3 脱走

 この牢で過ごす一ヶ月の間に、私はこの世界に魔法が存在することを確信した。前の体には無かった不思議な力の気配を感じていたし、暇な牢生活でいろいろと試す時間は十分あった。

 

 そもそも、私が心臓を貫かれても次の日には傷が塞がって生きているというのは、前世の常識では考えられない。


 私がここに閉じ込められている事を考えれば、ひょっとしたらこの世界でも私の能力は特別なのかもしれない。


 私を閉じ込めている奴らの目的が、おそらく私の血液だという事は推測できる。しかし、それ以上の事は何も分からなかった。ここの人は皆、私との不必要な会話を禁じられているようで、何の情報も得られなかったのだ。


 それでも、魔法さえあれば、何とかなる気がした。魔法の無い世界にいた私には、魔法について詳しくは分からないけれど、魔法の使い方なら少しはこの体が覚えている。


「時間だ。出ろ」


 黒装束の男二人が例のごとく私を迎えに来た。


 これまでの三回の嫌な記憶が脳裏をよぎる。もう心臓を貫かれるなんて経験は二度としたくない。あんなのは一度で十分、いや、一度も経験しなくたっていい。


 牢には何か特殊な結界でも張られているようで、監視の目を盗んで逃げようとしても、どうしたって牢から出る事はできなかった。だから、脱走の機会があるとすれば、彼らが私の血を集める儀式のため、私を牢から出すこの時だけだった。


(いまだ!)


 私は牢を出ると同時に男を突き飛ばし、いつも向かう方向とは反対側に駆け出した。


「こいつ!」


 しかし、もう一人の男が私の髪を掴み、私を強引に連れ戻そうとする。


「イタッ!」


 私は髪を引っ張られる痛みに表情を歪めながら、咄嗟に男が持っていた槍に視線をやった。


(なら……)


 私は男に向かって敢えて近づいた。

 そして髪が緩んだ瞬間に槍の穂に向かって頭を振り、自分の髪を切り離した。


「なに!?」


 髪を掴んだままの男はバランスを崩し、後ろによろける。


 髪はかなり短くなったが、逃げるのに邪魔だからちょうど良い。


 それに、目くらましにも使えるから、一石二鳥だ。


「私の一部でしょ。お願い!!」


 私から切り離された長い白髪は、二羽の白い鳥に姿を変えると、男たちの目の前で羽ばたいた。


「うわっ!」

「なんだコイツら!」


(よし、上手くいった!)


 魔法の成功を喜びながら、私は男達が鳥の相手をしている間に走って逃げた。



 ところが、廊下の突き当たりに近づいた時、男の投げた槍が背中から私に突き刺さった。


「ウッ!」


 しかし、私は足を止めず、痛みを耐えながら突き当たりを左に曲がる。


 そして、走りながら槍を引き抜いた。血がどっと吹き出し、呼吸は荒くなるが、私はそれでも足を止めなかった。


 心臓を貫かれても死なないのだ。これくらい何とかなるはずだ。


(治れ、治れ、治れ!!)


 少しずつ傷が塞がっていく感じがした。


(よし、上手くいってる)


 どこに行けばいいかは分からなかったから、私は直感に従って走った。


 しかし、行き当たりばったりで全てが上手くいくはずはなく、私はすぐに行き止まりにぶつかった。


 後ろからは男が追って来ていた。追って来たのは槍を持っている一人だけだから、もう一人は応援を呼びにいったのかもしれない。


「諦めて、大人しく戻れ」


 男は私を追い詰めて勝ちを確信したように言ったが、私はここで諦める気は無かった。


 持っていた槍を行き止まりの壁に向かって突き刺して、私は魔力を込めた。


(お願い、壊れて!!)


 すると、私の願いに応えるように壁は崩れ去り、強風が吹いた。

 壁に空いた大きな穴からは、明るい光が差し込んでくる。


 壊れた壁の先は絶壁になっていて、地面まではかなり高さがあるようだった。


「おい! 待て!」


 男は止めようとしたが、今更もう引き返すなんてできない。


 私は一度、大きく呼吸をしてから、思い切って空中へと飛び出した。


 その一瞬の視界に広がったのは、広大な森とその先の雄大な山々。そこで目にした美しい自然の風景はリアルさの点では前の世界と変わらない。それでもそれ以上に輝いて見えたのは、私の目が牢の薄暗さに慣れていたからか、あるいはこの世界が魔法に満ちていたからか、どっちだろう。


 だが、そんな景色を楽しめたのはほんの一瞬で、実際の私はそれどころでは無かった。


 私はそのまま落下していったが、次の瞬間に壊れた壁から飛び出した二羽の白い鳥が私を掴んだ。


 それで落下の速度はやや緩やかになったものの、空を飛べるだけの力は無く、私は建物から少し離れた森の中に落ちた。


 着地の時に全身を地面に打ち付けて、足も折れているような気がしたが、私はすぐに立ち上がろうとした。


 二羽の白い鳥を魔法で杖の形状に変化させ、私は杖をついて足を引きずりながら歩いた。


 疲労感は大きいし、全身が痛むが、心臓を貫かれる日々に戻るよりもずっとマシだ。


(ぜったい、逃げ切ってやる)


 全身を修復させながら、私は裸足で森の地面を踏みしめて、一歩ずつ力強く歩みを進めた。


 ◇


 しばらくして、私がこの世界で目覚めた湖までやってきた。しかし、周囲の木々は枯れていて、前とは風景が少し違うと感じた。


 まるで命を吸われてしまったような、荒廃した景色に妙な胸騒ぎがした。


 私は湖の水をすくって渇いた喉を潤すと、早々にその場を立ち去った。


 背後は騒がしい気配がするし、黒装束の連中は私の捜索をしているだろう。前よりも、ずっと遠くまで逃げなくては再び連れ戻されてしまう。


 足が歩ける程度まで回復してきた私は、杖を二羽の鳥に再び変化させた。そして、さらに魔法で鳥の色を灰褐色に変化させる。


「いいかい、気づかれないように別の所まで行ったら、白に戻って飛ぶんだ」


 そう伝えて、二羽の鳥を別々の方向に向かって低空飛行させた。


 別の所で鳥が目立ってくれれば、追手の撹乱になるだろう。


 そうして、私は森のさらに奥深くまで歩みを進めた。

 

 

 


 



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