10-2 旅立ち

 突然現れた黒い影に向かって、スードは魔法で攻撃しようとした。


「待って!」


 私は咄嗟にスードを止めた。


 その黒い影の持つ瞳に見覚えがあったのだ。

 それは月のような綺麗な瞳で、じっと私を見つめていた。


 目を凝らすと、姿形がはっきりとしてきた。

 その獣は、右半身は狼の姿を保っていたが、左は影のように朧げにゆらめいていた。


「なんで、こんなことに……」


 手を触れようと近づく私に、黒狼は嫌がる素振りを見せなかった。


「そいつを知っているのか?」


「はい、神魔塔党の人達から逃げる最中に知り合って、仲良くなったんです」


 スードに説明してから、私は黒狼に怯えたような顔をしているアルナに言う。


「優しい子だから大丈夫だよ」

「ほんと?」


 まだ少し不安げなアルナに私は頷き、それから黒狼の不安定な左半身に目をやった。


「なんでこんなことに……」


 スードは黒狼を遠巻きに観察しながら言う。


「おそらく、お前の暴走に巻き込まれて命を吸われたんだろうな。この様子だと完全には命を吸い尽くされなかったようだが、それがどうしてこんな風になるのか、ムーンウルフの生態は謎が多いからな」


 スードは不思議そうに黒狼の左半身を見ていた。


「ムーンウルフ?」

「こいつの種族名だよ」

「そうなんだ」


 私はもう一度、黒狼に手を触れた。伝わる体温からはまだこの子が生きているのだと分かる。しかし、揺らぐ影のような左半身には触れることすら叶わなかった。


「ごめん、私のせいで」


 私の災禍はこんなところにまで及んでいたのだ。


「でもそれなら、私が命を与えれば元に戻るんじゃ……」


 私のせいでこうなったのだ。できるなら元に戻してあげたかった。しかし、力の行使には代償を伴う。


 私が不安を滲ませた切実な表情で見ると、スードは頷いて言う。


「今のお前は命に溢れている。少し分け与えるくらいなら、問題ないだろう」


 私は頷いて、黒狼に腕を差し出した。


「噛んで」


 私が言うと、黒狼は額を私にくっつけてから、腕の腕を優しく噛んだ。


 鋭い牙が皮膚を貫いたが、不思議と痛みはそんなに感じなかった。


 少量の血が黒狼の口に入り、黒狼の揺らいでいた左半身は次第に元の姿形を取り戻していった。


 ムーンウルフとしての本来の姿を取り戻した黒狼は、私に頭を擦り寄せてきた。


「いいよ。元はといえば私のせいなんだから」


 私が黒狼を撫でていると、スードが言う。


「お前、そんなに仲良いなら、そいつを使い魔として契約したらどうだ?」


「使い魔? そんな事できるの?」


 使い魔という響きが、私の心をくすぐった。


「そいつ次第だがな」


 私は黒狼にそっと尋ねる。


「私の使い魔になってくれる?」


「ヴァウッ」


 黒狼は同意するように小さく唸った。


「ありがとう」


 私は黒狼をぎゅっと抱きしめた。


 ◇


 使い魔の契約に必要な魔術的な事は、全てスードがやってくれた。


「契約の成功にはそれなりのえにしが必要だが、お前達なら問題ないだろう」


 魔法陣を完成させたスードは私に言う。


「あとは契約するだけだ。あと、そいつの名前を決めておけば、契約はより強固になる」


「スードさん、ありがとうございます」


(名前か……)


 私は、黒狼の月のように綺麗で吸い込まれそうな瞳と、黒く立派な毛並みに目をやった。


 描かれた魔法陣の中に入り、私は黒狼に触れた。そして、スードに教えられた通りに言葉を述べる。


永樹えいじゅの元に生まれし魔の子らよ、えにしを辿り、絆を結べ。なんじの名はシンゲツ』


 シンゲツと名づけた黒狼と私の間に、私は繋がりをはっきりと感じた。


 次の瞬間に、シンゲツは小さな石の姿へと形を変えた。それは月のように綺麗な小さな黄色い宝石だった。


「え? なんで!?」


 突然、石になったシンゲツに私が慌てていると、スードが呆れたように言う。


「落ち着け、いつでも元に戻れる。全ての使い魔がその姿になれるわけじゃ無いから、シンゲツは優秀だ。良かったな」


「あ、はい」


 私は手の中の黄色い小さな宝石になったシンゲツを大事に抱えた。


 それから髪の毛を一本使って魔法でチェーンを作り、シンゲツの宝石を首から掛けた。ペンダントの美しさは、今のボロボロの服装にはちょっと目立ち過ぎるから、普段は服の下にしまっていた方が良さそうだ。


