17-4 魔犬の望み

 インフィニティドッグは山の中にある一本の大樹の前で立ち止まった。


 ハクがその木のうろを覗くと、一匹の白い子犬が横たわっていた。子犬とは言っても、体長は1メートル弱はある。


 子犬の背中には白い炎が燃えていたが、その勢いは弱々しく今にも消えてしまいそうだった。


「この子は?」


「我が子だ」


 インフィニティドッグは厳かに語り始めた。


「始まりは一匹のマッドベアーが我らの縄張りに迷い込んできたことだった。慣れない土地で消耗していたのか、あやつはすぐに息絶えた」


 それから、インフィニティドッグは子犬に寄り添い、自身の炎を分け与えながら話を続ける。


「しかし、好奇心旺盛な我が子は、その肉を食らってしまったのだ。まったく愚かなことよ。少し目を離した隙に、全てを失うところであった」


 魔犬は慈しむように子犬を見つめていた。


「愛しき我が子は、死喰い虫に取りつかれてしまったのだ。すぐに我が子は正気を失った。理性の欠けた暴走の果てにあるのは死のみだ。もっとも、それが死喰い虫の狙いでもあるのだろう」


 背中の白い炎が、怒りにはじける。


「我らには、共有と分離の能力がある。我はすぐに、死喰い虫を我が子から引き剥がし、自身で引き受けた。しかし死喰い虫の執着は強く、その時に我が子は脳に修復不可能な損傷を受けてしまったのだ」


 それから、インフィニティドッグはハクに黒い目を向けた。


「そこからはそなたの知る通りだ。子を救うためには、力を蓄える必要があった。我の願いは、死喰い虫によって暴走という形に捻じ曲げられ、ひたすらに襲い続ける怪物へと我は成れ果てた」


 それからインフィニティドッグは立ち上がり、ハクの前で項垂れるように頭を下げた。


「流浪の癒し手よ。頼む、我が子を救ってくれ。我が力を分け与えても、脳に負った傷は修復できないのだ。我の命は全て使ってくれて構わない」


 ここまでの話を聞いたハクに、断る理由は無かった。


「分かった。君の子は救おう。けど君の命を全ては貰わない。君も生き続けるんだ」


 親子二人で仲良く慎ましく生きていくことが、彼らにとって一番の幸せだとハクは思った。それが、ハッピーエンドだ。


 しかし、魔犬は首を横に大きく振った。


「我の命は全て奪ってくれ。余分な命はそなたにあげよう」


 予想外の言葉に、ハクは動揺する。


「なんで……」

「今は薬の効果で落ち着いているが、我の脳は死喰い虫にすっかり侵食されてしまっているのだ。じきに、我は再び暴走を始めるだろう」

「でも、私の力なら……」


 インフィニティドッグは黒く澄んだ瞳で、穏やかにハクを見つめた。


「死喰い虫の影響は、すでに我の脳の性質そのものを変えてしまっている。確かにそなたの奇跡の力ならば、ひょっとしたら望み通りの回復をすることも有るかもしれない。しかし、その場合それに使う命はどうする?」


 ハクは痛い所を突かれて、黙り込んだ。


「我は多くの者を傷つけた。それに、我はもう十分に生きたのだ。己の最後は受け入れよう。ただ我が子さえ助かれば、それ以上望むことはない」

「でも、あの子は? あなたがいなくなったらきっと悲しむ」


 ハクの言葉に、魔犬は強い目で答える。


「我らを甘く見ないでもらいたい。別れも必然、成長に必要なことだ」


 それ以上何を言っても、魔犬の意志が変わることはないとハクは感じとった。


 悲しみは心の中にある。しかし、相手の思いを尊重せずに強引な事をしても、結末は悲惨になるだけだ。


 ハクは静かに心を決めて、インフィニティドッグに告げた。


「あなたの願い、しかと受け止めました」



 ◇



 ハクは腕の中で目を覚ました小さなインフィニティドッグの子に優しく微笑みかけた。


「おはよう」

「ワン!」


 子犬はハクを見ると、元気に吠えた。

 それから立ち上がると、何かを探すように大樹の周りを駆け回った。


 その様子を見て、ハクは胸を締め付けられる。


「あなたの親はもう……」

「ワン!」


 白い子犬は、悲しい顔をしているハクに向かって元気に吠えると、近づいて優しく頬を舐める。

 てっきり憎悪を向けられると思っていたハクは、子犬の意外な反応に心を揺さぶられる。


「もう、変な物を食べたらダメだよ」


 甘えるように体を寄せてきた子犬を、ハクはしばらく撫でていたが、やがて思い立ったように子犬は立ち上がって離れていく。


「ワン! ワン!」


 小さなインフィニティドッグは体を遠くに向けたまま、振り返るように顔だけハクに向けて吠えた。


「もう、行くの?」

「ワン!」


 最後に気持ちの良い別れの挨拶を吠えると、小さなインフィニティドッグは伸びやかな足取りで山の奥へと駆けて行った。


 エネルギッシュなその姿からは、野生を生き抜く獣としての強さを感じた。


「君の子は、きっと強く生きるよ」


 ハクはそう言って、鼓動を止めたインフィニティドッグの心臓を握りしめた。

 その赤く半透明の心臓は、光にかざすと宝石のように煌めいた。

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