7-4 癒し手
医者が去った後の部屋には、カイの啜り泣く声だけが、静寂を乱していた。
クロトは医者の宣告に打ちのめされているようだったし、余命宣告を受けた当のアルナは事実を受け入れるために深く考え込んでいるようだった。
「どうする?」
最初に口を開いたのはサクだった。
「あの医者を襲うか?」
サクは本気で襲いかねないような、暗く
「やめておけ、あの医者を襲ったところで何も変わらない。脅しが通用する相手でも無い」
クロトは暗い表情のまま、冷静に答えた。
「じゃあどうする? また金を集めるか? それとも、薬屋に直接盗みに入るか?」
モルフの提案にも、クロトは首を横に振った。
「魔証紋入りの金貨なんてそう簡単に手に入らねえよ。前回は運が良かっただけだ。薬屋には盗みに入ったところで奇跡クラスのポーションがあるか分からないし、リスクが高すぎる」
否定ばかりのクロトにカイが泣き止んで顔を上げた。
「リスクだとかそんなんでアルナ姉を見捨てるの!? クロト兄がそんな臆病で薄情なやつだとは思わなかった!!」
僕の腕の中にいるカイは再び泣き始める。
「だって、このままだとアルナ姉は本当に死んじゃうんだよ?」
「分かってる、俺だってこのまま黙って何もしないつもりはない! だけど、今回は失敗は許されない。だからこそ、計画を十分に練る必要がある」
クロトには余裕が無く、追い詰められたような顔をしていた。
「クロト、もういいよ。私のために、みんなに危険なことはして欲しくない。私は大丈夫だから。みんなと一緒に今日まで生きてこれただけで、私は十分幸せだったよ。あと三ヶ月、私はみんなと一緒に平穏に過ごしたい」
アルナは穏やかな顔をして言った。そんな全てを受け入れたようなアルナを、クロトは怒りのこもった目で睨みつけた。
「勝手に諦めてんじゃねえよ! アルナはそれで良くても、俺は、俺達はお前の死を黙って受け入れるつもりはない!」
クロトの言葉に他の三人も頷いた。どうやらクロト達はアルナのためなら、どんな危険だって冒す覚悟があるようだった。
その言葉にアルナは悲しそうな顔をした。アルナとしては、最後に残された三ヶ月をただみんなと一緒に平穏に暮らしたいのだろう。
(いや、違う。本当はアルナだってもっと生きたいはずだ)
僕は何もできない自分の無力が情けなかった。アルナには恩があるのに、いざ彼女が苦しんでいる時に、僕は何もできない。
その時、僕の頭に一つの疑問が浮かんだ。
(あれ? 本当に僕は何もできないのか?)
僕はこの世界に来てから、自分に起きた出来事を振り返った。
心臓を貫かれて血を奪われた事。黒狼の傷を治して仲良くなった事。
(もし、私の血が、それこそ彼らの言う“奇跡クラスのポーション”に匹敵する、万能薬みたいな力があるのだとしたら……)
「あの……」
僕は、医者が去ってから初めて声を発した。
すると、僕に寄りかかるようにして座っていたカイが、思い出したように私から離れて睨みながら言う。
「よそ者のお前には関係無い事だろ! 黙ってどっか行くか、大人しくしてろ!」
カイの言葉を受けて、クロトも疲れた顔で僕を見て言う。
「ハク、面倒なことに巻き込んで悪かったな。お前は自由にしてくれていて構わない」
どうやら僕はみんなにとってまだよそ者なのだと、少し寂しく思いながら僕は立ち上がった。
(アルナを思う気持ちはみんなに負けてるつもり無いのに)
アルナの所まで歩いていき、僕は言う。
「ねぇ、少し試したい事があるんだ」
「ハク?」
僕を見たアルナに、僕は優しく微笑みかけた。
そして手首に付けた銀のブレスレットから適当な量の髪を引き出し、魔力を流して半透明な刃へと形を変えた。
