4 獣

 全身が重たく、何十キロもの重りが付けられたまま歩いているような気分だった。それに空腹感もあって、何でもいいからかじり付きたい気分でもあった。


(疲れた)


 朦朧とする意識を何とか繋ぎ止めて、私は歩き続けた。


 自分の呼吸音と心臓の鼓動が聞こえる。


 今はいったいどこまで来ているのだろうか。


 森の奥の方まで来ているのは確かだろうが、行く当てもない。いったいどこまで逃げればいいのかも分からない。


「ヴゥゥゥ〜〜!!」


 突然唸り声が聞こえて目を向けると、黒い狼のような生き物がこちらを睨んでいた。


 体長は三メートルくらいだろうか。大きく立派な牙と爪を持っている。


 しかし、その黒狼は寝そべったまま動く気配がない。


 よく見ると、黒狼の腹部からは血が出ているようで、その立派な毛並みを濡らしていた。


 最初は恐怖を覚えたが、怪我をしたその獣を見て何だか親近感が湧いてきた。


「こんにちは、君も私と同じで満身創痍なのかな」


 月のような美しい瞳をしているその黒狼にゆっくりと近づくと、黒狼は警戒して立ち上がろうとした。しかし、痛みに唸ってその場に再び座り込む。


「無理しないで、敵対心は無いよ」


 私も体力はもうほとんど残っていなかった。だけど、一人で死ぬのは少し寂しいから、獣であっても誰かの体温に触れたかった。


 私がその大きな体に触れようと手を伸ばすと、黒狼は私の腕に噛み付いた。


「イタッ!」


 右腕に大きな牙が食い込み、そのまま食いちぎられるんじゃないかとさえ思った。しかし、私は痛みに耐えながら左手で黒狼の体を優しくさすった。


「大丈夫だよ」


 この程度の痛みは、心臓を貫かれるのに比べたら全然マシだ。


 そして、私の流れ出した血が黒狼の口に入ると同時にそれは起こった。


 黒狼の腹部にあった傷がみるみる癒えていったのだ。


 黒狼は私の右腕から牙を離すと、まるですっかり元気になったように立ち上がった。


(なるほど、これが私の血の力か。奴らが欲しがるのも頷ける)


 そう納得のいった私だったが、体力がいよいよ限界でふらふらと倒れそうになった。


 すると、黒狼がそっと体を寄せて、私を支えてくれた。


「ありがとう」


 私が掠れた声で言うと、黒狼は返事をするように短く唸った。


 伝わってくる温かい体温が心地良かった。木漏れ日が頬に触れ、安らかなの気配の中で、私は眠りにつこうとしていた。



 しかし、木漏れ日を遮る大きな影が私達を覆って、私は目を見開いた。


 そこには、全長が五メートルはありそうな、大きな熊のような化け物が立っていた。


 その凶暴そうな眼と、血のついた爪を見て、私はすぐに勘づいた。


(この子を傷つけたのは、このクマだ)


「ブァォゥーー!!」


 クマは私達を見ると、とても熊とは思えないような咆哮を上げた。


「ヴァゥゥゥーー!!」


 それに対して、黒狼は私を庇うように、唸り声を上げた。しかし、声量でも体格でも熊の方が勝っている。


 もう意識を保つだけでも精一杯だったこの時の私は、少しおかしくなっていたかも知れない。


 しかし、私の友である心優しき黒狼を傷つけたこの熊を明確に敵だと認識していたし、私の空腹感も限界だった。


「お前、美味そうだなぁ」


 そんな言葉を口走った気がする。


 それからの記憶は朧げだが、次に私が正気に戻った時には、私の服や体は血塗れになっていて、熊は死体になっていた。


 私がどんな魔法を使ったのかはあまり覚えていないし、思い出そうとすると頭痛がするけれど、結果的に私は黒狼と共に生き残ることができた。


 少し体力も回復していた私の顔に、黒狼は頭を寄せて来た。


「え? お礼をしてくれるの?」


 黒狼は小さく唸って返事をした。


「ありがとう」


 黒狼を撫でながら私は言う。


「じゃあ、向こうまで乗せて行ってくれる? 私は奴らから逃げなくちゃならないの」


「ヴァウッ」


 そして、私が背中に乗ると、黒狼は駆け出した。


 森をしなやかな足で素早く駆け抜ける黒狼の背中に抱きつき、私は幸せな温もりを感じながら体を休めた。


 


 



 

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