9-5 裏切り③

「スード、まさかお前、裏切ったのか!?」


 バインドの叫びに、スードは冷たく言葉を返す。


「そう受け取ってもらっても構わない。そろそろ頃合いだと思っていたんだ」


 目の前にいるスードという恐ろしい男の目的が何かは分からないが、仲間割れなら好都合だ。


 さっきのスードの攻撃の際に、僕達を縛っていたバインドの魔法は解けていた。毒のせいか僕だけはまだ痺れて動けないままだったが、クロト達は動けるようになったみたいだ。


 すぐ近くでは、スードとバインドという、二人の昇者による戦いが今にも始まろうとしていた。

 巻き込まれないうちに逃げ出したい所だったが、動けない僕は完全に足手まといだ。


「ハク! 大丈夫?」


 アルナが心配そうに僕を見た。


「ハクは俺が背負っていく」


 クロトが動けない僕を背負おうと近寄って来たが、さっきバインドの攻撃で受けたダメージがまだ残っているようで、かなり辛そうだった。呼吸は荒く、苦しそうに顔を歪めている。


 その時、僕の体が軽々と持ち上げられた。


「みんな、早く行くぞ!」


 僕を背負ったその青年は綺麗なブロンドの髪をしていた。


「レオ兄、なんでここに?」

「今は逃げるのが先だ。ついて来い!」


 突然現れたレオさんにみな驚きながらも、その頼もしい人物の出現に心を持ち直していた。


「お前も来るんだ」


 レオさんは、一人だけその場に立ち止まったまま動こうとしないサクに声をかけた。


「けど、俺は……」


 暗い顔をして俯いているサクに、レオさんは言う。


「言い訳や謝罪なんて、後でいくらでも出来る。今は一緒に来い! 生きてなきゃ何も始まらない」


「来い! あとで話はしっかり聞かせてもらうからな」


 クロトも少し怒った口調ではあったが、サクに言う。


 それでようやく、サクは苦しそうな顔をしながらも動き出した。


 僕達が階段を登り始めるとほぼ同時に、後ろからは激しい音が聞こえて来た。おそらく、そこではレベルの違う戦いが繰り広げられているのだろう。


 僕はレオさんに背負われたままだったが、仲間達と一緒に無事に地下を脱出できたのだった。


 ◇


 建物内をレオさんに導かれるままに進むと、僕達は屋外に出ることができた。


 そこは土のグラウンドで、おそらく衛兵達の鍛錬場だろう。


「ちょっと待って!」


 そのまま逃げようとしたクロト達をアルナが呼び止めた。


 アルナが指差した先には、地面に倒れている衛兵の制服を着た男の姿があった。まるで捨て置かれたようなその青年は怪我をしていて、放っておけば死んでしまいそうだった。


「そんなやつ、ほっとけよ」


 クロトは衛兵相手に冷めた目を向けて、逃げるのを優先しようとしたが、アルナは切実な顔をした。


「あの人、私たちを助けようとしてくれた人だよ」


「そうなのか? けどな……」


 アルナの話を聞いた僕は、僕を背負っているレオさんに言う。


「レオさん、あの人の所に連れて行ってください」


「……分かった」


 レオさんは僕の意志を尊重してくれるようだった。

 

 僕は青年の隣に座った。まだ体に痺れは残っているが、簡単な動作や喋るくらいなら少しはできる。


 その青年は、前に僕がロープで縛り上げた、正義感の強そうな衛兵だった。


「君は……」


 腹部から血を流しながら、青年は力無く僕を見た。


「ソルドさん! 大丈夫ですか?」


 僕の隣でアルナが声をかけると、顔色の悪いソルドは表情を少し明るくした。


「無事だったんだ、良かった」


 それからソルドは、少しだけ顔を顰めた。


「でも、脱走しているじゃないか。困ったな」

「そういうのは後にして下さい」


 アルナは困ったように優しく微笑んだ。


「ハク、お願いできる?」

「うん」


 僕は手首につけた銀色のブレスレットを半透明の刃に変形させ、手を傷つけた。


 何度やっても、やっぱり体に傷をつけるのは痛い。でも、痛みは一時的だし、すぐに治ることは分かっているから恐怖はそんなに無かった。ちょっとした僕の痛みで、誰かの命が助かるなら安いものだ。


