ハードボイルドに憧れて
ながあき
床屋 part1
とかく身嗜みには気を抜かない性分だ。
決して油断することなく、隙など見せない。
自己満足の世界かも知れないが、髪を整えるという行為に些かの妥協もない。
ハードボイルド。すべての男の理想だ。
そして私の人生のテーマでもある。
定期的な散髪も私の美意識の一環だ。
一度整えた頭髪を永遠に維持することができれば楽なのだが、それではあまりにも色気がない。
時間と共に伸びた髪を再び切り揃える。
自然の新陳代謝と世の理だ。
それはハードボイルドの世界でも一切変わらない。
本日、髪を切る。
オーダーは常に同じだ。不埒に志を変えたりはしない。
側頭部は短く刈り上げ、間違えても前髪が眉にかかる事など絶対にない。
美意識の問題だ。私はこの髪型をもう3年も前から維持している。
担当美容師には決まって雑誌「レオン」の切り抜き写真を提示する。
そこに説明など、必要ない。
今日もいつもと変わらず、髪を切る。
しかしこれ困った。
俗世に染まらない私ではあるが、美容院の予約はインターネットで行っている。
これも時代の流れだ。
平素より信頼をおいている美容室の予約に空きがない。
私とした事が。前日の予約を怠った。
これは由々しき問題である。なぜならば数日後には数年ぶりに開催される高校の同窓会が控えているのだ。
親しい友人はさておき、高校の卒業式以来顔を合わせていない人間も多く出席する。
私が高校生であることから卒業したのはもう20年近く前の話だ。
その悠久の時間を経て再会する学友達に、みすぼらしい姿を晒すわけにはいかない。
しかも噂によると、同窓会には立川冴子も出席するらしい。
立川冴子と言えば私にとって特別な存在だ。
決して男女の関係を持ったわけではない。しかし彼女の可憐な笑顔、流れる黒髪、そして快活な性格を私は愛していた。
それは決して誰にも明かした事のない私だけの秘密だ。
もちろん立川冴子にもその想いは伝えることはなかった。
彼女がやってくる。
8年前に結婚し、可愛い女の子の父となった私だが、立川冴子の事を考えると少し冷静さを置き忘れる。
彼女と会うのも20年ぶりだ。
あの才女のことだ。この年月で更に魅力に磨きがかかっていることだろう。
そんな彼女との対面に失礼な体裁では臨めない。
しかし困った。
美容室の空きがない。
他の美容室を探してみるが、近隣のサロンは全て予約で満員だ。
皆、同窓会を控えているのだろうか。
しばし途方に暮れる。
ここで取り乱してはいけない。
わかっている事実は1つ
私は今日を逃すと同窓会まで髪を切る余裕がない。
美容室はどこも満員であるが、私はどうにかして散髪を果たさなければならない。
私は漠然とした焦りを感じながら、黒いキャップをしっかりと被って街へと繰り出した。
自宅のマンションから最寄り駅までは徒歩で5分だ。
駅前には小さいながらも商店街が展開されている。
普段利用している美容室はこの商店街にあるのだが、今日は予約でいっぱいだ。
しかしあの美容室にはもう3年も通っている。
ネット予約は不可能であったが、直接出向けばVIPの一人として歓迎され丁重にもてなされるのではないか。
いらっしゃいませ。
ー突然すまない。今日もお願いできるかな?
もちろんでございます。お待ちしておりました。
ーありがとう。予約が埋まっていたみたいだけど
お客様は特別でございます。お帽子をお預かりいたします。
ー悪いね。よろしくたのむよ
本日はどうなさいますか?
ーいつもの。
かしこまりました。
私の中で妄想が膨らむ。
あくまで妄想ではあるが、こうなるに違いない。
私は黒いキャップを被り直しながら美容室のドアを開けた。
「いらっしゃいませ!」
ー突然すいません。今日って大丈夫ですか?
「本日はご予約でいっぱいなんです。すいません」
ーあ、そうなんですか…
「当店は予約制になっておりまして、お越しの際はネットでの予約をしていただいてからでお願いしますね。」
ーはい
現実は甘くない。
私はあっさりと追い出されてしまった。
会話の最後に店員から小さい店のチラシを渡された。
そこには予約用プラットホームへと誘うバーコードが記載されてあった。
もう3年通っているんだけどな。
顔、覚えてもらってないのかな。
すっかり意気消沈した私はとぼとぼと自宅の方に歩みを進めた。
すると懐かしいものが目にはいった。
赤と白と青のぐるぐる。
サインポールだ。
私は住み慣れた街に小さな床屋を見つけた。
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