そして僕は、刃を左手の人差し指に押し当てる。
(イタッ)
僕は鋭い痛みで顔を顰めたが、こんな痛みはアルナに比べたら軽いものだ。
「アルナ、口開けて」
「ハク? 何してるの?」
戸惑っているアルナの口の中に、僕はまだジンジンと脈打つように痛む人差し指を有無を言わさず突っ込んだ。
「ンッ!!」
アルナも周りのみんなも困惑しているが、今はそんな事はどうでもいい。
僕がアルナの服を少し捲ると、大きく広がっていたアザが少しだけ小さくなっていくのが見えた。
(よし、効果がある! でも、まだ足りないか)
僕の血を口にしたアルナは、縮小するアザを見て、目を疑うように困惑と驚愕の視線を僕に向けた。
「ちょっと待ってて」
僕はキッチンに行って、コップを取り出した。
「ちょっとコップ借りるね」
「何するつもりだ?」
クロトが困惑した様子のまま、焦って僕を追って来ていた。
「アルナを助けるためだよ」
僕は自身の腕を刃で切りつけた。さっきとは比べ物にならない痛みに、表情が歪む。
「ハク!?」
「大丈夫、傷はすぐに塞がるから」
僕の腕から流れ出る血がコップの半分くらいまで溜まったところで、僕は傷を塞ぎ、刃の変形を解いて手首のブレスレットに戻した。
僕は血の注がれたコップを持ってアルナの所に戻って言う。
「飲んで」
コップを受け取ったアルナは、少し逡巡したのちに思い切ってコップに口をつけた。
目を瞑ったままゴクゴクと血を飲んだアルナは、飲み干した後で微妙そうな苦々しい顔をしていた。そういえば、僕も幽閉されていた時に黒い液体を飲む時はあんな顔をしていた気がする。
僕の血の効果は、まもなく現れた。
アルナのアザはみるみる消えていって、一分も経たないうちにアザは完全に消失し、アルナの腹部は元の綺麗な肌色に戻っていた。
「治った……」
アルナの呆気に取られたような呟きに、クロトが疑うように近づき、アルナの服を捲った。
「嘘だろ? マジで治ってる……」
「ちょっと!!」
アルナは恥ずかしがりながら、少し怒ったように強引に捲り上げられた服を戻す。
アルナはすっかり元気になったようで、僕は安心した。だが、それと同時に血を失った僕は少しふらついた。
「ハク、大丈夫?」
僕を支えたのは起き上がったアルナだった。
それを見たカイは驚いたように、近寄ってくる。
「アルナ姉、本当に治ったの?」
「うん、ハクのおかげで、今は元気いっぱいだよ」
そう言って笑顔を見せたアルナに、カイは再び涙をこぼした。
「もう、カイは泣き虫だなぁ」
アルナは優しくカイを抱き寄せた。
「だって、本当にアルナ姉が死んじゃうと、思ったから……」
「心配してくれてありがとうね、カイ。みんなも」
「奇跡だ……」
アルナが見ると、モルフまで涙ぐんでいる。サクは心の底から安堵したような顔をしていた。
一件落着したようで、僕は安心していた。それに、クロトやアルナ達のために何かできたのが嬉しかった。
自分が役に立った事、アルナが助かった事に、僕も少しだけ涙ぐむ。
そんな僕に、カイが反省したようなしおらしい態度で声をかけてきた。
「悪かったな。おまえにひどい態度取ってた」
素直なカイに、僕は微笑んで返す。
「いいよ、君たちにしてみたら僕はよそ者だし、ああいう反応になるのは当然だよ」
その言葉にカイは目を見開いて、真っ直ぐに言う。
「俺はもうよそ者だなんて思わない。アルナ姉を助けてくれてありがとう。それから、これからよろしく、ハク」
最後に目を逸らして、気恥ずかしそうに僕の名前を呼んだカイの仕草が可愛くて、つい笑みが溢れる。
「こちらこそよろしくね、カイ」
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