第一章 

出会いと癒し手

5 街

 すっかり日が暮れた夜の闇の中で黒狼の足が止まった。


 私が黒狼の背中から降りて前方に視線を向けると、そこには幾つもの灯りが見えた。


「街だ」


 人工的なその光の集合体は、前の世界で見た夜景に比べるとかなり控えめだが、人の生活の気配は十分に伝わって来た。


「ここまで連れてきてくれて、ありがとう」


 黒狼を撫でながら言うと、黒狼は体を寄せてくる。


「そんなに寂しがらないでよ。行けなくなっちゃう」


 私も離れることに切なさを感じて、友をぎゅっと強く抱きしめた。


 しばらくそのまま心を交わした後、黒狼は私から体を離した。


 黒狼はそのまま私から離れると、森の奥にゆっくりと歩いて戻って行く。最後に振り返った黒狼は、その美しい瞳で私を見つめてきた。


「ありがとう。またいつか、きっと会えるよね」


 黒狼は私に背を向けると、風のように駆け出して森の闇の中に溶け込んで行った。


 ◇


 しばらくは黒狼の去って行った闇を見ていた私だったが、いつまでもここに留まっているわけにもいかないから、身を翻して反対側の光に向かって歩き出した。


 街に近づくにつれて、人々の暮らす音が聞こえて来た。森の中の動物や自然が奏でる音とは違ったその雑音に、私は少し懐かしさを覚えた。


 一番最初に見つけたのは、古びた木造の小屋だった。森の側に建っているが、空き家のようで人の気配はしなかった。


 私はその小屋を通り過ぎて、街の光の方へと歩みを進めた。


 この辺りの建物はどれも木造のようで、崩れそうに傾いているものも多い。明かりが付いている家も無いから、人は住んでいないのか、あるいは既に眠っているのかもしれない。


 私はとりあえず人間の姿を確認しようと、細い裏路地のような道を通って、人々の喧騒が聞こえる方へと向かおうとした。


 しかし、一日の疲労が溜まっていた私は、地面のちょっとした起伏につまずいて転んでしまった。


(イタッ)


 地面に倒れ込んだ私は、力を振り絞ってふらふらと立ち上がった。


 転んだ時にできた傷はすぐに治るだろうが、疲労や空腹、眠気は消えない。


 体を休める場所や食べ物など、この世界で生きていく方法を真面目に考えなくてはいけないと、今更ながら気がついた。


 あの牢に囚われていた時は、逃げることで頭がいっぱいでその先のことは何も考えていなかった。


 最悪、ここに来る途中で見つけた空き家で一晩を過ごす事も視野に入れた方がいいかもしれない。


 それでもとりあえずは誰かに会おうと思った私は、路地に漏れ出る薄光に照らされた自身の姿を見て足を止めた。


 泥だらけの裸足の足、血で汚れたボロボロの服、髪だってボサボサだ。全身汚れたこんなみすぼらしい状態では、白い肌だって不健康に見えてくる。


(こんな状態じゃ、人前に出れない)


 私は途方に暮れた。替えの服はおろか、何一つ持ち物を持っていない。


 改めて考えると、かなり絶望的な状況だ。


 それでも立ち止まっていても仕方ないと、私が再び歩き出そうとした時、足の力が抜けた。


 視界がぶれて、次の瞬間には地面が顔のすぐ側に迫っていた。


(イタイ……)


 地面に這いつくばった私はもう一度、立ち上がろうとした。しかし体に力が入らない。


(あれ、おかしいな)


 体力の限界だった。起き上がれる気がしない。


(起きないといけないのに……)


 次第に頭も働かなくなってきた。


(これが行き倒れってやつか……。私、野垂れ死ぬのか……)


