12-4 犠牲と救済
アヤノを助けられるという私の話を聞いたイチハさんとヒオウさんの行動は早かった。
その日のうちに、村を回って高級ポーションと生贄の豚を用意し、私に頼み込む。
「頼む、一生の願いだ。アヤノを助けてくれ」
頭を下げるヒオウさんの必死さに、私は少し困りながら答える。
「最善は尽くします」
「きっと助けられますよ」
アルナの言葉に、ヒオウさんは顔を上げて縋るような目を向けた。
「ハク君、お願いね」
イチハさんの目には涙が浮かんでいた。
「はい」
両親二人の思いをしっかりと受け止めて、私は頷いた。
そして、イチハさんとヒオウさんはアヤノに声をかけてから部屋を出て行った。
部屋のカーテンは閉められ、外からは見えないようになっているし、仕切りを置いてアヤノからも私たちが何をするのかは見えないようにしてある。
念の為に、シンゲツにも警戒態勢をとるように伝えてあるから、何かあればすぐに分かるはずだ。
準備が整っているのを確認した私は、アルナを見て言う。
「始めようか」
「うん」
アルナは頷いて、私を見返した。
アルナに何か出来ることがあるわけでは無いが、私にとってはアルナがそこに居てくれることが大事だった。
そして、私は生贄として連れて来られた豚の前に立った。魔法か薬かは分からないが、眠らされていて、今は穏やかに呼吸をしている。
私は杖を取り出して、豚に向けた。そこで、私の動きは止まった。
(今から、この豚を私が殺す……)
前世での私からは、全く考えられない行為だった。大半の人がそうだろうが、蚊といった虫ならともかく、こんな大きな動物を殺したことはない。道端に落ちていた
私にはできそうに無かった。
ハイナドで多くの命を奪ったのだから、今更だと思われるかもしれないが、意識や意志があるのと無いのとではやはり違う。
「ハク?」
一向に動かない私に、アルナが心配そうに声をかけてきた。
「分かってる。この豚を殺さないと、アヤノさんは救えない」
私は自分に言い聞かせるように、言葉を返した。
「……やっぱりハクは優しいんだね」
そして、アルナは杖を持つ私の手の上に手を重ねた。
「もともと食べるために育てられてた豚さんだよ。どちらにしろ、もうすぐ食べられてた。それでもハクに出来なさそうなら私が手伝うよ。私がやったことにしてもいい」
アルナの優しさに、私は唇を震わせた。
アルナは優しいだけじゃない、生きるための強さも持っているのだ。この世界で、それも厳しい環境で生きてきたという経験に裏付けされた強さだ。
逆に言えば、アルナのような優しい子でも、そうならないと生きていけない世界なのかもしれない。
私だって分かっている。肉や魚を食べている時点で、命を貰っているのだ。それは穀物や野菜にだって言えることだ。私たちは、他の命を奪うことで生きている。
だから命に感謝して、そうする事で正当化して、命を喰らう。
自分の手を汚すか、汚さないかの違いだ。
だからといって、自分の手で命を奪うことに抵抗が無いかといったら、そんなことはない。どうしたって、私はぬくぬくと育ってきた現代っ子なのだ。
アルナの親切を頼って、いっそアルナに全ての責任を押し付けてしまえば、どんなに楽だろう。
けれど、それはダメだと思った。直感的なもので、はっきりと理由を説明できるわけでは無い。でも、自分の行為の責任はやっぱり自分でとる必要があると思った。これ以上、アルナに頼りっぱなしなわけにもいかない。
「ありがとう、アルナ。でも大丈夫だよ」
私はアルナの手を
なにも命を奪って生きているのは、人間に限った話ではない。弱肉強食、適者生存、食物連鎖、いろんな言葉があるが自然の摂理だ。命が循環して、世界は成り立っている。
そして、今、私は一人の命を救うために一つの命を貰う。
いろいろと理屈をこねくりまわしたが、そうでもしないと私にはできないのだ。
私は最後に生贄に向かって手を合わせた。
「僕の身勝手な願いのために、君の命を貰います。許して欲しいとは思わない。ただ安らかであらんことを」
僕は杖の先端を、眠っている豚に触れさせた。やり方はもうなんとなく分かっていた。
豚から命を吸いとっていく。同時に私を満たしていく感覚があった。
私が杖を離すと、アルナが心配そうに私を見つめていた。
「ハク、大丈夫?」
「うん」
その時、フガッと豚の鳴き声がした。
「え?」
アルナは驚いて、私が命を吸いとったはずの豚を見た。その豚は眠っているようだったが、確かにまだ息があった。
「どうして?」
混乱しているようなアルナに私は説明した。
「別に命を全部もらう必要は無かったんだよ。だから、この子が食べられる日までの分の命は十分に残しておいた。その時、味がどうなっているかは分からないけど。足りない分は僕の貯蓄でどうにかする」
結局のところ、中途半端だったけれど、これが私の妥協点だった。
それから、私は高級ポーションの瓶に、私の血を流し込んだ。
ポーションに入れるのは、前にアルナが飲んだ時に、血を直接飲むよりずっと飲み易く、ポーション自体の効果も相まって元気になる、と言っていたからだ。
それに、アヤノさんに直接血を飲ませるのは避けた方が無難だろう。
透明だったポーションの色が赤く変色したのを確認して、私は傷口をふさいだ。
