エイジュ

11-1 謎の少年

 夜の暗い森の中で、私は目を覚ました。


 魔物とかがいてもおかしくない魔法に満ちたこの世界で、しかも夜の森なんてどんな危険があるか分からない。


 木々が風に揺れる音は、夜の森の不気味さを一層と際立たせていた。


 それでも私達が安心して眠る事が出来たのは、シンゲツがいてくれるからだ。獣の危機察知能力は、きっと人間のそれよりもずっと優れているだろう。


 私が起き上がると、シンゲツは目を開いて、その月の瞳で私を見た。


「大丈夫、休んでていいよ」


 私が小声で言うと、シンゲツはそっと目を閉じた。


 私はそれから、シンゲツに寄りかかって寝息をたてているアルナに目をやった。


 あれからアルナは、私の事を一度たりとも責めたりしなかった。文句も言わず、それどころか私を気遣ってくれてさえいた。


 私はアルナに毛布をかけ直し、その安らかに眠る寝顔を見つめた。


 この目は前の体の時よりも、ずっと暗闇でも目が利くし、感覚も鋭くなっている気がした。魔法の力なのか、私の体の特殊性なのかは分からないが、どちらにしてもこの世界で生きていく為には武器は多い方がいい。


 ちなみに、今アルナが使っている毛布も私が魔法で髪から作り出したものだ。長くなった髪を少しだけ切って使ったが、旅で必要なものをその場で生み出せると言うのは、とても便利だった。

 もちろん制約はあって、なんでもかんでも作れるわけでは無いが、簡単な物になら魔法で髪を変形させられる。改めて考えると、魔法で好きな物を作れるだけでも十分すごいのに、その上どんな傷も治せる血を持つ不老不死とか、この体は万能過ぎてズルいくらいだ。


 それでもミリアがこの体を捨てた理由を、今の私なら少しは想像がつく。この体が背負う宿命は重過ぎるのだ。しかも、それが半永久に続くとしたら、普通は耐えられない。私が今なんとか正気を保てているのは、ひとえにアルナの呪いを解くという目的があるからだ。


 私は再び眠れるような気分でも無かったから、静かに立ち上がった。森は相変わらず、少し不気味に騒めいている。


(少し喉が渇いたな……)


 しかし、いま手元に飲める水は無い。昼間はアルナが魔法で少量の水を出してくれて、それで喉を潤していたが、その為に起こすのも申し訳ない。


 だから私が諦めてもう一度眠ろうかと思った時、急に森の雰囲気が変わった。


 森の中には白い霧が立ち込めていた。夜のはずなのに白く明るいのは不思議だったが、私はすぐに警戒してアルナ達に声をかけようとした。


 しかし霧に覆われて、アルナとシンゲツの姿は見えなくなっていた。


「ア……」


 叫ぼうとする私の口を、不思議な力が封じた。しかし、それは強引でなく不快感の無い、優しい魔法の力だった。


「安心して、君のお友達は無事だよ。それに、用事が済んだらすぐに戻してあげるから」


 それは、穏やかで安心する、神秘的な声だった。


 いつの間にか、私の前には一人の少年が姿を現していた。


 透き通るような薄緑色の髪に銀色の瞳のその少年は、どこか雰囲気が私が夢の中で出会ったミリアと似ている気がした。


「飲むかい?」


 少年が手をゆっくりと開くと、急に地面から木の根が飛び出してきて、私の手元でコップの形になった。そして、木の根でできたそのコップには、澄み切った綺麗な水が満たされていた。


「安心して、毒なんて入っていない」


「ありがとう」


 私は喉の渇きに導かれるままに、コップを手に取った。私が持つと同時に、地面から繋がっていた木の根では外れ、それは完全なコップになった。


「おいしい」


 その水は、森で何重にもされたような、澄み切った味がした。


 この時の私は、あまり難しい事が考えられず、直感的な振る舞いをしていた。これも、あの夢と少しだけ似ている。


 私が水を飲み終えると、コップは自然と朽ちて散っていった。


 私はもう一度、少年に目を向けた。


 少年の雰囲気は、不思議とこちらを安心させる。だから、私はその安らぎに逆らわず、静かに少年に問いかけた。


「君は?」


 少年はゆっくりと微笑んで言う。


「僕は……、エイジュ。言うなれば、君達のオリジナルみたいな存在かな」


「オリジナル?」


「そう、元々君達、彼らは供え子って呼んでるみたいだけど、供え子は僕を模倣して造られたんだ。だから、少し君達を不憫だとは思うんだけど、何せ今の僕は自由には動けないからね」


 少年の言っている事は、私にはよく分からなかった。それでも、私はできる限り理解しようと試みる。


「でも、君は今ここにいるでしょ?」


「これは僕の根の先端部分、意識だけこっちに持って来ているんだ」


 それから少年は、私に優しく問いかけた。


「ハイナドの街があった場所から命の気配が丸ごと消えたから、何があったのかと来てみたけれど、君の仕業だろ?」


「……はい」


 私は苦しげに頷いた。とても心苦しかったが、目の前の少年相手には正直に言うしか無かった。


「そうか、ミリアはこの世界を出て行ってしまったのか……」


 そう言って、少年は少し寂しそうな顔をした。


 それから少年は、落ち込んでいる私にそっと微笑みかけた。


「安心して、ハイナドの街には僕がまた根を張るから、時間は掛かるだろうけど、また命は芽吹くはずだよ」


「あなたっていったい……?」


「そうか、君はこの世界に来たばかりなんだったね。僕は永樹えいじゅ、この国の守り神みたいなものかな。ほら、硬貨にも模様があっただろう?」


 私は金貨に刻まれた模様を思い出した。枝と根が繋がった不思議な木の模様。


(ということは木?)


