10-1 代償

 ◆


(お腹いた) 


 これまで経験したことの無いような空腹感だった。


 その欲求は飢えと呼んでもまだ足りない。


 それは抗えない衝動で、体の全細胞が求めていた。


 食べたい 喰らいたい 吸い尽くしたい


 どれだけ摂取しても、取り込んでも渇望は満たされない。


(まだ足りない! 全然足りない! もっと、もっといのちを!!)


 ◆



 目を覚ますと、青空が広がっていた。雲一つない空には、低い位置に眩しい太陽が見えるだけで、ただ一面に青だけが広がっていた。


「ハク? ハク! 起きたんだ、良かった……」


 アルナの安堵したような声が聞こえた。


 その声に、私は飛び上がるように体を起こし、アルナの姿を視界に捉えた。


 アルナの服はボロボロで髪も乱れていたが、体のどこにも怪我をしている様子は無かった。貫かれたはずの胸の傷も完全に塞がっていて、傷跡すら残っていない。


「アルナ、良かった。アルナが無事で、本当に良かった」


 私は思わず、アルナを抱きしめた。


「うん」


 アルナは静かに、切なげにそう頷いた。


 それから周りの風景を見た私は、呟くように聞いた。


「ここはどこ?」


 周囲一帯に広がっていたのは灰色の砂だった。


 どこまでも、ひたすらに砂だけが広がっていた。それ以外のものは何も無かった。生き物の気配も、物の気配も、何も無かった。


「砂漠?」


「ここはハイナドの街の中心部、移動はしていないよ」


 その低く重たい声に、私はハッとして警戒心を取り戻し、声を発した男を見た。


 灰色の砂の上に、スードが立っていた。


「そんなに警戒するな。死蜜はもう無いし、今の俺には君を殺す手段も、つもりも無い」


 スードのその言葉を完全に信用はしたわけではないが、私は少しだけ警戒心を緩めて質問する。


「ここがハイナドの中心部ってどういうこと?」


「そのままの意味だ。ここは衛兵の詰所があった場所だ。もう、何一つ残ってはいないがな」


「え? それってどういう……」


 すぐには理解出来なかった。しかし、視線を向けると、アルナは暗く悲愴な表情をしていた。


「まさか……」


 スードは静かに私に告げた。


「ハイナドは滅びた。生き残りは俺達三人だけ、それ以外は全滅だ」


 私は言葉を失った。


(ってことは、クロトは? カイとサクは? レオさんやソルドさんも……)


 理解が追いつかず呆然としている私をクロトが抱えた。


「とりあえず、ここを離れるぞ。ここは目立つ。この事態を察知した誰かに見つかる前に移動する。話はそれからだ」


 スードは私とアルナを両手に抱えると、魔法を使った。


 スードは風のように移動していて、私の視界は目まぐるしい速さで動いていた。だが、どこまで行っても灰色の砂が続くばかりで、景色は変わり映えしなかった。


 しばらくすると、ようやく森が見えた。砂との境目ははっきりと分かれていて、ハイナドの街を砂に変えたのは、人為的なものに思えた。


 スードは森の中に降り立つと、為されるままに抱えられていた私達を地面に降ろした。

 その時のスードの仕草は、まるで私達を気遣うように丁寧で、少し前まで敵対していたとはとても思えなかった。


 いや、元々スードは不必要な殺生を嫌っていたし、誠実そうな男だった。私に対してだけ、明確な殺意を向けていたのだ。

 それに、スードの本質を覆い隠していた恐ろしい雰囲気も今はすっかり消えていて、私の目の前にあったのは、暗い目をした優しそうな男の姿だった。


 今のスードに敵意を向ける気にはならなかった。もちろん、アルナを刺した事を許すつもりは無いけれど、今はそれよりも気になることがあり過ぎた。


「スードさん、教えて下さい。何があったんですか?」


「自覚無しか……。まぁ、隠してもしょうがない」


 そう言ってスードは私を真っ直ぐに見た。


「話を聞く覚悟はできてるか?」


「はい」


 何があったのかは分からないが、それを知らないでいるわけにはいかない。私は身構えて、スードの次の言葉を待った。


そなの力は万能じゃ無い。命が無尽蔵にあるわけじゃ無い。誰かを救うには相応の代償が必要なんだ」


 スードのその言葉は、私の背筋を凍らせた。まだ確定したわけでは無い。しかし、話の先を薄々と察して、私は嫌な予感に取り憑かれていた。


「そもそも供え子は、神魔塔党じんまとうとうが魔術によって生み出した存在だ。神魔塔党についてはどこまで知っている?」


 私は首を大きく横に振ると、スードは丁寧に説明を始めた。


「そうか。もともと神魔塔党は、神への到達を目的として発足した、魔術会議の下部組織だった。まあ、今では神魔塔党の力が強くなり過ぎて、魔術会議からほとんど独立しているがな」


