第3話 プロットはあるにこしたことはない。

 物語を読み進めて次に私が読むのをやめるタイミングは、数万文字もしくは章が終わり物語が一息つく場面になる。これは作者が最初に想像していた物語を書ききったタイミングと同じ場面と思われる。

 掲題は「プロットは〜」と書いたが、プロット書く派/書かない派の方法論に何か意見があるわけではなく、プロットを書いて自分の描きたいことを明確に持つことで私が物語中盤で離脱する理由を解消できるという私見からである。


 私が物語中盤で残念に思う「こんな展開の小説は読まない。」



1. 展開が急変する


 分かりやすい例は「学園編」「武闘トーナメント編」である。作者がどういった考えでこういった展開を作るのかは分からないが、多くはこれまでのストーリーを無に帰す迷走した展開になる。

 作品テーマに基づき最初から想定された展開であれば限りではないが、「ネタが無く読者ウケが良いから」という理由が透けてみえる展開は、何を読まされているのかという気持ちになるし痛々しい。



2. キャラクターが増えまくる


 場面が変わることで新しいキャラクターを出しやすく、読者の飽きを防ぐ狙いもあるのだろうと思う。

 一般の人が短期的に覚えられるものは「7個程度」と言われる。これを大幅に超えると、覚えることができていたはずの物まで含めて大半を忘れてしまう。

 キャラクターも似たようなもので、新しいキャラクターの登場が読者のキャパシティを超えると、今までに登場した他のキャラクターの印象まで無くなってしまう。新キャラクターは新鮮さを与えると同時にそれまで積み上げたキャラクターを失う恐れのある諸刃の剣である。

 ちなみにこれの対策は、長期記憶してもらうほどにキャラに愛着を持ってもらうことである。宇宙人が出てきても、人造人間が出てきても、魔人が出てきても、ヤムチャは忘れない。



3. 伏線が増えまくる


 展開が進み新しい出来事が起こるが、以前に起きた出来事が全然解決しないというパターンである。

 小学生の探偵も黒い組織の謎は解決しないが、殺人事件の犯人は都度解決する。4個、5個の事件を並行して観察できるほど読者の脳は万能ではない。



4. やおいである


「山なし、オチなし、意味なし」な話。BL(やめて、おしり、痛い)ではない。

 やはりネタ切れもあるのか、物語のテーマと関係のない、ただ出来事が描かれるだけの「日記」が続くのもよくある。多くの場合は無味無臭な話で何を読んでいるのか分からなくなりかける。

 ただし「日記」が悪いのではなく「山なし、オチなし」であることが良くない。テーマから離れた日常は、キャラクターの魅力を存分に描くチャンスでもある。これは本当に難しく「日記」を上手く描ける作者の方は多分すでに人気者である。



 物語の中盤まで読み進めた作品は面白いもので、それを描いた作者の力も充分なものである。だが初速の勢いで書き進められたものが立ち止まった時の、さらなる産みの苦しみは一読者に過ぎない私には想像しがたいものだと思う。

 読者が読みたいという期待に応える、まず作品を書く、という考えは間違っていない。ただもし安易な方法に流されて物語を書いてしまった意識があるのであれば、「面白い物語を、自分が描きたい物語を」という当初の想いを忘れずに、いつか納得のいく物語に書き直して欲しい。

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