最初の村

12-1 優しい村

 

 ◇◆◇


 まだ太陽が真上で燦々と輝いている頃、ハクとアルナの二人は、家の扉をノックした。


 すると、すぐに大きな音を立てて扉が開き、中から30代くらいの婦人が飛び出してきた。


 婦人はみすぼらしいハク達の姿を見ると、しばらく固まったように動きを止めた。


 その婦人は助けを求めに来たハク達の方が心配に思うほど、疲れ切った顔をしていた。しかし、ハクもアルナも空腹が限界だったから、ダメ元でも頼まないわけにはいかなかった。


「すみません、どうか僕達に食べ物を分けてはもらえませんか?」


 ハクの言葉に、婦人は我に返ったように、改めて二人の子供の姿を見回した。服はボロボロで、汚れも目立つその姿は、潔癖な人なら忌み嫌うかもしれない。

 しかし、慈悲深いその婦人は、優しく微笑んで二人を抱き寄せた。


「大変だったわね。さぁ、中に入って、好きなだけ休んでいくといいわ」


 予想外の慈愛に満ちた態度に、アルナはほっとため息をついた。


「席に着いていて。すぐに何か作るわね」


 家の中に入ると、リビングには木のテーブルと椅子が並んでいた。どれもアルナ達が生活していた隠れ家の家具よりずっと綺麗だったが、所々にある小さな傷や使い古され色褪せている様は、ありふれた家族の生活を感じさせる。


 アルナが横に目をやると、ハクも生活感に溢れたアットホームな空間に、息をついて心を休ませているようだった。


「はい、どうぞ。おかわりもたくさんあるから、遠慮しないでね」


 婦人は温かいクリームシチューを台所から持ってきた。


「「いただきます」」


 アルナは婦人の作った具だくさんの料理に、これまで感じた事が無いような魅力を感じた。


(これが、母親の味、なのかな?)


 食材を惜しまず健康にも気を配ったような料理は、少ない食材で何とかやりくりしていたアルナにとって、夢のようで理想的なものだった。


 ふとアルナが顔を上げると、婦人は食事を口に運ぶ子供達の様子を、優しい瞳で見守っていた。


「どう? 口に合うかしら?」


「はい。とっても美味しいです」


 アルナが答えると、婦人は嬉しそうに微笑む。


 それから、婦人はこちらの反応を窺うようにしながら慎重に聞いてきた。


「あなた達について、聞いてもいいかしら? 何があったの?」


 アルナはどこまで答えて良いのか分からず、隣のハクに目をやった。ハクは魔法で髪を灰色に染めていたが、その時のハクの暗い表情は、綺麗だった深紅の瞳すらも濁っているように見せた。


