16-2 クロトとアルナ
白い魔獣の群れに囲まれたタツアは、諦めと絶望に満ちた表情で項垂れていた。
背後の崖に目をやったタツアの視線からは、一思いに飛び降りることすら考えているように感じた。
(確かに、魔獣に食い荒らされるよりはそっちの方がマシかもしれない)
アルナはもう何も期待できそうに無いタツアの様子に、終わりを悟っていた。
フレイムドッグは唸り声をあげながら、じわじわと近づいてくる。
(こんなことになるなら、大人しく村で待っていればよかった……)
後悔の波がアルナを襲った。
役立たずだとは分かっていた。
それでも、ハクが連れ去られたのに、じっとはしていられなかったのだ。
行けばきっと何かできると期待して、勇気を出した。
(けど、結果的には惨めな無駄死に……)
白い炎に包まれたフレイムドッグの凶悪な赤い瞳は、無慈悲にアルナ達を睨んでいた。
アルナは、最後にハクに思いを馳せる。
(私が死んだら、ハクはどう思うだろう。ハイナドを滅ぼしてまで救った命を奪われて、ハクはどうなっちゃうんだろう……)
どうしようもないくらい申し訳なくて、涙が溢れてきた。
(ごめん、ごめん、ハク)
アルナは止まらない涙を流しながら、心の中で謝った。
(私は無力だ。こんな情けない最後しか訪れない、その程度の人間なんだ……)
『
その時アルナの耳に響いたのは、懐かしいクロトの声だった。
『クロト……』
アルナの頭には、クロトとの思い出がなだれ込んでいた。
◆◆◆
ある時、父親が死んだ。
一人でアルナを一生懸命育ててくれた、きっと優しい父親だったと思う。
まだ幼かったこともあって、その時の記憶は曖昧だ。
しかし確実に言えることは、まだ6歳だったアルナは、一人で社会に放り出されたということだ。
お金も無く、帰る家も失って、途方に暮れた幼いアルナの結末は決まっていた。
野垂れ死ぬだけだ。
(私は無力だ。こんな情けない最後しか訪れない、その程度の人間なんだ……)
空腹はとうに限界を通り越して、
「
不意に聞こえた声に顔を上げると、そこには黒髪の少年が立っていて、アルナを見下ろしていた。
それが、クロトとアルナとの出会いだった。
「あら、がう?」
力尽きそうなアルナの振り絞った声に、クロトは答える。
「そうだ。生きたいなら、黙って受け入れるな。自分で掴み取れ!」
アルナと年齢もそう変わらない幼い子供なのに、クロトの眼光は鋭かった。
「どうやって? 私は一人じゃ何もできない。何もわからない。もう死ぬしか……」
倒れたまま涙をこぼすアルナの前に、クロトはしゃがみ込んで手を差し伸べていた。
「だったら俺が手伝ってやる。一緒に生きよう」
そう言ったクロトの声は優しかった。
アルナの手は引き寄せられるように、クロトの手に伸びていた。
そして、まだ小さなその手を強く握りしめた。
「私はどうしたらいい?」
「そうだな、まずは……」
アルナを起き上がらせたクロトは、隠し持っていた肉まんを差し出す。
「腹ごしらえだ」
泣きながら食べた肉まんは冷めきっていて、土の混じった味がしたが、それでもアルナにとっては美味しかった。
「ありがとう」
そう言ってアルナは、泣きながら笑顔を見せた。
◆
「アルナちゃん!!」
タツアの悲鳴にも近い声がした。
次の瞬間には、左肩に激痛が走る。
アルナの肩に噛み付いたフレイムドッグは、離れるつもりがないらしい。
もう一匹が右脚に噛みつき、血が溢れる。
アルナが視線をやると、タツアはまだ無事だ。しかしすぐ近くまで、フレイムドッグは迫っている。
アルナの涙は、もう渇いていた。
(私がやるしかないんだ……)
アルナは、いつかのクロトとの思い出にもう一度浸った。
◆
「え? 炎魔法を教えてほしい?」
クロトの言葉にアルナは頷いた。
「そう。私も火をつけられた方が、何かと便利でしょう?」
「確かにそうだな」
それから外に出て、クロトは瞳と髪を赤くして見本を見せる。
「体に湧き上がる熱と、煮えたぎる熱い感情を増幅させて、一気に放つ感じかな」
そうして、クロトが手から放った炎は一気に広がり、視界を赤く覆った。
「こんな感じだ」
少し息を切らしながら汗を拭くクロトを見ながら、アルナは控えめに苦笑いした。
「私はそんな威力は必要無いかなー。火種になるくらいで」
「あー、そうだったか。でも、覚えておいて損は無いだろ?」
クロトの純粋な言葉に、アルナは微笑んで返した。
「クロトがいるから大丈夫だよ」
すると、クロトは少し真剣な眼差しに変わる。
「俺がいつまでもいるとは限らないぞ?」
クロトの忠告に、アルナは不満げに口を尖らせて呟いた。
「そんなこと言わないでよ……」
あたりまえの事だ。いつかは別れが来るかもしれない。しかし、それは今じゃない。
アルナは心に広がった寂しい空気を流して、強引に温かい感情の方に目を向ける。
「私は陰ながらクロトを支えるよ」
指先に火を灯して、アルナは得意げに笑って見せた。
すると、クロトは大きなため息をつく。
「アルナは物分かりが良すぎるんだよ。……もう少し欲張りになったらどうだ?」
「私は今でも十分欲張りだよ」
アルナは微笑んだが、その時のクロトの少し困ったような顔が、今となっては印象的に思い出される。
◆
(ああ、もっとあの時、欲張っておけば良かったかな……)
アルナはもうどうにもならない過去を懐かしんだ。
魔獣に噛まれている体の痛みで、心が妙に落ち着いた。
(クロト、私は
そう決意したアルナの瞳と髪は、燃えるような青色に変化していた。
アルナは右手を前に向け、魔法を放つ。
『炎よ、敵を燃やし尽くせ!』
広がった青い炎は、その場にいたフレイムドッグを全て燃やし尽くした。
アルナに噛み付いていた魔獣も、タツアに襲いかかっていた魔獣も、炎が引火して消滅した。
魔獣を燃やし尽くした青い炎が消えた後には、優しく温かい熱が空気に残るだけであった。
瞳と髪が元の黒色に戻ったアルナは、その場に倒れ込んだ。
「アルナちゃん!!」
すぐにタツアが駆けつける。しかし、魔獣に噛まれた箇所からの流血が止まらなかった。
「クロト、私、やったよ……。できたよ……」
アルナは空を見上げ、薄れゆく意識の中で呟いた。
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