床屋 part2

 「理容はせがわ」

それが床屋の名前だった。

店内を覗いてみると、背の高い白髪の男性が客の頭をバリカンで丸めている。

レジの横にはふくよかなエプロン姿の老婆が退屈そうに腰かけていた。

いつも通っている美容室とはまるで雰囲気が違う。

この空間だけ時代が止まっているかのようだ。

それにしても「理容はせがわ」とは。

常々ハードボイルドであることに対しての高い意識を持つ私にとって、この屋号ははっきりいって好みだ。

いや、寧ろこれは私への挑戦だ。

なぜ今まで目に入らなかったのだろう。

私はなにか強い魔力に誘われるように店のドアを開けた。

カランカランと甲高い鐘の音が鳴った。

入店と同時にパーマ液だろうか。薬品のような匂いが鼻腔をくすぐる。

なぜか懐かしい。


「あら、おかえり」

老婆が大義そうにゆっくりと立ち上がった。

ーすいません、予約してないんですけど

「予約?あぁ、いらないよ。こっちにどうぞ」

老婆は私を茶色革の椅子に誘う。いかにも年季が入っていそうだ。

ここで嘗められてはいけない。私は慣れた様子で颯爽と椅子に腰かけた。

座った瞬間、突然老婆は僕の頭に乗っているキャップを取り上げた。

「帽子こっち置いとくからね。あら、汚れてるじゃないか」

老婆は僕のキャップを平べったくしたパンパンと数回手で叩いた。

僕のキャップはレジカウンターの上に飾られた。


「カバーかけるよ」

呆気に取られている僕の首に白いタオルが巻かれる。

続いて厚めのナイロンカバー。

老婆が茶色革の椅子についてあるレバーを数回踏んだ。

老婆の足踏みに応じて僕の頭の位置が高くなる。

目の前の鏡に映る自分は情けないことに不安そうだ。

こんな事ではいけない。007のジェームス・ボンドが一度でもそんな目を私に見せたか。

答えはNoだ。

私は両の目に力を入れた。

目の前には鏡に映った勇ましい顔をした私が映っている。

なるほどいい男だ。

我ながら見惚れる。キリッとした眉に意志の強さを物語る瞳。整った鼻筋。そして多くは語らない唇。

ダンディズム。

もう5分はこの顔を維持していられるな。

私は少しニヤリとした。

次の瞬間、突然視界が天井に変わった。

老婆に座椅子をリクライニングされたのだ。

天井と私の間にぬっと老婆が顔を割り込ませた。


「先に顔剃りやっちゃうからね」

老婆は不思議な匂いを発する熱めのクリームを私の顔に塗りたくった。

なんとも形容し難い気分だ。

謎の物体の正体を私は知る術もない。おそらくではあるが私の顔は今、ダンディではない。

いや間違いなくダンディではない。


一頻りクリームを塗りたくって満足したのか、老婆はどこかに歩いていった。

私は謎のクリームで顔を白く塗り潰されたまま彼女の気配を追った。

パタパタと足音が近づいてくる。

ヤツが戻ってきた。


ところが次に聞こえてきたのは若い女性の声だった。

「顔剃り代わりますね」

うっすらと目を開けると私より少し年下くらいの女性がこちらを見下ろしている。

「え?さっきの人は?」

あの老婆が急に若返ったとは考えにくい。

老婆はどこに消えた。

「あ、おばあちゃんは手が震えるからカミソリ使えないんです」

若い女性はにっこりと笑った。

その笑顔に見とれていると、突然熱いタオルで顔を覆われた。

どういうことだ。

1分ほど放置される。まさかこのまま窒息でもさせるつもりなのか。

しかし、どこか落ち着く。頬に感じる固く絞った熱タオルが妙に心地い。

ややあって、私はタオルを取り上げられた。

次に目に入ったのは鈍く光るカミソリを手にした若い女性だった。

彼女は撫でるようにカミソリを滑らせた。

これもこれで気持ちいい。

「初めてですか?」

リズミカルに私の顔から無駄な毛を除去しながら彼女が聞いてきた。

「はい」

「ほんとですか?」

一見はお断りなのだろうか。

「いつもは美容室なんで。ほらこの近くの」

「あぁ、予約でいっぱいだったんですね」

競合相手の名前をだすのは些か無粋だったか。

我ながら無作法にもほどがある。

「でも、なんか懐かしい感じがして。ついお邪魔してしまいました。すいません」

なんとか先ほどの失策を挽回せねば。

このカミソリで顔をズタズタにされるわけにはいかない。

「懐かしいですか?」

「はい。なんか落ち着きます」

彼女の機嫌を取り戻せたのか、そこから彼女は急に饒舌になった。

「さっきの私のおばあちゃんなんです。店長は私のおじいちゃん。二人とも高齢だから私が手伝ってるんです」

なるほど、泣かせる話だ。

「お姉さんはこのお店を継ぐんですか?」

「どうだろう。そんなつもりはなかったんですけど、気がついたら資格取ってたんですよね。やっぱり継ぎたいのかな、私」

おそらく継ぐのだろう。

お洒落とは程遠い町外れの床屋。そこを切り盛りする美人理容師。

なかなか色気がある。

「このお店が好きってお客様もたくさんいますしね」

彼女は誇らしげに胸を張ると、再び私の顔に熱いタオルをかけた。

顔に残ったクリームが溶けていくようだ。

タオルを剥がされると、リクライニングを解かれ私は再び椅子に座った格好になる。


目の前に備え付けられている洗面台ではシャワーが噴出されていた。

「どうぞ」

なにが「どうぞ」なのかはわからないが、私は無意識にそのシャワーで顔を洗っていた。

顔剃りなど美容室では経験したことはない。

洗顔の際に両手から伝わる皮膚の感覚は、かつてないほどなめらかだった。

顔を洗い終わると乾いたタオルを手渡された。

濡れた顔を拭けということだろう。

私は迷うことなく白地のタオルで顔を拭った。

ふと、目線をあげると若い女性が鏡越しに私の顔を覗きこんでイタズラっぽく笑った。

「あんまり変わってないですね」

私は日頃より、スキンケアに対しての抜かりがない。

顔剃りをする前も私の顔が美しかったということだろう。

全く、罪な男だ。


若い女性が店主を呼びにむかった。

先ほどの背の高い老人だろう。頭を丸めていた先客はいつの間にか帰っていた。


孫娘に呼ばれ、店主がのそのそと近寄ってきた。

頼むから丸坊主だけは勘弁してくれよ。

いよいよ、散髪だ。

しかし、不思議だ。

先ほどの言葉。

「あんまり変わってないですね」

彼女と最初に会った時、私の顔は白塗りだったはずだが。










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