 しかし、まもなくハクは顔を上げて、濁った瞳のまま言う。


「僕はハクって言います。こっちはアルナ。僕たちは、ハイナドの街から来たんです」


「やっぱりそうだったの……。大変だったわね……」


 婦人もハクに引けを取らないほどに、暗い顔をしていた。重苦しい空気が流れ、スプーンを持つ手の動きが止まる。


 しかし、その空気にハッとした婦人はすぐに笑顔を取り繕って言った。


「私はイチハっていうの。ちょうどあなた達と同じくらいの娘二人がいてね。この家で旦那と四人で暮らしているの」


 イチハさんは和やかな表情をしていたが、ハクはその態度のぎこちなさに気がついていた。


 しかし、アルナにはハクが鋭い目をした理由が分からず、少し困惑する。


 こんなふうに時々、アルナにはハクという人間が分からない事があった。



 この世界のミリアという少女と入れ替わった、異世界から来た子だ。


 ハクが元いた世界では魔法が無く、科学というものが発展していたらしいが、正直言ってアルナには想像するのが難しかった。


 すごく速い乗り物に空を飛ぶ乗り物、超高層の建物や大きな建築物、電気で動く不思議な家具や道具の数々、そのどれもが魔法なしに実現しているという、不思議な世界。


 だが、そんな摩訶不思議な世界については教えてくれたが、その世界でどんなことをしていたのかについて、ハクは語りたがらなかった。


『面白い話は何も無いよ。私はつまらない人間だったから、普通に暮らしてただけ』


 そんなふうにして、ハクははぐらかした。


 結局、ハクが心の奥底でどんな事を考えているのかは、アルナには分からなかった。

 それでも、ハクが必死に助けようとしてくれたことは事実だし、優しい子なのはきっと確かだ。

 それに、アルナは初めて会った時からハクが心配だった。脆くて、すぐに壊れてしまいそうな儚さを、不老不死のはずのハクにアルナは感じていた。


「おかわりいる?」


 イチハさんの声にアルナが我にかえると、隣のハクのお皿は空になっていた。


「お願いします」


 ハクの言葉に、アルナは慌てて最後の数口を口に運んでから言う。


「私も! 私もおかわり欲しいです」


「ええ、遠慮しないで、たくさん食べてね」


 イチハさんはそう微笑んで、二つの皿を持って鍋のある台所に向かっていった。



 結局、アルナとハクは二人とも、イチハさんの優しさに甘えて、お腹がいっぱいになるまで食事を堪能した。


「ごちそうさまでした」

「とっても美味しかったです。ありがとうございます」


「お腹がいっぱいになったら、お風呂に入ってきなさい。着替えは娘の服があるから、それでいい? ハク君もサイズ的に着れるとは思うけど……」


「はい、僕もそれで問題ないです。ありがとうございます、着替えまで用意していただいて」


「これくらい何でもないんだから、気にしないで」


 そうして、ハクとアルナは順番に温かいお湯に浸かって、体の汚れを落とした。


 アルナが風呂を上がると、着替えに用意されていたのは、白いフリルのついたブラウスに、真っ赤なロングスカートだった。


 普通の女の子が着るようなカワイイ服にアルナは少し戸惑ったが、イチハさんがせっかく用意してくれたものに文句は言えなかった。


(スカートなんて履くの、いつぶりだろう……)


 アルナがリビングに戻ると、先に風呂に入ったハクが紅茶を飲みながら待っていた。ハクの方はTシャツにズボンと、ボーイッシュな服装で、性別不詳な見た目だった。


 ハクはアルナに気がつくと、慣れない服装に少し恥ずかしげなアルナに対して微笑んだ。


「やっぱり、アルナにはそういう服も似合うね」


「あ、ありがとう……」


 アルナが若干照れながら、俯きがちにハクの隣に座ると、イチハさんがアルナの分の紅茶も淹れてくれた。


「あっ、お風呂ありがとうございました」


「ゆっくりあったまれた?」


「はい」


 イチハさんはどこまでもアルナ達に優しかった。客人をもてなすというよりも、まるで家族として迎えいれるかのようで、イチハさんの態度には愛情が感じられた。


(ほんとうに、この家を訪ねてよかったな)


 イチハさんから受ける優しい扱いに、アルナは感激していた。


 しかし、一方のハクの表情には少しだけ影があり、アルナはそれだけが気になっていた。


 そんなハクが、目に怪しい光を宿らせながら、ゆっくりとイチハさんに聞いた。


「そういえばイチハさん、他のご家族はどうされているんですか? 是非ご挨拶したいのですが……」


 その途端、イチハさんの表情が固まった。まるで、触れてはならない闇を引っ張り出してしまったように、イチハさんの表情は暗く深刻なものに変わっていく。


 そんなイチハさんの様子を見て、アルナが焦りを覚えるとほぼ同時に、玄関の扉が軋む音を立てながらゆっくりと開いた。


 アルナが振り返ると、疲れ切った顔をして薄汚れた服を着た男が立っていた。


 男はアルナを視界に捉えると、異様な笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。


「アイリ!! 無事だったのか! よかった! ほんとうに……良かった!」


 男は涙を流しながらアルナの肩を叩いたが、その姿が正気には思えず、アルナはただただ恐怖した。


 

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