第二章
ステアの町
13-1 新たな出会い
◇◇◇
ハクとアルナの二人は最初に立ち寄った村を出て、ステアの町を目指していた。
その道中、ふいにシンゲツが足を止めた。
「シンゲツ、どうしたの?」
シンゲツは街道の横にある森の方をじっと見ている。
「なにかあるみたい。行ってみてもいいかな?」
ハクが聞くと、アルナは即答する。
「もちろん、いいよ」
もっとも、アルナがハクの提案を嫌がることなんて滅多になかったから、形だけのやりとりだ。
シンゲツに乗ったまま森の中へと入っていくと、何やら騒がしい気配があった。
「こっちに来るな!!」
叫び声が聞こえて急いで向かうと、そこには地面に手をついて後ずさる少年の姿があった。怯えたその視線の先には、犬のような白い魔獣の姿があった。
大きさはシンゲツよりも一回り小さい二メートルくらいだが、背中には炎のように揺らめく白い背ビレのようなものがある。そして何より、血走った赤い眼と鋭い爪が、その魔獣の凶暴性を表していた。
追い詰められた少年が力任せに投げた小石も、狂犬には何の効果もない。
今にも少年に襲い掛かろうとしている魔獣を見て、ハクはすぐに杖を取り出した。
(あの時みたいに……)
ハクはイメージを魔力に乗せて、杖へと流し込んだ。
『インパクト!!』
杖から放たれた衝撃は、空中を伝わって狂犬にぶつかり、その体を吹き飛ばした。
(よし、成功した)
しかし、ハクが魔法の成功に喜んでいるのも束の間、魔獣はすぐに立ち上がり、攻撃してきたハクを睨んできた。
「ヴァゥゥ」
ハクを乗せていたシンゲツが唸ると、犬の魔獣は少し怯むような素振りを見せた。
(これなら……)
杖を構えたハクが深紅の瞳で睨み続けると、犬の魔獣はゆっくりと後ずさり、ある程度の所で踵を返して逃げていった。
ハクは大きなため息をつくと、シンゲツを月の石に戻して、襲われていた少年のもとに向かった。
「大丈夫?」
先に行っていたアルナが、少年に声をかけている。
「イタッ!」
ハクが覗くと、少年は右腕に怪我を負っているようだった。傷の形から見るに、あの魔獣に引っかかれたのだろう。
「ハク……」
頼るようなアルナの視線に、ハクは鞄から包帯を取り出して渡した。
「これを使って」
アルナは一瞬動きを止めたが、すぐに理解したように頷いた。
「分かった」
あの程度の傷なら、ハクの血を使うまでもないだろう。ハクの血は一滴だって無駄にはできない。
血を使うのは、必要に迫られた時だけ。これも、悲劇の再来を防ぐためにハクが自身に課したルールだった。
「助けてくれてありがとう。君たちは?」
アルナに包帯を巻かれながら、少年が聞く。
「私は……」
「タツア君!!」
その時、大声で叫びながら駆け寄ってきたのは、大人の女性だった。
腰には剣を携え、軽装に身を包んでいるその姿は、ファンタジーでありがちないわゆる冒険者といった身なりだ。
高身長で茶色の短髪。一見して鍛え上げられた、引き締まった体だと分かる。
「げっ、グンハ……」
タツアと呼ばれた少年は、苦々しい顔をしている。
一方のグンハは、ざっと見回して瞬時に状況を理解すると、アルナとハクに頭を下げた。
「どこのどなたかは存じ上げませんが、タツア君を助けていただきありがとうございました」
「そんな、そこまでされなくても……」
グンハのかっちりとしたお辞儀に、アルナは戸惑いながら手を振った。
「いえ、もしタツア君に何かあったら、私が依頼主に殺されていました」
「アハハ、そうですか……」
グンハの大袈裟な物言いに、アルナは愛想笑いで返す。
「グンハ、そのくらいにしておけよ。彼女たちが困っているだろ」
そう言うタツアに、グンハは拳骨を食らわせた。
「イッター! 何すんだよ!!」
目を見開いて頭を抱えるタツアに、グンハは腕を組んで言う。
「元はと言えば、お前が勝手に一人で動いたのがいけないんだろう。まったく手間をかけさせやがる」
それからグンハは、二人のやりとりを外から眺めているハクとアルナに気がついて言う。
「これはお見苦しい所をお見せしました」
「チッ」
舌打ちをしたタツアをグンハが睨みつけると、タツアは拳骨の痛みを思い出したように体を震わせた。
その時、グンハはタツアの右腕にある包帯に気がついた。アルナが巻いた包帯からは血が染み出していた。
「タツア君、怪我を……」
「大したことないって」
「いえ、見せて下さい。失礼します」
グンハは包帯を解いて、傷を観察する。
「確かに、大した怪我ではないようだが……」
それからグンハはポーションの小瓶を取り出すと、それを包帯に染み込ませてから、もう一度包帯を巻く。
「ポーション飲まないんですか?」
グンハの行動が気になったハクが聞くと、グンハは処置をしながら答える。
「確かにポーションは飲んでも効果があるけど、こういう怪我の時は傷口から直接染み込ませたほうが使う量が少なくて済む。まぁ、ちょっとした知恵ってやつだ」
「へぇー」
ハクが感心していると、グンハはハクに視線を送ってハッとする。
