7-3 病と医者

「アルナの病気について、です」


 クロトの言葉に僕は耳を疑った。しかし、そんな僕を置いてけぼりにして、クロトとレオは話を続ける。


「良くないのか?」


「はい、いっこうに回復する様子が無いんです。そればかりか、どんどん悪化していて、このままだと本当に……」


 クロトの悔しそうに表情を歪めた。


「そうか、それは心配だな」


 レオもその言葉に見合った表情をしていたが、そこには心配するだけで行動を起こす気配がないという、微かな違和感を感じた。


「だから、医者に見せたいんです」


 クロトの言葉に、レオは険しい表情をした。


「クロトの気持ちは分かる。だが、それが難しいことはお前だって分かっているだろう。何か考えでもあるのか?」


「はい。これです」


 クロトはポケットから一枚の金貨を取り出した。その金貨には不思議な紋様が刻まれていた。その紋様は樹木のようにも見えるが、奇妙なことに枝と根が繋がっている。裏には何やら文字も刻まれているようだった。


「なるほど、魔証紋入りの金貨か。いったいどこで手に入れた?」


 レオの言葉にクロトが沈黙で返すと、レオは溜息をついた。


「まぁ、いいだろう。分かった、医者はこちらで手配する。一人、依頼を受けてくれそうな人に心当たりがある。その性質上、人柄には問題があるけれど腕は確かな人だ」


「レオ兄、ありがとう。これは前金です」


 クロトは金貨と同じ紋様の刻まれた銀貨三枚をレオに投げ渡した。


「確かに受け取った」


 それからレオはクロトに対して心配するような視線を向けた。


「クロト、あまり無茶をし過ぎるなよ」


「……できる限り、気をつけます」


 そんなクロトに対して、若干の危うさを感じたのはきっと僕だけでは無かったはずだ。



 ◇



「アルナ、大丈夫?」


 咳き込むアルナに対して僕は心配して声をかけた。


「うん、大丈夫だよ。ハク、心配かけてごめん」


 そう言ったアルナの顔色は悪く、明らかに病状は悪化しているようだった。


 レオさんに挨拶に行った時まで、僕はアルナが病気だなんて知らなかったし、気がつかなかった。


 だが今、目の前にいるアルナは明らかに弱っていて、病弱な少女にしか見えなかった。


「だから、無理をするなと言ったんだ」


 クロトは怒った口調で言ったが、それが心配から来るものだというのは僕でも分かる。


「最近は調子が良かったからさ、ハリキリすぎちゃった」


 アルナはおちゃらけた態度で笑って言ったが、すぐに苦しそうに咳き込んだ。


「アルナ、すぐに医者が来るからな」


 クロトの言葉にアルナは申し訳なさそうな顔をする。


「そこまでしてくれなくていいのに」


「気にするな」


 その時、カイが部屋に飛び込んで来た。


「来たぞ!」


 その声を聞いて、僕は咄嗟に白髪を魔法で灰色に染めて帽子をかぶった。魔力も使うしまだ不安定だが、白髪は目立つからレオさんの所に挨拶に行った後からは、人前ではなるべく髪色を変えるようにしている。


「こっちです」


「こんなオンボロの家に住んでるのか?」


 モルフに案内されながら部屋に入って来た背の高い男は黒衣を纏っていた。医者は白衣だという文化がこの世界には無いのか、あるいはこの男が変なのかは僕には判断がつかなかった。