 視界がぼやける。


 もう抗う気にもならなくて、私は疲労感に身を任せて、そのまま意識を失った。



 ◇◆◇



「逃げろ!!」


 俺達は全力で走って入り組んだ裏路地を逃げた。


 しばらく走ってから振り返ると、追手はもう見えなかった。


「今日は上手くいったな」


「ああ」


 今日の収穫の鞄を見て、俺は仲間たちと喜び合った。


 盗んだ鞄を探って財布を取り出すと、仲間の一人が中身を覗き込んでくる。


「やったぜ! 金貨も入ってる。これだけありゃしばらくは生きていけるな」


 モルフという名前のそいつは嬉しそうに言ったが、俺はその金貨を取り出して渋い顔をした。


「厄介だな、魔証紋が入っている」


 キラキラと黄金に輝く金貨には、刻印と共に魔法が刻まれていた。


「なんでだ? 魔証紋入りは価値が高いんだろ?」


 よく理解していないモルフに俺は説明する。


「バカ、俺達みたいなのが魔証紋入りの金貨なんて使ったら怪しまれるだろ!」


 魔証紋入りの硬貨は保護や軽量化の魔法が刻まれていて、価値は普通の硬貨に比べて数倍跳ね上がるが、流通している多くは上流階級に限られている。


「そうか、じゃあどうする? それ捨てるか?」


「んなわけないだろ。使い道が無いわけじゃ無いし、手間は掛かるがレオ兄に頼めばいろいろとやりようもある」


 俺は魔証紋の刻まれた金貨一枚と銀貨三枚を取り出し、残りの硬貨が入った財布をモルフに投げ渡した。


「残りは三人で山分けしろ。今回の報酬はそれでいいだろ?」


「やったぜ!」

「クロト兄、太っ腹!」

「おい、お前らいったん落ち着けって」


 わいわいしているガキ共に笑みをこぼしながら、俺は他に何か入っていないか鞄を探った。


 そして、本や書類ばかりの中に、俺は一つの小さな木箱を見つけた。


(なんだろう?)


 箱を開けると、中には指輪が入っていた。赤い大きな宝石がついている。


「クロト兄、なんだそれ!?」


 目敏く寄って来る最年少のカイに俺は言う。


「これは俺が預かる」


「え〜、いいな〜」


「カイ、報酬は十分貰っただろ」


 モルフはカイをなだめながら、俺に銀貨を渡してきた。


「え? 金額的に俺は十分……」


「クロトも生活があるだろ? アルナのためにも、俺達の総意だ」


 見ると、カイと隣のサクも笑顔で頷いた。


「モルフ、サクとカイも、ありがとな。これはお前達の好きにしてくれ」


 俺はモルフに鞄を渡した。金にはならなくとも、使い道はいくらでもある。鞄や本、紙だって俺たちにとっては貴重なものだ。


「さて、帰るか」


 そうして俺達はアジトへと帰ろうとした。


 しかしその途中で、ふと横道に目をやった俺は足を止めた。


「クロト、どうかしたか?」


「人だ」


 そこには一人の人間らしきものが倒れていた。


「それ、生きてるの?」


 サクが聞いてきたが、俺もぱっと見ただけでは判別できずそっと近づいた。


 それは、俺と同い年くらいの子供に見えた。やつれたように白く細い体、服はボロボロで全身汚れていて、普通の人なら近づく事さえ躊躇うような惨めな有様だった。

 

 それに近づいた俺は、血と獣の匂いが混ざったような酷い臭いに鼻を手で覆った。森で獣に襲われたりでもしたのだろうか。


 ゆっくりと体に触れた俺はまだ体温が残っている事にまず驚いた。それから、口元に耳を寄せると、微かだが呼吸音が聞こえた。


「生きてる」


 俺が驚きと共に言うと、モルフが聞いてきた。


「知ってる人か? どこかの班で見たことは?」


「いや、見た事ないな。もしかしたら、森の方から来たのかもしれない」


「あの森を抜けて来たっていうのか?」


「分からない。だが、このままだと間違いなく死ぬだろうな」


 俺はその死にかけの子を背負おうとした。


「どうするつもり?」


 カイが怯えたような口調で聞いてきた。


「もちろん、助ける」

 

「そんな見ず知らずの人を? 俺達にそんな余裕ない! それに臭くて汚いよ」


「カイ、俺たちだってレオ兄に拾われてなかったら死んでいた。こうやって助け合う事で俺達の組織は成り立ってるんだ」


 俺の厳しい言葉に、カイは口を閉ざしたが、まだ少し不満げだった。


 だが俺はそれに構わず、死にかけを背中に抱えた。


(軽いな)


 消えそうな呼吸を聞きながら、俺はアジトへの道を歩いた。

  

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