 そういえば最初に鳥を介して盗み見ていた時、スードはもともと魔術会議の人間だったと途人達が言っていた。


 スードは私の理解を確認しながら、ゆっくりと話を進めた。


「そんな神魔塔党の研究の最大成果とも言われるのが供え子。超極秘の存在だ。供え子の体液を口にした者は、どんな傷も病も立ちどころに治癒し、さらに摂取し続けている限り不老不死を得る。そんな供え子の完成体、それがお前だ」


 という言葉に、私は驚愕した。怪我や病気を何でも治せるってだけで凄いのに、不老不死なんて存在だけでヤバいのは私にも分かった。


(そりゃあ、私の血を欲しがるわけだよね)


「ちなみに、心臓に近い血液ほど、その力は濃密だ」


 だから、彼らは私の血を回収する時、わざわざ毎回心臓を貫いていたのだ。これまであった疑問が次々と解決していく。


 ここまででも既に情報過多でお腹いっぱいな私に、スードは追い打ちをかける。


「だが、さっきも言った通り、供え子の力は無限じゃない。誰かに命を与えれば、それだけの命を必要とする」


 そう、ここからが本題だ。


 私は、ゆっくりと聞き返した。


「つまり、どういうこと?」


「供え子の力には生贄が必要ってことだ。お前もあるだろ? 力を使った後で空腹を感じたこと」


 心当たりは数え切れないほどあった。というか、血を流した後は、必ずその量に応じた空腹を感じた。


「生贄で命を補充しなければ、いずれ供え子は暴走し、強制的に周囲の命を奪い取る」


 話が見えてきて、私の心は重く暗くなっていく。


「神魔塔党では生贄に家畜とかを使っていたようだが、逃げ出したお前は命の補充をしていなかった。そうだろ?」


 私は黙って頷いた。


 それからスードは、アルナを示して言った。


「そして、俺がその子を刺した時に使った毒は死蜜しみつ。これは対象が死ぬまで侵し続ける超強力な毒。ほぼ不老不死のお前を殺す為に、俺が苦労して手に入れた物だ。そして、死蜜によって命を奪われ続けるその子を、お前は治癒し続けようとした。その結果がどうなるか、もう分かるだろ?」


 死蜜によって死に誘われ続けるアルナを救う為には、人ひとり分の命では足りなかったのだ。そして、不足した分の命を、暴走状態によって私は強制的に周囲から奪い続けたのだ。


 そして、その結果がハイナドの街の滅亡。ハイナドの全ての命を食らってようやく私の暴走は止まった。


 つまり、ハイナドを滅ぼしたのは、みんなの命を奪ったのは、だ。


 全く現実感が無かった。自分が何千人と殺したはずなのに、全く実感がわかない。そんな事実を簡単に受け入れられるはずが無い。


 ただ、確実に言えることは、今の私は空腹を感じておらず、満たされていた。疲労感も無く、力が満ち溢れていた。


 そういえば、短かったはずの髪もいつの間にか足下まで伸びている。


 全ては、ハイナドにあった命を全て喰らい尽くしたから。


「結果的に俺が危惧していた最悪の事態になってしまった。謝って済む問題じゃ無いのは分かっているが、悪かった」


 スードは頭を下げた。


 何千人という人間が死んでいるのだ。スードの言う通り、謝って済む問題じゃない。生き残った三人の間で、許すとか許さないとかの話をしても、それは大した意味を持たない。


 私はスードを責める気にはならなかった。スードはこうなる事を防ぐために、私を殺そうとしたのだ。


 そして、実際に街を滅ぼしたのは私だ。

 私は誰に謝ればいいのだろう? もうみんな死んでしまったのに。


 それから、私はアルナを見た。


 アルナは事前にスードから話を聞いていたのだろう。ずっと切なげな顔をしていた。


「……ッ」


 言葉が浮かばなかった。大きすぎる罪悪感に唇が震えて、声が出なかった。


「そういえば言い忘れてたが、その子は完全に治ったわけじゃ無いぞ」


「え?」


 スードの言葉に私は声をこぼした。


「死蜜は強力だからな、毒自体はもう抜けているだろうが、死へと誘う呪いとしてまだその子に留まり続けている。だから、定期的にお前の力で命を与え続ける必要がある」


「そんな! 何か治す方法は無いんですか?」


 すると、スードは少し考えるような素振りを見せてから言う。


「そうだな、あの人ならあるいは……」


 その時、突然森の中からガサガサと何かが駆けるような音が聞こえてきた。足音がしないが、それはこちらに向かって一直線に迫ってきていた。


「誰だ!」


 スードは警戒するように気配を探ったが、それは間もなく姿を現した。


 黒く大きな影がこちらを見ていた。

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