16-3 山の中で

「アルナちゃん! アルナちゃん!!」


 タツアは、魔獣を退治して倒れたアルナに声をかけ続けていた。


 魔獣に噛まれてできた傷からは血が流れ続けていて、どんどん顔色が悪くなっている。


 タオルでとりあえず止血しても、すでに失った血の量が多すぎる。


(どうしたら……、他に何か……)


 鞄を探ったタツアの手に、小瓶が触れた。


「これは……!」


 タツアは赤い液体が入ったその小瓶を取り出すと、じっと見つめた。


(これを使えば、アルナちゃんを助けられる)


 だが、タツアはすぐにレッドポーションを使うことが出来なかった。


(でも、ようやく見つけたレッドポーション。今使ったら、母さんは……)


 タツアはそれから首を大きく横に振った。


(俺は何を考えているんだ! 迷うことないだろ!)


「俺はアルナちゃんを救う!」


 タツアは瓶を開けて、レッドポーションをアルナの口元に運ぼうとした。

 しかし、手が震えて上手く飲ませることができない。


(ごめん、母さん)


 どうにもできない涙が、タツアの頬を伝っていた。



 ◆◆◆



 無数のフレイムドッグ相手に戦いながら、ヴァドが聞いてきた。


「仲間とは連絡がついたか?」

「うん、おかげさまで。ヴァド、ありがとう」


 ハクもフレイムドッグを倒しながら答える。


「山に入らないように伝えたから、きっと大丈夫なはず」


 いろいろあってすっかり失念していたハクだったが、ヴァドに言われてアルナの元に鳥を飛ばしたのだ。


 アルナの声の様子からしてかなり心配していたようだったし、無事だと伝えられて良かった。


(でも、これからも無事とは限らないよね……)


 息を切らしたハクは、目の前のフレイムドッグの消滅を見届けてから額の汗を拭った。


 昨夜は一晩を通してボスと戦っていたし、その後も現れた魔獣との戦いが続いており、ハクの体力は限界を迎えていた。


 前世の体だったら絶対に既に魔獣の餌になっている。今のミリアの体であっても、さすがにフラフラで気を抜いたらすぐにでも倒れてしまいそうだ。


「ボーッとするな!!」


 突如としてハクの視界に現れたフレイムドッグは、ヴァドの剣によって倒される。


「あ、ありがとう、ヴァド」


 ハクは疲れで集中力も判断力も鈍っているのを感じた。肉体は魔力である程度は無理やりに動かせるが、その魔力の扱いすらも雑になっている自覚があった。


(せっかくボスに魔力の扱いを教えてもらったのに……)


 しかし、その修行こそが今の疲労に繋がっているのだから皮肉なものだ。

 

『敵を惑わせ、闇雲やみくも


 ヴァドが取り出した魔術符から黒煙が広がり、周囲のフレイムドッグを包んだ。


 フレイムドッグが足を止めている間に、ヴァドはふらふらのハクに緑色のポーションを渡した。


「飲め」

「これは?」


 ヴァドが渡してきたポーションは人工的に着色されたような緑色で、ハクは飲むのをためらう。


「エナジーポーション、魔液まえきとも呼ばれている。その場しのぎだが、眠気を飛ばしたり、疲労感軽減、集中力を高める効果もある」


 そう言って、ヴァドは自身もエナジーポーションを飲む。


「依存性もあるが、適量なら問題ない」


(つまりはエナジードリンク、カフェインみたいなものか……)


 ハクはその緑色に生理的な不安を感じながらも、魔液を飲み込んだ。


 気になる味に関しては、おいしいとは言えないが、別に飲めないほど不味くは無かった。


(人によってはクセになりそうな味だな)


 そんな感想を抱いた次の瞬間、ハクは心臓がドクンッと強く脈打つのを感じた。


(想像以上に強力だな)


 目はすっかり冴えていた。しかし注意しないと、衝動を止められなさそうな危うさを感じた。


(倒れて魔獣に食われるよりマシか……)


 ハクは、黒煙が晴れて飛び掛かってきたフレイムドッグに杖を触れさせ、命を奪う。


 そして、周囲を鋭く見渡してフレイムドッグの数を把握する。


(やっぱりキリが無いな……)


 ハクはその中にホワイトケルベロスを見つけると、地面を蹴って距離を詰めた。魔力を使ったその動きは、以前のハクとは比べ物にならない。


『インパクト』


 ホワイトケルベロスが放った白い炎を魔法で散らし、死を纏わせた杖でその体を突いた。


(やっぱりフレイムドッグよりは命がある。けど、まだ少し軽い)


