6-2 追手

(捕まっている?)


 そこは、鳥籠の中のようだった。 


「その鳥、殺さなくていいのか?」


「ああ、スード様から殺すなとの指示だ」


 顔を隠した二人の黒装束の男達が会話をしている。


「でもそのスードって奴は、ついこの間来たばかりの新入りだろ? 魔術会議から送られてきたからって、いきなり『昇者しょうじゃ』扱いって気に入らないよな。俺たちは何年も『途人とじん』として下っ端やってんのに」


 そんな二人の会話に突然、別の男が割り込んだ。


「君たち、ダメじゃないか。いくら気に入らないからって、スードは一応だよ。君たちがそんな口を聞いていい相手じゃない」


 二人の背後にはいつの間にか、男が立っていた。二人と違って顔を隠していないその男は、緑色の不気味な瞳をしていた。


 その男の出現に二人の途人は恐れるように体を震わせた。


「申し訳ありません。バインド様」


「上下関係が崩れれば組織の秩序が崩れる。まぁ、特別に今回だけは見逃してあげるよ。俺としてもあいつは気に食わないからな」


「悪かったな、気に食わないやつで」


 さらに現れたもう一人の男に二人の途人たちは一層震えた。鳥籠の振動が伝わってくる。


 その男の纏う雰囲気は闇そのものといった感じで、鳥を介していても恐ろしさが伝わってきた。


「スード、何の用だ?」


 バインドと呼ばれていた緑色の目の男は、スードに対して露骨に嫌そうな顔をした。


「バインド、お前に用は無い。俺が用があるのは、そこの二人だ」


 スードはバインドを放置して、黒装束を着た二人の途人に近づいた。


「それで、逃げた『そな』の情報は何か掴めたか?」


「い、いえ。深紅の瞳の白髪の少女を見ていないか、聞き込みを始めたばかりで、まだ何も」


「そうか」


 スードの冷たい声に、鳥籠を持つ手が再び揺れた。


「それよりスード、本当にあのガキはこの街にいるのか?」


 バインドの疑うような言葉に、スードは自信ありげに答える。


「ああ、陽動の鳥が現れた二ヶ所と森に残っていた痕跡から推測すれば、このハイナドの街の方向に逃げたのは間違いないだろう。まあ、お前はまんまとその陽動に引っかかって、取り逃したようだが」