これだけ血を混ぜれば、アヤノさんを救うのには十分なはずだ。
◇
それから私が仕切りの向こうへ行くと、アヤノさんは眠っていた。
夢を見ているのか、うなされているようだった。
「ウサギの人形なんか……」
そういえばイチハさんが言っていた。アイリがハイナドに行きたがっていたのは、かわいいと噂のウサギの人形が欲しかったからだと。アヤノにお土産として持って帰ると約束していたと。
「アイリ……」
アヤノの口から漏れた声に、私の心は締めつけられる。この家族からアイリを奪った私は、なんとしてもアヤノさんを救わなくてはならない。
それから目を覚ましたアヤノの瞳には、涙が浮かんでいた。そんなアヤノに、アルナが声をかける。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ」
咳き込みながらもアルナの手を借りて体を起こしたアヤノに、私は赤いポーションを渡した。
「これを飲んで下さい」
アヤノは少し怪訝そうにポーションを受け取ったが、何も言わずにそれを一気に飲み干した。
その様子を息を呑んで見守っていた私だったが、アヤノさんの驚いたような表情の変化を見て、心底ほっとする。
「よかった、効いたみたいですね」
アヤノさんの顔色も良くなっているようだ。
「もうこれからは、薬が無くても生きていけると思いますよ」
私はアヤノさんに微笑みかけながら、まだ少し震えている手を抑えた。
実のところ、本当に彼女の病を治せるのか不安だったのだ。あれだけ堂々と治せると言っておいて、できなかったらイチハさん達に会わせる顔がない。
しかし、私はアヤノさんを救うことができた。私の力は死を撒き散らすだけのものでは無く、確かに人を救うことができる。その事実は、ハイナドを滅ぼした罪悪感の闇に呑まれている私にとって、希望の光に他ならなかった。
それから、私はふとアヤノさんの様子がおかしいことに気がついた。
命は助かったはずなのに、少しも嬉しそうでないのだ。むしろ、思いつめたような深刻そうな顔をしていた。
「大丈夫ですか?」
私は不安と心配を抱えながら、おそるおそる声をかけた。
すると、アヤノは腕を抱え、肩を震わせながら答える。
「ありがとう……、けど私、どうやって生きればいいか分からない。もうアイリもいない……」
アヤノの言葉に、私は急に現実を突きつけられたような気がした。アヤノを救ったところで、私がアイリを奪った事実は変わらない。
アヤノさんだって、この悲劇的な現実にとり残されて、これから生きていかなくてはならないのだ。
私は感情がぐちゃぐちゃになっていく気がした。自分がした事が本当に正しかったのか、これで良かったのか分からなくなってくる。
その時、アヤノが私を見た。
「私は何のために生きたらいいか分からない。私はいったい、どうしたらいい?」
アヤノは全てを私に委ねるような、そんな風に見えた。
(そんなの、私に分かるわけない……)
私は困惑した。しかし同時に、まるで暗い夜道で迷っているようなアヤノさんの様子に自分自身を重ね合わせ、少し冷静になる。
(道を見失っているのは、私も同じか……)
私は少し考えたあと、アヤノさんを真っ直ぐに見つめて答えた。
「アヤノさんの好きに生きたらいいと思う。でも、もし可能なら、出来るだけ多くの人を救う為に、その命を使って欲しい。それが僕の願いです」
自分勝手な願いの押しつけだとは思う。けれど、私の行動の結果で少しでも多くの人が救われるなら、私の罪を少しでも償うことができるのなら、それがいい。
それから、私はふと思い出して、杖を取り出した。
そして、杖を振りながら、内部に取り込まれている私の髪を変形させて、ウサギのぬいぐるみを作り出した。
「そうだ、よかったらこれあげます」
その白いウサギのぬいぐるみをアヤノに渡すと、アヤノは驚いたような顔をした。
「どうして……」
「ハイナドの街にいた時、そのぬいぐるみを大切そうに抱えて歩いている子とすれ違ったんです。とても素敵な笑顔だったので、覚えていたんです。これは僕が作った模倣ですけど、それでもよかったらどうぞ」
この言葉は嘘ではない。あれはアルナの救出のために衛兵の詰所に向かう道中、白いウサギのぬいぐるみを二つ、大事そうに抱えて歩く少女とすれ違ったのだ。あの時は、幸せそうな少女の様子に、あれが普通の家庭の子供かと羨望の眼差しを向けていた。
『お姉ちゃん、気に入ってくれるかな……』
その呟きが少女の言葉なのか、私の気のせいなのかは、記憶があやふやで不確かだ。それに、本当にその人形が約束の物かも分からない。
しかし、少しの魔法で、彼女のささやかな願いが果たせる可能性があるのなら、惜しむ必要はないだろう。
「そう……。ありがとう」
白いウサギのぬいぐるみを、アヤノは笑顔を見せて受け取った。
それから、その白い兎をぎゅっと抱きしめ泣きじゃくるアヤノの姿を見て、私は目に涙の気配を感じて俯いた。
そんな私の横で、アルナが優しく言う。
「私、イチハさん達呼んでくるね」
「うん、そうだね」
部屋に響くアヤノさんの泣き声は悲しみに満ちていた。しかし、それが前に進むために必要だということは、言うまでもないだろう。
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