて引っ掻いたり、撫でたりするような音も混ざり始める。
ドアの向こうにいたあれが、開いている窓を探しているのだ。
母は目を閉じ、仏壇を拝んでいた。何かぶつぶつ唱えている。
私は怖くて怖くて、同じように目を閉じて、一刻もはやくあの何かが立ち去ることを祈っていた。
音は、二時間ほど続いた。
家を何周もして、ようやく諦め、去っていった。
「今のは何?」
「むかし、東京で拾っちゃったみたいなの」
母は疲れた顔で「今晩はもう来ないから、安心して寝なさい」
でも、眠れるわけもない。
結局その日、眠れたのは、明け方となりカーテンの向こうから青い光が入ってきた頃だった。
以来、戸締りを欠かしたことはない。
早めに寝るようにしたので、あれを感じたことも、あれ以来、ない。
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