第12話 熊の話

 駅前に熊が出たらしい。嘘だろと思ったが、どうやらマジのガチだという。駅前。田舎町のそれとはいえ、居酒屋と外食店が並びショッピングモールも近い、車通りも多い一帯だ。人の数も多い。そんな場所に? 熊が?

 動物園から逃げ出したとかそんな訳ではないらしい。そもそもこの辺りに熊を飼っている動物園も牧場もない。数年前まで大量の犬を飼っていた家はあったが、まあ、その話は良い。ともかく、その熊は、正真正銘、山から降りてきた熊である。

 そいつに襲われた人がいた。

 いや、それが本当に人なのか、わかる人はいなかったのだが。

 先ほど、駅前の発展度合いについて述べたが、それはあくまで駅の近くの話だ。道を真っ直ぐ進むと商店街に着くのだが、そこまで行くともうシャッターが目立つ。過疎、シャッター街とまではいかないが、その瀬戸際には立っている。そんな街の、道の、ど真ん中に。

 夜遅く、立っている男がいたという。その男には、首がなかった。首無し男。彼は何か害を為すわけではなく、深夜、ただじっと、その道に立っていた、らしい。

 さて、熊の話に戻そう。街中に現れた熊は、一人を襲った。明け方、商店街の精肉店の主人がシャッターを上げたとき、店の前で食い散らかされた死体を発見した。そこまでならまだ、ギリギリ常識の範疇だ。驚くのはここから。食い散らかされ、内蔵と肉がぐずぐずに零れ、四肢ももがれ、或いは食われた男の死体には、首から上がなかった。食われたのではなく、最初から生えていなかったのではないか、ということだ。実際、その体の首に、切断面はなかった。欠けた部位を覆うように皮が覆っていたという。

 首無し男が熊に食われた。そう噂された。

 熊の襲撃は二度起きた。今度は街の神社にある池だった。住職が、真夜中に、バシャバシャという音を聞いた。近所の子供か、阿呆な大学生か、犬が遊んでいるのかと思い、追い出すために池にやってきて、悲鳴を上げた。池では、大きな───小屋ぐらい大きな熊が、池の中に入って、何かを咥えていたのである。熊は住職の悲鳴に反応し、逃げるように走り去った。咥えていたのはどうやら池で飼っていた鯉であるようだが。その顔は、人のように見えたとい

 池の鯉には人面魚が混ざっている。小学生の間で語り継がれていた七不思議である。

 やがて、熊の襲撃は頻繁になった。

 踏切前の地蔵が噛み砕かれていた。首吊り自殺が起きたという名家の柳が根元から食い千切られた。市役所の屋上に出没した。

 団地の一室に入り込んだ時は、部屋の中は大きく荒らされ、壁や床が真っ赤に染まるほどの血が飛び散っていたが、肝心の死体はどこにもなかったという。障りがあるというので、住む人が現れない、曰く付きの部屋だった。

 自動車事故の起きた交差点の花瓶とスニーカーが食われたこともあった。


 けれど、人は襲われなかった。

 熊が襲うのは、幽霊だとか怪異だとか、そういうのにまつわるもの。そればかり襲って食べる。そういう熊だった。


 多分、あの熊は、山で怪異の味を覚えたのだと思う。山は怪異の宝庫だ。古い神社は山ほど残っているし、山道には山人、ひだる神、ウスボウシ、鳥影、天狗……怪異が溢れている。

 人の味を覚えた熊が人を襲うように。犬の味を覚えた犬が共食いを好むようになるのと似ているかもしれない。なんて、思い出してみたり。

 つまり、怪異の味を覚えた熊が、飢えて街へ降りてきた。

 そういうことも、あるのだと思う。


 だが、この熊の無法もそろそろ終わりだと、彼らは言った。

 熊に食われた怪異は低級も低級。所詮都市伝説程度の雑魚である。本物は息を潜め、少しずつ手を回し、迎撃の準備を整えている、と。


 誰もが密かにその名を恐れる、カクシ様がやってくる。ダムに棲み放流に乗って川を下る黒々蛇が群れを為した。存在しない本を売る、よみみず堂が開店した。戦時に南方から飛来した、赤死鳥が鳴き出している。田村某に打ち倒された、古き竜が首をもたげる。丘の上の屋敷に住む、吸血一家が動き出す。夜の圧に屈した役場は、失われた祭礼を復活させた。

 示さねばならない。知性なき獣に。文明すらも覆う夜の深さというものを。

 彼らはそう言った。

 私は背を向けた。


 人を恐れさせるものが怪異だが。

 怪異を恐れさせるものが存在しないと何故言える。


 それに、奴には爪と牙がある。獣のそれは恐るべき武器だ。私もまた、爪と牙によって一度……まあ、この話は別にしなくても良いだろう。

 というわけで、私は街を去る。危うい目に会う前に、街を離れるのがいちば


 なぜここに!? 違う! 違う違う! おれは違う人間だ!! な、うひ、やめろ、やめろやめろやめろその牙をみせるな思い出すだろうが! あ、ぎゃ、ごめっ、ポチ、いや、ぎゃああああああああああ…………



 T市のとある家屋にて発見されたラジオテープに記録されていた音声はここまでである。

 同じ家の庭には大型の動物によって掘り返された跡があり、白骨化した犬の死骸が大量に発見されているという。

 なお、T市への熊の出没は20××年×月×日現在も継続しているが、人的被害は発生していない。

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