「すみませんっ。タツア君の恩人につい……」
「いいですよ、そんなに畏まらなくて。僕たちはあなたの依頼主ってわけでも無いですし」
ハクが言うと、グンハは申し訳なさそうな顔をした。
「気を使わせてすまない。だが助かる。どうにも、敬語っていうものは慣れなくてな」
怪我の処置を終えたグンハは立ち上がって言う。
「タツア、ルメスさんがお待ちだ。行くぞ」
「おい、俺にも敬語をやめて良いとは言ってないぞ」
「いいだろ。よく考えればお前は依頼主の子供ってだけで依頼主じゃない。それに、一人で勝手に出ていくやつに、畏まるのももう疲れた」
グンハの言葉にタツアは言い返せず、不満げに黙り込んだ。
それから、グンハはハクとアルナの二人にも声をかけた。
「君たちも来てくれないか? 私の依頼主に何があったか説明もしたいしな」
ハクとアルナは視線を合わせて頷き合ってから答える。
「「はい」」
◇
森から出て街道に戻ると、大きめの馬車が停まっていた。
そして、馬車の回りを右往左往している怪しい人物の姿もあった。
中年の男で、落ち着かない様子で歩き回り、時折顔を顰めている。
「ルメスさん!」
グンハに呼ばれた男は、タツアを見つけると一目散に駆け寄ってきた。
しかし、その走りはお世辞にも機敏とは言えず、運動神経が悪そうというのがハクの第一印象であった。
「タツア! いったい何をやっているんだ! 勝手に森に入るなんて死ぬ気か!」
父親の第一声は叱責だった。そのことにタツアは不快感を露わにして、反論する。
「元はと言えば
「仕方がないだろ! ハイナドの街は滅んでいたんだ。帰るしかないだろ!」
親子喧嘩の途中に紛れていた言葉に、ハクは心が
隣からは、アルナの心配するような視線も感じた。
(こんな事でいちいちへこんでいたら、きりが無い)
ハクはゆっくりと息を吐いて、心を落ち着けた。
ハイナド滅亡なんて大事件の話は、これからも行く先々で耳にする機会があるだろう。
その
ハクは二人に事情を聞こうとしたが、タツアの右腕の包帯に気がついたルメスは声の調子を変えた。
「タツア、怪我をしたのか?」
「すみません。私がついていながら」
謝るグンハに、ルメスは首をふる。
「いや、悪いのは勝手に森に入った息子の方だ。それで、怪我は大丈夫なのか?」
「はい、軽傷なので数日もすれば治ると思います」
「そうか……」
ルメスは改めて、心配そうに息子に声をかける。
「タツア、大丈夫か?」
心配症な父親に、タツアは雑に答えた。
「ちょっと魔獣に引っ掻かれただけだから大丈夫だよ。それに、そこにいる二人が助けてくれたしな」
話にまったく入れずにいたハクとアルナに、ようやく出番が回ってきた。
ルメスは二人の子供を見て、少し意外そうな顔をした。
「そうか、君たちが……」
二人の子供が頼りなさそうに見えるのは仕方がない。
しかし、ルメスは丁寧に挨拶をした。
「どうも息子を助けてくれてありがとう。私は
商人と聞いて納得した。今のルメスは先程とは打って変わって、愛想の良い穏やかな笑顔を浮かべていた。人が良さそうなのが、表情だけで伝わってくる。
それだけで、ハクにはルメスが商売上手に思えた。
「改めて、雇われでルメスさんの用心棒をやっているグンハだ」
自己紹介の流れに便乗して、グンハも言う。これまでの事で、ハクはグンハさんの有能さを感じ取っていた。とても頼りになりそうな人だ。
「俺はタツア。親父について回ってる。一応、商人見習いってことになるのかな。よろしく」
タツアはハクやアルナと同年代くらいの少年だった。並べて見ると、確かにルメスの面影がある。
タツアがやんちゃな性格なのは話を見ていれば分かるが、クロトとは対照的に育ちが良さそうで、仕草の節々にそれが滲み出ていた。
それから、ハクもようやく名乗る。
「僕はハク。それから……」
「アルナです」
アルナは丁寧にお辞儀をした。
顔を上げるとタツアの視線を感じたから、アルナはにっこりと笑って言う。
「よろしくね」
すると、タツアは不自然に視線を逸らした。
アルナは不思議そうにしていたが、ハクにはおおよその察しがついていた。
タツアの反応も無理はない。アルナはかわいいから。
少年の純情は放って置いて、ハクは話を続ける。
「僕たちは旅の道中で」
「二人だけでかい?」
ルメスの問いかけは当然の反応だ。だから、その答えは予め用意していた。
「はい。さすがに僕らも不安なので、ステアの町で依頼するか何かして、一緒に来てくれる人を見つける予定です」
「そうか、君たちもステアの町に行くのか。だったら私の馬車に乗って行くといい。徒歩では大変だろう」
ルメスは悪い人では無さそうだし、ハク達に提案を断る理由は無かった。
それに、この世界に関する情報も集めたい。
「はい、よろしくお願いします」
この時のハクはまだ、この偶然の出会いが、この先の旅において重要な意味を持つとは思ってもいなかった。
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