「君は木なの?」


「今はね。元々は君たちと同じ人間だったんだけどね」


「だったらどうして……?」


 すると、少年は懐かしむように遠い目をした。


「ずっと昔、ある人に救われたんだ。そして、その人が困っていたら、力になりたいと思うのは自然な事だろ?」


 少年は同意を求めるように、私を見た。


「だから、僕はこの国に根を張る永樹となって、この国をずっと見守っていくことにしたんだ」


 誰かのために樹木にまでなるなんて、きっとその想いは常人では到底理解し切れないほどに深いのだろう。


「優しいんだね」


 私が言うと、少年はフッと笑った。


「僕のことはいいんだ。それより、君も災難だったね。この世界に来て、最初から」


 この世界に来てからの事を思い出して、私の心は重たくなる。


「いえ、私も望んでこの世界に来たわけですから……」


「でも、こんな事になるとは想定していなかっただろ?」


 それは、その通りだ。こうなると分かっていたら、この世界に来る事を選んだかどうか定かではない。


 黙り込んだ私に、永樹の少年は声をかける。


「大変だったね。これからも大変な事があるかも知れない。でも、僕は君にこの世界を嫌いになってほしく無いんだ」


 そう言って少年が手を差し出すと、私の目の前にツルが伸びてきた。そのツルは三本の木の枝を掴んでいる。


「これは、この世界にやって来た君への僕からのプレゼントだ。まぁ、神の祝福的なものだと受け取ってくれていい」


「ありがとう、ございます」


 私は少し驚きながらも、三本の枝を受け取った。


 それから私が、その木の枝をどうしていいのか分からずにしばらく眺めていると、エイジュは言う。


「それは僕の苗木だ。奇跡を起こせる力がある。三本あるから、大切に使うといい。一本はつえにでもしたらどうかな?」


「杖?」


「魔法使いなら、杖はあった方がいいだろう?」


 きょとんとしている私に、少年は困ったような顔を浮かべた。


「うーん、ここまでするのは本当に特別だよ?」

 

 そう言って少年は私に近づき、枝の一本に手を添えた。


「何か触媒があるといいんだけど。髪の毛とかでもいいよ?」


「だったら……」


 私は長い髪をバッサリと切って、少年に渡した。


「あっ、そんなにはいらなかったんだけど……、まぁ君の魔法にはちょうどいいか。杖から髪とか小物とかなら引き出せるようにしておくよ」


 少年はそう言って、私のすぐ近くで微笑んだ。近くではっきりと見ると、少年は美しい顔をしていて、少しだけドキドキした。


「僕と一緒に魔力を流して。じゃあ、いくよ」


 私が流した魔力は、少年の魔力に導かれるように在り方を変えて魔法となり、木の枝だったそれは、私が切り離した白い髪を取り込みながら、一本の立派な杖へと形を変えた。


 それはシンプルな純白の木の杖だったが、芸術品と言って差し支えないほどに、滑らかで洗練された美しさがあった。


 その杖は私の手に不思議なほどに、よく馴染んだ。


(この感覚、覚えがある)


 私が少し意識をすると、杖は私の意思に呼応するように、1メートルくらいあった大きさを、30センチくらいにまで短縮させた。


(このサイズの方が扱いやすいな)


 杖のサイズは可変式だし、魔力がよく通って魔法を使う時に役立ちそうだった。


(あとは……)


 私は残り二本の苗木を杖に近づけると、それらは吸い込まれるように杖の中へと入っていった。


 この杖に収納する方法は、杖を握った瞬間に自然と分かっていた。


「上手く出来たみたいだね」


 私が杖を扱う様子を見ていた少年は、満足そうに穏やかに言った。


「本当にありがとう、エイジュ君」


 私はこの少年にもらってばっかりだ。しかし、少年は対価を要求してくる気配もない。


「いいんだ。これから長い付き合いになるだろうし、気が向いた時に僕の話相手になってくれたら、嬉しいな」


 ふいに風の気配を感じて周囲を見渡すと、次第に霧が薄くなってきていた。


「そろそろ時間だ。どうやら僕も力を使い過ぎたみたいだ」


「エイジュ君!」


 少年の姿も、だんだん朧げになっていく。


「次に会うのはしばらく先になるだろうけど、それまで元気でいてね。君の旅路にさちあらん事を祈ってるよ」


 そう言って、少年は白い霧と共に姿を消した。


 夜ではあったけれど、それは白昼夢のような体験だった。

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