 衛兵の口に血を垂らすと、いつも通り傷はみるみる癒えていく。


 すぐに元気になって僕達を捕まえに来られても困るから、あげる血は気持ち少なめにしたけれど、ソルドは驚いたように体を起こした。


「いったい何をしたんだ? こんな奇跡みたいなこと」


 ソルドはしばらく困惑していたが、思い出したように僕に頭を下げた。


「ありがとう、助かった」


 それから、ソルドは少し逡巡したのちに、僕に向かって言う。


「君に言われたこと、あれから俺なりに考えてみたんだ」


「え? あの時はあなたの意識を逸らす目的で、口からでまかせを言っただけで……」


「いや、君の言っていたことも一理ある。それで思ったんだ。もし君たちに違う生き方を提示できたらって。盗む以外にも選択肢があれば、君達はきっと善良で素晴らしい人材になり得るんじゃないかって……」


 それから、ソルドは恥ずかしそうに頭を掻きながら言う。


「とは言ったものの、具体的な考えがまだあるわけじゃないんだけど。俺からも隊長や領主様に君達の扱いについては申し入れてみようと思う」


「ありがとう。あなたのような方がいると心強い」


 レオさんは感激したように、ソルドの手を取った。しかし、すぐに寂しそうにその手を離した。


「けれど、そんなに簡単にはいかないのも事実です」

「それは、分かっているつもりだ。それでも、何もしないよりずっといい……」


 レオさんとソルドの会話を横目に、周囲を警戒しながら暇を持て余していたクロトはサクに聞いた。


「サク、そろそろ聞かせてもらえるか? なぜ、ハクを刺したのか」

 

 それに対して、サクは暗い目をして答える。


「あのバインドとかいう奴と、取引したんだ。ハクと引き換えに、仲間達を解放するって」


 その答えに、クロトは怒りのこもった目をした。


「だから、ハクを売ったっていうのか!?」


「そうだよ! あのままじゃカイやアルナだって殺されてた! だからハクを売った。ハクには申し訳ないけど、俺にとっては最近来たハク一人よりも、カイやアルナの方がよっぽど大事なんだよ!」


 声を荒げたサクの言葉は僕の耳にも届いていた。


 少し悲しい気もするけれど、サクの言い分はもっともだから、恨みや怒りは湧いてこない。

 みんなは突然やって来た見ず知らずの僕を、拾って、受け入れて、居場所をくれて、救ってくれた。それだけで僕にとってはとてつもない幸福だった。


 僕、……私にとってみんなは本当にかけがえの無い存在になっていた。一緒に過ごした時間はまだそんなに長くは無いけれど、前世での繋がりを全て失った私にとって、初めてできたこの世界での繋がりだ。だから、クロト達のためなら、何だってできる気がした。例え、それが一方通行の想いだとしても。


「サク……」


 クロトはサクの言葉に言い返せず、苦しそうに呟いた。


 そんなクロトに対して、サクは苦々しい顔をして言い訳がましく言い放った。


「それに、ハクは俺たちに隠している事が多過ぎる。そもそも、奴らの狙いはずっとハクだったじゃないか!」


 サクのその言葉は僕の心に突き刺さった。


 自分でもずっと後ろめたく思っていた事だ。しかし、僕だって自身の事について分からないことが多過ぎるのだ。


 僕は苦しさを表情に出さないように必死に堪えていたが、アルナが心配そうにこちらを見た様子から察するに、感情を隠し切れてはいないようだった。

 

「そいつの言う通り、俺達の目的はずっとその白髪の子供ただ一人だ」


 その場に浸透していくような低く恐ろしい声がした。見ると、槍を手にしたスードが僕らの前に立っていた。


 クロトが驚いたように口にする。


「あいつと戦っていたんじゃ……」

「バインドなら、今は地下で意識を失っているよ。あまり時間的余裕は無いんだ。いずれ、衛兵や神魔塔党の連中が集まってくる。だからその前に終わらせる。レオ!」


 スードはレオさんの名前を呼んだ。


 そして次の瞬間には、レオさんは僕の背後に立ち、僕が逃げられないように手を掴んで拘束していた。


「レオ兄!? どういうつもりだ!」


 困惑したクロトの言葉に、レオさんは辛そうな表情で答える。


「俺もサクと同じだ。取引したんだ、ハクの命と引き換えに子供達全員を保護してもらうと」


 想定通りに事が運んで満足げな笑みを浮かべるスードに僕が目をやると、スードは僕を真っ直ぐに見つめて言った。

 

「ミリア、借りを返しに来た」

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