 男は部屋に入って古いソファに寝かされているアルナを見つけると、その隣にいたクロトに言う。


「金は?」


 その一言で僕は一気にこの男が嫌いになった。こんな身寄りの無い子供達の依頼を受ける人間は、慈悲深い聖人か欲深い悪党だろうが、どうやらこの人は後者のようだ。


 しかし、そんなことは承知の上のクロトは顔色一つ変えずに金貨を渡した。


「お願いします。アルナを助けてください」


「ほぅー、魔証紋入りの金貨か。いいぜ、診てやる」


 男は金貨を見て、満足げな笑みを浮かべるとアルナに近づいた。


「お前だな」


「お願いします」


 その男にアルナは怯える様子も無く、礼儀正しく言った。


 その男は真剣な表情になってアルナの服に手を伸ばそうとしたが、途中で手を止め、その様子を複雑そうな表情で見守っているカイやサク達に嫌な目を向けた。


「お前らはここにいていいのか?」


 その言葉に僕は少しだけこの医者のことを見直した。どうやらそれなりの気遣いはできるようだ。


 クロトは目をパチパチさせているアルナを見てから、モルフに指示を出した。


「モルフ、二人を頼む」


「分かった」


 モルフに連れられて、カイとサクは不安そうな顔のまま部屋を出て行った。


「お前はいいのか?」


 医者は部屋に残っている僕に尋ねたが、僕はこちらを見つめるアルナと目を合わせてから答える。


「僕はここにいるよ」


「そうか、じゃあ始めるぜ」


 そう言って、男はアルナの服を捲った。


 アルナの腹部は大きなアザのように変色していた。黒く禍々しいそのアザは下腹部から胸の辺りまで広がっていた。


 その痛々しい光景を見て、僕は胸を締め付けられるような苦しさを感じて、拳を強く握った。


「痛みの程度は?」


「見た目ほどは痛くないです。ただ、痛む時はぐちゃぐちゃに潰れているんじゃないかって程の激痛があります」


「痛みには波があるって感じか」


「はい」


 男の顔は真剣そのもので、病に向き合う医者として頼り甲斐のある強い眼をしていた。


「きっかけはここに傷を負った事か?」


 男はアザの中心にあたる左脇腹を指して聞いた。


「はい」


「そこに怪我をして、それからアルナの体調がおかしくなったんだ。最初は時々ちょっと痛むだけだったのが、そのアザがどんどん広がっていって、体調を崩す事も多くなった」


 クロトが必死な様子で説明する。


「なるほどな」


 男は、少し考えるように難しい顔をした。


「最後に質問だ。魔力量について何か言われたことは?」


「少しなら魔法は使えますけど、クロトほどじゃ無いし、魔力量についてはよく分からないです」


 アルナの返答で、男は一つの結論に至ったようだった。


「魔乱病だな。魔力量の多い子供に稀に起きる病だ。怪我とかがきっかけとなって、体内の魔力のバランスが崩れるんだ。それで、本来は体を守るはずの魔力が、逆に体を蝕んでいき、いずれ死に至る」


 『死』という言葉に、空気が重たく凍りつく。


「治るんですよね」


 クロトの問い掛けに、男は少し沈黙の後に、溜息を吐いて答えた。


「魔乱病、しかもここまで進行しているとなると、治す方法は奇跡クラスのポーションか凄腕の治癒師に頼むくらいしか無いだろうな」


 そう言ってから男は、頭の中で計算するように指を動かして、最終的に指を五本立ててクロトに見せた。


「そうだな。魔証紋入りの金貨、あと五枚で何とかしてやる」


「は? もう金貨一枚渡しただろ?」


 クロトは動揺を露わにしたまま、男に対して猜疑心を向けた。


「言ったろ。俺の手にはあまるんだ。こいつを治すためにはそれだけの額が必要だ」


「ぼったくりだろ!」


 クロトは男を睨んだが、男は表情を変えずに淡々と言う。


「俺だって助けてやれねえのは、心苦しいんだぜ? ま、金が用意できたらまた呼んでくれ。呼び出し料はサービスしてやるよ」


 そう言って、男は帰ろうとする。


「おい、待てよ!」


 クロトが男の手を掴むと、男は冷徹で恐ろしい目で睨んだ。その目を見たクロトは悔しそうに手を離した。


 そのまま帰って行こうとする男に、部屋の外で隠れて話を聞いていたカイが飛び出した。


 カイは両手にたくさんの銀貨や銅貨を抱えていた。


「なぁ、俺の全財産だ。これ全部やるから、アルナ姉を助けてよ!」


「は? そんなんじゃ全然足りないぞ?」


「だったら俺の全財産も渡す!」

「俺もだ!」


 モルフとサクも姿を現して言った。


 そんな三人の子供達に対して、男は冷たく聞く。


「それは、魔証紋入り金貨五枚に相当するのか?」


 その言葉には、みんな悔しそうに顔を伏せた。


「金が無えなら話は終わりだ。どけ」


 男は立ち塞がっていたカイを強引に突き飛ばして、道を開けた。部屋中に硬貨が散らばる音が鳴り響いた。


 一度地面に倒れたカイだったが、すぐに立ち上がって立ち去ろうとする男にしがみついた。


「なぁ、おまえ医者なんだろ? 医者だったら、アルナ姉を治してくれよ!!」


 そう言ったカイの目には涙が浮かんでいて、泣きじゃくりながら男の黒衣を掴んでいた。


「これだから、ガキは嫌いなんだ。いいか、俺は慈善事業で医者をやっているわけじゃない。しかも、リスクを取っておまえらを相手にしてんだ。十分な金を貰えないなら商売にならねぇよ」


 男は今度は力強くカイを蹴り飛ばした。


「カイ!」


 アルナが声を上げたが、すぐに苦しそうに咳き込む。


 カイは数メートル離れた僕の所まで飛ばされ、受け止めた僕の腕の中で崩れ去るようにうずくまった。僕は膝をついてカイを支えたが、カイはなおも顔だけ上げて泣きながら男を睨んでいた。


「診察料として金貨は頂いていく。だが、そうだな、値段的にこいつはやるよ」


 そう言って医者の男はガラスの小瓶をクロトに投げ渡した。


「中級ポーションだ。それで痛みくらいなら和らぐだろうよ」


 それから男は最後に思い出したように言う。


「そうだ、魔乱病はある程度進行すると、そこからは加速度的に悪化していく。そいつの寿命はもってあと三ヶ月くらいだろうな。精々、残りの時間を有意義に過ごすことだ」


 それだけ言って、男は部屋を出て行った。


 男が去った後には絶望的な現実だけが残されて、僕たちは部屋に満ちた重苦しい空気に為すすべなく押し潰されていた。

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