12-3 悲劇の余波

 ◇◆◇


 目を覚ますと既にアルナの姿は無く、私はイチハさんが用意してくれていた服に着替えて部屋を出た。


「ハク、おはよう」


 笑顔で挨拶をするアルナに、私も少しだけ微笑む。


「アルナ、おはよう」


 昨夜のことがあって少し気恥ずかしいが、アルナの方は自然体といった様子だから、私が気にしすぎなのかも知れない。


 アルナみたいに優しくていい子は、そうそういないだろう。

 こちらの気持ちを察して、気遣ってくれる。それこそ物語上にしかいなさそうな、完璧な天使みたいな子だ。


 私のアルナに対する好感度と依存度が、信仰レベルにまで上がっていきそうなのを自覚しながら、私は目の前の愛おしい友人を一生大事にしようと改めて思うのだった。



「ハク君、おはよう」

 

 そんな私に、ヒオウさんが声をかけて来た。


「朝食はできているから、食べてしまいなさい」

「ありがとうございます」


 表面上は礼儀正しく取り繕っていたが、私の心は騒ついていた。


 こんなに優しくしてくれているヒオウさん達の家族を、私は奪ったのだ。感情の行き場が無く、どうしてよいのか分からない。


 正直に話して謝るべきかもしれない。しかし、真実を知ったイチハさん達が私達にどんな感情を向けるのか考えると、恐ろしくてとてもじゃないが話せない。それにその事実が広まれば、私だけでなくアルナにだって危害が及ぶかもしれないから、そもそも話すなんて選択肢は無かった。


 イチハさん達の家族だけじゃない。ハイナドに暮らしていた人それぞれに人生があったのだ。その全てを私が奪ったのだ。


 重たい罪悪感で、せっかく用意してくれた朝食のパンを味わう余裕は無かった。


 私が黙って朝食を食べていると、隣から心配そうな視線を感じた。


 私はアルナに心配ないと伝えようと微笑んだが、うまく笑えていたかは分からない。


 私はキッチンにいるヒオウさんに目をやったが、その後ろ姿は寂しそうに見えた。

 突然娘を失う、その悲しみは私にはとても想像できない。


 そんな時、私はふとイチハさんの姿がない事が気になった。


「ヒオウさん、イチハさんはどこに?」


 すると、ヒオウさんは暗い表情をして答えた。


「付きっきりでアヤノの看病をしているよ」


 ヒオウさんのやつれた顔には絶望感すら漂っていた。


「アヤノさん、体調良く無いんですか?」


 私の心配に、ヒオウさんは思い詰めたように答える。


「昨日言っただろう? 元はと言えば、アヤノの薬を取りにハイナドに行ったんだ。フタバさんが亡くなった今、薬がない状態であとどれくらいアヤノがもつのか……」


 ヒオウさんの持っていたコップの水面は揺れていた。


「この水を届けに行くから、君たちは自由にしていて構わないよ」


 そう言って二階に上ろうとしたヒオウさんに、私は思わず声をかけた。


「あの、僕もついて行って良いですか?」


 ◇


 アヤノさんは、ベッドで横になっていた。呼吸は速いが小さくて、もう体力もあまり残っていないようだった。


 時折苦しそうに咳き込むと、そばにいるイチハさんが手を握って背中をさすっている。


「お父さん……」


 アヤノは力無く父親を見た後、それから私達にも視線をやった。


「……大丈夫ですか?」


 私の言葉にアヤノは答えず、すぐに目を逸らした。

 一見冷たい態度に感じられなくもないが、アヤノは病気で余裕が無いのだ。それに、彼女は未来を失ったような暗い眼差しをしていた。


 妹を失った上に、自身まで死が近いのだ。絶望の重なったアヤノの心境は、想像を絶するものだろう。


 そして、その全ての元凶が私なのだ。


 私は、苦しそうな呼吸をするアヤノにもう一度目をやった。


(私なら、彼女を救える)


 死んでしまったアイリはもう助けられない。しかし、まだ息があるアヤノなら、私の力できっと助けられる。


(でも、本当に助けていいの?)


 前だったら迷わず助けただろう。しかし、今の私は簡単には助ける選択ができなかった。


 アヤノを救う分の命は残っている。しかし、そうやって行く先々で、片っ端から命を救っていたら、いずれ命のストックが無くなる。そして、そこで再び暴走を引き起こしてしまったら、元も子もない。


(だとしたら、見捨てる?)


 救う手段があるのに、見捨てる。そんな事をしたら、私の良心が悲鳴をあげて擦り切れてしまいそうだ。今の私が人の心まで失ったら、何が残るのだろう。


(どうしたら……)


 その時、ふと背中に触れる手の感触があった。アルナの手に、私は心を支えられるような気がして、少しだけ落ち着く。


 恐怖はあった。街一つを滅ぼしたトラウマが、頭の中を覆う。

 それでも、私は声を絞り出した。


「……助けられるかもしれません」


 このまま、彼女を見捨てたらきっと一生後悔する。だから、怖くても一歩を踏み出すしかないのだ。


 私は顔を上げて、アヤノを見つめた。目の前の病に苦しむ少女を救うと、決意を固めるために。


 それからもう一度、今度ははっきりと言う。


「僕なら、アヤノさんを助けられるかもしれません」


 すると、ヒオウさんとイチハさんが、目を見開いて私を見た。


「本当か?」

「ハク君、ほんとうなの?」


 切実な表情をする二人に、私は頷いた。


「試して見る価値はあると思います。ただし、


 アヤノを救うとは決めたものの、闇雲に命を救っていたら再び悲劇を撒き散らすのも事実だ。だから、条件が必要だった。これが私の落とし所だった。


「なんなんだ? その条件とは?」

「できることなら何でもするわ」


 娘の命のために必死な二人の親を見て、私は改めていい家族だとしみじみと思った。


 それから、私は杖を取り出してイチハさん達に見せた。魔法使いだと示す事で、少しでも私の話の信憑性を高めるためだ。

 今のイチハさん達は何であっても縋りたいような状況であって、どこの馬の骨とも知れない私にアヤノを救えると本気で信じているかは分からない。


 思惑通りイチハさん達の顔つきが変わったのを見て、私は話を進めた。


「これは、僕の祖先から伝わる治癒の秘術です。一つ目の条件は、誰にも見られない場所で行うこと。治療中、覗くことも禁止です」


 適宜嘘を織り混ぜながら、条件を述べて行く。


「それから、できる限りランクの高いポーションと、生贄を用意してください。生贄は家畜とかでいいです」


 生贄の動物から必要な命を補充する。これが私が苦渋の末に捻り出した方策だった。


 本当は動物であっても、犠牲になんてしたくなった。しかし、私の力はそんな都合の良いものではない。希望を叶えるためには、相応の代償を払うしか無いのだ。


「最後に、僕が治療したことは、決して他言しないで下さい。これは禁術みたいなものですから」


 最後の条件は必須だ。私の噂が広まりでもしたら、神魔塔党の人達に見つかってしまう危険がある。


「これらの事を守れるなら、僕がアヤノさんを助けます」


 仰々しく条件を述べた私は、イチハさん達を安心させようと、穏やかに微笑んでみせた。



 アヤノを救うというこの選択が正しいのかは分からない。また悲劇を招くことになるかもしれない。


 不安に震える私の手をアルナがとった。


『大丈夫だよ』


 私を見つめるアルナの瞳がそう言っていた。


 根拠なんて何も無いのに、それだけで少しだけ安心してしまう。何も分からない未来に手を伸ばす勇気が湧いてくるのだ。


 私はアルナの手を握り返して、再び前を向いた。

 

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