「ハク、おめでとう! すごいよ! 使い魔と契約するなんて」


 それまで私の近くで目を輝かせながら見守っていたアルナが、我慢できなかったように声をかけてきた。


「うん、ありがとう」


 そっと微笑んで言う私に、アルナは少し不満そうな顔をした。


「ハク分かってる? 使い魔と契約している魔法使いなんてそんなに多いわけじゃ無いんだよ? それにムーンウルフなんて珍しいし」


「そうなの?」


「うん」


 アルナは大きく頷いて、スードに同意にも求める。


「そうですよね、スードさん」


 スードは大きなため息をついて言う。


「その通りだ。ハク、お前少し常識がなさ過ぎるぞ?」


 それはまったくその通りで、私は返す言葉も無く落ち込んだ。それから、ふと違和感を感じてスードを見た。


「あれ? 今私のことハクって……」


「ああ、そう呼んだ。だってお前、ミリアじゃ無いんだろ?」


 スードは確信しているように、真っ直ぐと私を見つめた。


 私は目を泳がせて、唾を飲み込み、もう一度おそるおそるスードを見る。


「そもそもミリアだったら、暴走するようなヘマはしないし、さっき説明したような事も全部知っているはずだ」


 もう誤魔化しようが無かった。私は俯いて謝った。


「ごめんなさい」


「なぜ謝る?」


「だって、ミリアさんの人生を私が代わりに生きてしまって……」


「それがミリアの望みだったんだろ? だったら、今更お前に何も言わないよ」


 スードは穏やかな表情で優しく言った。


 そんなスードに私は気になっていた事を尋ねた。


「スードさんは昔、ミリアに何をされたんですか? 借りがあるって言ってましたけど……」


 私の問いに、スードは昔を懐かしむような顔をした。


「ああ、それか。大した話じゃ無い。昔、ミリアに助けられたんだ。俺にはミリアに大きな恩があった」


 それからスードは少し寂しそうな顔をした。それはスードが昨日の夜に、私を殺そうとした時に見せた表情と似ていた。


「だからお礼がしたいって言ったら、ミリアは『だったら、いつか私を殺しに来て』って……」


 スードは少し不満げな顔をした。


「だから俺は頑張って神魔塔党に潜入できるまでになったのに、結局、約束を果たせなかった。間に合わなかったんだ。ミリアは俺が殺す前に、逃げてしまった」


「スードさん……」


 スードにかける言葉が見つからなかった。長い年月をかけた果てが、こんな結末だと報われない。


「まぁ、ちょっとした俺の私情だ。別にその為だけに生きてきたわけでも無い。それに、ミリアじゃないと知った以上、お前を殺すつもりもないから安心していい」


 私にはスードが寂しそうに見えた。


「スードさん」


「なんだ?」


「いつか、もし私が生きるのに飽きたら、その時は私を殺しに来て下さいよ」


 スードは少し驚いたように目を丸くしたあと、フッと笑いを溢した。


「考えとく。その時まで俺が生きてるかは分からないけどな」


 初めてスードさんの笑顔を見た気がした。


 今私の前にいたのは、神魔塔党の恐ろしい昇者の一人では無く、約束を果たすために一生懸命に生き抜いてきた誠実な男だった。


「そんなことより、今は目先の事だ」


 スードは私とアルナの二人に言う。


 私が首をかしげていると、スードは笑みを浮かべて言う。


「その子、アルナにかかった死蜜の呪いを解くんだろ?」


 私は大きく頷いた。


「ここからずっと北、霧魔山に住む大魔法使いグレースを訪ねるといい。きっと彼女ならなんとかしてくれるはずだ。本当は俺が連れて行ってやりたいところだが、俺にはまだここでいろいろとやる事がある」


 スードは私達に聞く。


「長い旅になると思うが、君たち二人だけで行けるか?」


 私とアルナは顔を見合わせ、頷き合った。


「行きます。それでアルナの呪いが解けるなら!」


 それから、スードは旅の注意事項やらいろいろと丁寧に教えてくれ、いくらかの金貨も持たせてくれた。


「俺も今はこれくらいしか渡せるものがないから、近くの街で必要な物は揃えてくれ。それから、憩いの会を頼る時は風羽かざばソウの紹介だと言ってくれ。変人が多いがきっと力になってくれるはずだ」


「風羽ソウ?」


「ああ、それが俺の本当の名前だ」



「ソウさん。いろいろとありがとうございました」


 別れ際、私は頭を下げてお礼を言った。


「いや、あまり力になれなくて申し訳なかった。いろいろと大変だと思うが、頑張って生きろよ」


 そう言ってソウさんは、スードとしての恐ろしい雰囲気を纏った。これから、また神魔塔党に潜入し、この事態の後始末とかをするのだろう。


「じゃあ、またいつか、どこかでな」


「はい、ソウさんもお元気で」


 スードは最後に私達に微笑み、魔法を使うと風のように去っていった。



 アルナと二人きりになった私は、呟くように言う。


「私達も行こっか」


「うん、そうだね」


「シンゲツ、お願い」


 胸元の黄色い宝石が光ったかと思うと、体長三メートルほどの大きく黒い狼が姿を現していた。


 私とアルナが背に乗ると、シンゲツは走り出した。シンゲツのしなやかな脚は足音がほとんどぜず、風を切る心地良い音だけが耳に届く。


 私達は太陽の光の射し込む、明るい森の中を駆け抜けた。そこは、緑に溢れ、生き物の気配に満ちていた。


 私がこの世界で初めて立ち寄った街は、命が枯れて滅びてしまった。私が滅ぼしてしまった。

 もし、アルナの呪いの解くという目的が無かったら、私の心はとっくに折れていただろう。気持ちの整理はつかないし、まだ自分のした事を全く受け入れられていない。しかし、今は進み続けるしか無かった。


 シンゲツに乗って森を駆けていると、私の後ろにいるアルナがふいに言った。


「ハク、教えて、あなたの事。ミリアじゃない、あなた自身のこと」


「うん」


 私は頷いた。


 アルナとはこれから長い付き合いになりそうだから、私の事を知っていてもらった方がいいだろう。


 異世界から来たなんて言ったら、もしかしたら驚くかもしれないけれど、アルナならきっと受け入れてくれる。そんな確信があった。


 きっと二人なら、この厳しい世界でも生きていける。そんな気がした。



 こうして、私達二人の長い旅は始まったのだった。







ーーーーーーーーーーーーーーー


この世界の少し昔の話(ソウの話)

流浪の癒し手 〜願いの花と友情の行方〜

https://kakuyomu.jp/works/16817330660775061141

6話完結




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