 その言葉にバインドは不愉快そうに顔を歪めた。


「焦る必要は無い。そう遠くない内に必ず見つけるさ。それまで、


 そう言ってスードはその黒く恐ろしい瞳で鋭く私を見た。


 ギョッとして、私は意識を引き戻した。


 鳥を介して覗き見していた事に気づかれていた。こちらの場所までは向こうに伝わっていないと思うが、私は心の底から恐怖を感じ、湯に浸かっているはずなのに寒気で震えた。


「大丈夫?」


 顔を上げると、アルナが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


「う、うん。大丈夫。気持ち良すぎて少し寝落ちしかけちゃってた」


「そう? まだ本調子じゃ無さそうだし、無理しないでね」


「うん、ありがとう」


 それから風呂を出て体を拭いた後、アルナに借りた服を着ながら私は尋ねた。


「ねぇ、アルナ。この街の名前って知ってる?」


「え? ハイナドだけど……」


 アルナは私の質問に不思議そうに首を傾げた。


「へぇー、そうなんだ」


 奴らが、追手が来ている。私は騒つく心を隠して、アルナと共に食卓に向かった。


 ◇


 部屋に戻ると、クロトとサクとカイの三人の姿があった。


 朝食のシチューのいい香りがして、私は唾を飲み込んだ。


「クロト君、お風呂ありがとう」


 私のその言葉に、私が来てからずっと不満を募らせていたカイが反応した。


「風呂!? ずるい! なんでコイツばっかり!」


「カイも後で入っていいから」


 アルナがなだめようとするが、カイの気は収まらないようだった。


 カイは机を叩いて言う。


「クロト兄もアルナ姉も、よそ者のコイツばっかりにいい思いをさせて、俺たちにそんな余裕無いのに、全部俺達が必死に命懸けで手に入れてきた物だろ!!」


「カイ、少しはわきまえろ!」


 クロトの厳しい口調に、カイは怒りを露わにした。


「もういい!!」


 カイはそのままその場を離れて、どこかに行こうとした。


「カイ、シチューは?」


「要らない! 俺達よりそいつの方が大事なら、そいつにたらふく食わせてやれよ!」


「カイ!」


 アルナの制止も聞かず、カイは感情的に部屋を出て行った。


「俺が行くよ。クロト達は先食べてていいから」


 サクがカイを追って行ったが、その際に私に向けられたサクの冷たい視線の棘は、私の心に深く刺さった。


「ごめん、私のせいで」


「気にしないで、あの子達がまだ子供なだけだから」


 アルナはそう言うが、全て私が原因だ。罪悪感が痛い。


 クロトが気を利かせてか、話題を変えた。


「それはそうと、風呂に入って随分と見違えたな。石鹸使ったのか?」


「あたりまえでしょ?」


 クロトとアルナのやり取りから察するに、どうやら石鹸も貴重らしい。


 だが、そんな事はさらっと流して、クロトは私の心配をする。


「風呂は問題なく入れたか? 温度の調節とか面倒だったと思うけど」


「うん、アルナが何から何まで手伝ってくれたから」


「そうか、なら良かった。って、まさか、一緒に入ったわけじゃないよな?」


 クロトは焦ったように聞いてきた。


「そこまではしてないよ。石鹸の使い方を教えて背中と髪は洗ってあげたけど」


 アルナの返答にクロトの表情は一瞬固まる。


「は? いや、まぁアルナがいいのなら……」


 クロトは少し困惑しているようだった。


(ああ、なるほど……)


 私はクロトの反応に納得できる答えを見つけた。



「そんなことより、早くシチュー食べよう!」


 痺れを切らしたアルナの言葉に私の食欲は跳ね上がった。


「ああ、そうだな」


 クロトとアルナに勧められるままに、席に着く。


 目の前のシチューは美味しそうで、私の手は震えていた。


「どうぞ」


「いただきます」


 スプーンでシチューを口に運んだ瞬間、味と香りが口いっぱいに広かった。


(おいしい……)


 塩味と旨味のある、ありきたりで普通のおいしいシチューだった。


「ちょっと、大丈夫?」


 感極まって涙を流す私に、アルナが慌てたように声をかける。


「ごめん、おいしくて……」


 まともな料理を食べたのは、とても久しぶりだった。


(ああ、私、ちゃんと生きてるんだな……)


 涙ぐみながら、私はシチューを再び口に運んだ。


「これ、クロト君が作ったの?」


 私が聞くと、クロトは私の涙に驚いた様子のまま答える。


「ああ、そうだけど、そこまで……」


「おいしいよ、ありがとう」


「そ、そうか。それならいいんだけど」


 若干引かれている気もするが、私はそのままシチューを完食した。


「ご馳走様、ありがとう」


「おかわりする?」


 アルナが聞いてきたが、私は食べたい欲求を必死に堪えて首を横に振った。


「カイ君とサク君に残しておいてあげて」


「分かった、ありがとうね」


 アルナは少し心苦しげに優しく微笑んだ。



 それから食器を片付けて、ひと段落した頃、クロトが言った。


「なあ、ずっとタイミング逃してたんだけど、そろそろお前の名前、聞いてもいいか?」


「あっ」


 そういえば、まだ名前を名乗っていなかった。


(名前か……)


 この時の私は、お腹も少し満たせて、冷静に状況について整理できる程度には体調も回復していた。


 壁に立てかけられた割れた鏡に映る自分の姿が目に入った。深紅の瞳、白い肌の子供で、純白の髪は槍で強引に切った時のまま短くなっている。


 それから私は、私の答えを待っているクロトに視線を戻した。


(うん、そうだな)


 私は目を閉じてひと呼吸してから、静かに心を決めて、目を見開いた。


 そして、私の新たな名前を穏やかに口にした。


「僕の名前はハク。ハクだ。改めて僕を助けてくれてありがとう、クロト君」

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