 ホワイトケルベロスを倒したハクは、周囲を眺めて尽きる様子の無い魔獣にため息をついた。


 すると別のホワイトケルベロスを倒したヴァドが、呟くように言った。


「魔獣の動きが少し変わっているな」

「え?」


 言われてみれば、前より魔獣の数と密度が少し減っているような気もする。


「別の所に力が割かれているのか……」


 それからヴァドはハクに視線を向けた。


「なに?」

「さっき少し気になったんだが、お前の仲間はお前の忠告に素直に従う連中か?」


 ヴァドの言葉に、ハクは冷や汗が出てくるのを感じた。


「あ、アルナはきっと言うこと聞いてくれると……」


 そうしてハクは、改めてアルナと鳥を介して話した時のことを思い返す。あの時は戦いながらだったから向こうの話も大して聞かず、雑に通信を切ってしまった。


 不安になってきたハクはもう一度鳥を飛ばして、ヴァドに頼み込んだ。


「魔獣の相手、しばらくお願いします」

「ああ、任せろ」


 そうして、ハクは鳥と感覚を共有した。


 ◇



 しばらく飛んでいると、言い争うような声が聞こえてきてハクは木に降り立った。


「マニュア、何かいい魔術は無いのか? このままだと、いつまで経ってもハクの所に辿り着けない」


 グンハはフレイムドッグを斬り伏せながら、急かすように言う。


「魔術だって万能じゃないの。魔力を消費するし、何より数が多すぎるのよ!」


 マニュアはそう言い返して、杖を大きな振り上げた。


『サンダーボルト』


 魔法で周囲のフレイムドッグを一掃したマニュアは、膝に手をついてゼイゼイと息を切らしている。


「いつも魔術師に出来ないことはないって偉そうに言ってるだろ? 魔術師ってのはそんなものか?」


 そう言ってけしかけるグンハの方も、剣を地面に刺して休んでいる。


「あなたこそ、いつも何のために鍛えてるのよ。その馬鹿な筋肉を今こそフル活用する時じゃないの?」


 グンハとマニュアは互いに睨み合うと、もう一度剣と杖を構えた。


「とにかく今は進むしかない」

「ええ、この魔獣の数ならきっと盗賊達も対処に追われているはず。ハク君を助ける隙もきっとあるわ」


 フレイムドッグを蹴散らしながら進む二人を見て、ハクはもう一度飛ぶ。


(あの二人はひとまず大丈夫そうだな)


 このまま進めばいずれ盗賊達と合流するだろう。戦力が強化されるのはハクとしても心強い。


(アルナは、大人しく待ってるよね……)


 グンハとマニュアの二人だけということは、残りの三人は村に置いてきたという事だろう。


 しかし、僅かな不安を払拭する為に、ハクは飛んだ。

 最悪の場合、村を魔獣が襲撃している可能性も捨てきれない。


 ハクが地上にいるフレイムドッグの動きを追っていると、ある場所に向かっている集団が見えた。


(なんだろう?)


 その魔犬の行き先を見ると、煙が立ち昇っている。


(誰かいる?)


 加速したハクの視界に飛び込んで来たのは、魔獣たちに崖に追い詰められたアルナとタツアの姿だった。


(アルナ!!)


 咄嗟に意識を引き戻したハクは叫んだ。


「ヴァド! 仲間が来てる!」


 フレイムドッグを斬り捨てながら振り返ったヴァドに、ハクは一方的に話し続ける。


「二人はすぐ近くまで来てるから、援護をお願い。剣士と魔術師の二人で言い争いしてるからすぐわかると思う。私はもう二人を助けに行くから!」


 そう言ってハクは胸に手を当てて、ハッとする。


(シンゲツがいない!)


 それからハクはヴァドを睨んだ。考えられるとしたらハクが連れ去られ、意識を失っている間に奪われたのだ。


「私のペンダント、返してくれる? 私の使い魔なの」

「ああ、これか?」


 ヴァドはポケットから黄色い宝石を取り出すとハクに投げ返した。


「シンゲツ!」


 現れた大きな黒狼にハクは抱きつく。


「シンゲツのこと、忘れてたわけじゃないからね?」


 それからハクはすぐにシンゲツ背中に乗り込んだ。


「でも今はアルナがピンチなの。できるだけ急いで!」

「おい!」


 ヴァドに引き止められてハクが顔を向けると、ヴァドは一枚の魔術符を渡してきた。


「魔力を込めれば発動する。一時的だが守られるはずだ」


 ハクは頷いて、最後にヴァドに言う。


「ありがとう。ヴァド、二人はお願い!」

「おう」


 それから駆け出したシンゲツの背で、ハクは身を屈めて空気抵抗を減らす。


「シンゲツ、もっと急いで!」


 道中の白い犬たちには一切構わず、ハク達は木々の合間を全力で駆け抜けた。

 

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