2 囚われの身

 目を覚ますと、そこは湖のほとりだった。湖には波ひとつ立っておらず、鏡のような湖面には深紅の瞳をした白髪の子供が映っていた。


 夢を見ていた気がするが、まだ少し頭がぼんやりしている。


 それよりも気になるのは、周囲を取り囲んで私に槍を突きつけている大人達だ。

 彼らは全身に黒い衣を纏い、顔すらも黒い布で覆い隠していた。槍を持っている以外は黒子に似ている。


 それにしても、十人くらいの大人が一人の子供相手に武器を手にして警戒しているというのは、いったいどんな状況なのだろうか。


「大人しく我々と共に戻れ」


 私を取り囲んでいる一人が言った。


 槍を首元に突きつけられていた私は、言われるままに立ち上がる。


 この時の私には抵抗する理由も、元気も無かったのだ。変に逆らって槍で刺されたりでもしたら敵わない。


 私は裸足で土の地面を踏みしめて、槍を手にした黒ずくめの彼らと共に、森の中を移動しようとした。


 しかし、体がふらついた。とてつもない疲労感と空腹感だった。


 とても、眠かった。


 私は立ち上がって数歩も歩かないうちに、倒れてそのまま意識を失った。



 ◇



 次に私が目を覚ましたのは、牢の中だった。


 鉄格子の扉に、冷たい床。小さな部屋には、木の古びたベッドと、上方に明かり取りの小窓が一つあるだけだった。


 しばらく眠っていたからなのか、私の疲労感や空腹感は不思議と消えていて、比較的体調は回復しているようだった。


 私が起きてから程なくして、槍を手にした黒装束の男二人がやってきた。


「時間だ。出ろ」


 その冷たく淡々とした男の指示に逆らえるほど、私の肝は据わっていなかった。もしそんな度胸があったなら、私の前世はもっとずっと楽なものだったろうし、ひょっとしたらこの世界に来ることも無かったかもしれない。


 男の指示に従って牢を出た私は、暗く冷たい廊下を裸足で歩いた。


 どこに行くのかはわからない。ただ、足の裏に感じる石畳みの冷たさと凹凸は、私の気持ちを萎縮させるのに十分だった。


 私が黙ったまま大人しく男達についていくと、前方に光の漏れ出る部屋が見えた。中からは水の流れるような音が聞こえてくる。


 男達に促されてその部屋に入ると、そこには白装束に身を包んだ女が待ち構えていて、そこで私は服を脱がされ、強制的に体を洗われた。


 冷たい水をかけられて震えても、近くには槍を持った男たちが控えているから、抵抗はできない。


 身を清めた私が真新しく綺麗な白い服を着せられてその部屋を出ると、今度は白装束の男達が待ち構えていた。


 その男達に連れられて、今度は先程とは違った明るく綺麗な廊下を歩いた。


 道中、何かの生き物の叫び声のような音が聞こえたが、ここが何の施設なのか、この槍を手にした者たちの目的が何なのか、依然として分からないことだらけで、ただただ不気味だった。



 私が最後に通されたのは、真っ白な部屋だった。


 中央には白い柱が建っていて、その下には大きな器が置かれている。


 そこで、私は柱に体を括り付けられて、はりつけにされた。


(これから、何をされるんだろう)


 私はここにきて、不安と恐怖が膨れ上がっていた。


 白装束を着た男が、槍を手にして私の前に立った。


 とても、嫌な予感がした。


 男は槍を構える。

 

(うそ……、でしょ?)


 そして、男は槍を私の心臓に突き刺した。


「ッ!!」


 痛いとかそういう次元の問題では無かった。


 私から流れ出した赤い血液は、下の器に並々と溜まっていく。


 そして、心臓を貫かれた私は、ショックと共に意識を失った。



 ◇



 目を覚ました私は、胸に手をあてて穴が空いていないのを確認すると、ほっと息をついた。


 しかし、心臓を貫かれたのが夢だとは思えなかった。鮮明な記憶として体に焼き付いている。トラウマとして今後、生涯にわたって私を苦しめるのは確実だろう。

 

 疲労感と倦怠感に包まれながらも辺りを見回すと、そこは前に目覚めたのと同じ牢だった。


 すると、私の目覚めに気がついた灰色の服に身を包んだ男が、何かを牢の中に差し入れて来た。


 それは、ドロドロとした黒っぽい液体で、大きなコップに並々と注がれていた。


「これは?」


「食事だ。飲め」


(これが、食事?)


 最悪の気分だった。とても飲みたいと思える代物では無かった。


 しかし、灰色の男の視線を感じて、私は嫌々ながらそれを口にした。


 苦く、甘く、塩辛く、いろいろと混ざったような気持ちの悪い味がした。


 しかし不思議な事に、味覚に反して体の疲労が取れるような気がした。


 私は無理やりに、液体を体に流し込んだ。


 ◇


 それからは囚われの身として、食事代わりの液体を飲み、寝る事を繰り返すだけの何もない数日を過ごした。


 そして、私の体力が完全に回復した頃合いを見計らったように、黒装束の男達が訪れた。


 その時の絶望感はこれまでの人生で一番だったかもしれない。


 そこで私はおよそ一週間ごとに、心臓を貫かれるという日々を送った。


 前の『私』がこの体を投げ出した理由が理解できた気がした。


(ここから、逃げ出さないといけない)


 私の頭はその考えでいっぱいになっていた。


 少なくとも、前の『私』は一度はここを抜け出して、森の湖まで逃げ出したはずなのだ。だから、何かしら手段はあるはずだ。


 そして四回目の心臓を貫かれる日、私は脱走計画を実行に移す事にした。

 

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