9-6 スードの目的

「ミリア、借りを返しに来た」


 『ミリア』と、スードは確かに僕のことをそう呼んだ。僕の知らないその名前がこの身の本当の名前なのだろうか。

 それに、『借り』が何の事だかさっぱりわからない。前の『私』はいったい何をこの男にしたんだろう。


「ミリア、君は覚えていないかもしれないが、俺は君に大きな借りがあるんだ。約束通り、


 スードは恐ろしい雰囲気を纏ったまま、刺すように僕を見た。その瞳には、長きに渡って蓄積されてきたであろう、重々しい感情がのっていた。


 本当に、はいったいスードに何をしたんだろう。どうやらミリアは因縁とか面倒事とか、全部ひっくるめて私に押し付けたらしい。


 私もよく聞かないまま人生の交換を受け入れたわけだし、お互い様だから文句を言う資格はないけど。


 そんなふうに困惑している僕に対して、クロトは髪と瞳を赤くして臨戦態勢をとりながらスードを睨んで聞く。


「お前はあいつと敵対していたんじゃないのか?」


 それに対して、スードは静かに答える。


「バインドたち神魔塔党じんまとうとうの目的は、供え子を捕らえて連れ戻すこと。俺の目的は殺すこと。全然違うだろ?」


「お前は不必要な殺しは好まないとかなんとか、さっき言ってなかったか?」


 クロトはスードという男を捉えかねているようで、訝しげに聞く。


「その言葉に嘘はない。だからお前らも大人しくしていれば危害は加えるつもりは無い。だが、そいつは別だ。存在だけで危険すぎる」


 スードは槍を手にして、僕に近づこうとする。


「レオ、そのまま押さえていろ」


 その直後、スードの眼前を炎がかすめた。


「俺たちが、ハクが殺されるのを黙ってみているはずないだろ!」


 クロトが睨みつけると、スードは比較にならない恐ろしい圧とともに睨み返した。

 それにクロトは一瞬怯みかけたが、一歩も引き下がらなかった。


「レオ兄も、いつまでこんな奴に従っているんだよ!」


 クロトが言うと、僕を拘束しているレオさんは悔しそうな顔をした。


「仕方ないんだ。俺たちの組織はもう限界がきていた。たった一人の犠牲で、子供達が全員保護されるなら、こんなにいい条件は無い」


 レオさんは自身に言い聞かせているようだった。


「そんなの、またこいつの嘘かも知れないだろ!」


「それなら、子供達の処遇については安心してもらっていい。しっかりと全員の面倒を見てやる。伝手つてならあるからな」


 スードは恐ろしい人物だったが、その言葉に嘘があるようには見えなかった。


 苦悩するレオさんと、今にもスードに襲い掛かっていきそうなクロトを見て、僕は静かに心を決めた。


 スード相手に戦ったところで勝ち目なんて無いし、レオさんの言う通り、こんな複雑で問題だらけの現状が僕一人の命で全て解決するなら、きっとそれが一番簡単で最善だろう。


 もともと私は元の人生を捨てるような人間だ。この世界での人生にそこまでの執着は無い。そりゃあ、魔法の世界に憧れはあったし、この人生をもう少し生きてみたいという思いがないわけじゃ無い。でも、この世界で短い間だけでも過ごせただけでも十分だ。

 それに、この世界は私には少し過酷すぎる。


 私は静かに口を開いた。


「クロト、レオさん、いいですよ。私一人の命で全て解決するなら、私も抵抗するつもりはありません」


「ハク! 何言ってんだ!」


 クロトは私に怒ったように言った。でも、クロトが傷つくよりずっとこの方がいい。


(余命宣告された時、アルナもこんな気持ちだったのかな?)


 ふいにそう思ってアルナを見ると、悲しそうな顔をしていた。けど、私の死で悲しんでくれる人がいる事が、私には少し嬉しかった。


 カイを見ると、涙を流している。やっぱりカイは泣き虫だ。


 サクは、不貞腐れたように目を逸らしている。サクはきっと誰よりも仲間の事を大事に思っているのだ。その中に私が含まれていないのは少し寂しいけれど、文句は言うまい。


「覚悟はできたようだな」


 スードは槍を手にして再び僕に近づき始めた。


 その時、僕の手を掴んでいたレオさんの力が緩んだ。


(え?)


 私が驚いて振り返ると、レオさんは覚悟の決まったような強い目をしていた。


「スードさん、やっぱり取引は解消させて下さい。俺達は別の方法で、全員で生きていく方法をさぐることにします」


 レオさんは僕にそっと謝った。


「ハク、ごめん。でも、やっぱり俺は誰かを犠牲にするやり方はできないみたいだ」


 僕から手を離したレオさんを見たクロトは、楽しそうに笑みを浮かべた。


「やっぱりそう来なくっちゃな! スード! そういうわけだ、俺達はハクを殺させるつもりは無い!」


「そうだよ! ハクを見捨てるなんて私達はしない!」


 アルナもスードを睨みながら言う。


 すると、一連の流れを見ていたソルドさんも立ち上がって、スードに剣を向けた。


「善良な子供を殺すとは、俺も見過ごすことはできないな」


 それから、カイとサクまでも、スードに敵対する意思を見せていた。


 みんなが、私のためにスードという恐ろしい敵に立ち向かっていた。


 その光景を見た私からは、自然と涙が溢れ出ていた。


(こんなに想われてて、いいのかな)


 正直、自分がみんなにそうされるだけの価値ある人間なのかは分からない。


 それでも、純粋に嬉しかった。


 そんな私たちの様子を見たスードは、大きなため息をついた。


「そうなるか……。まぁいい。ここまでくれば支障はない。少し手荒になるが、やむを得まい」


 そう言って、スードは鋭く私達を見渡した。


 そして、私達とスードとの最後の戦いが始まったのだ。

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