二人のハジマリ

 「アキラさ、体すっごくボロボロだよ」

 「ハハ、一度死にかけたからな」


 暖かい彼女の体温が全身に巡る。


 ファナエルは俺の首筋を嚙んでいた。

 息継ぎの為に時々口を放し、一言思いを伝えてまた首筋を噛む。


 「大丈夫だよ。私の泥でアキラの体を上書きしてあげるから」

 

 ファナエルが俺に抱きつくたび、俺を噛むたび、俺の体の中が変わっていくのが分かる。

 もう俺には背中から生える触手も、頭上に浮ぶ割れた光輪も、全部泥に溶けてなくなっているんだろう。


 氷雨が俺の魂を冥界から引き上げたあの時、自分の体はボロボロで少しでも気を抜けばフッと死んでしまいそうな体である事は分かっていた。


 でも今は違う。

 ファナエルのが俺の体を犯すたびに死の気配が遠ざかっていく。


 「アキラ……ちょっと恥ずかしい?」

 「なんでそう思ったの?」

 「心臓がバクバク鳴ってるから」


 ファナエルは悪戯に笑ってそう言った後、さっきより少しだけ力を強めて首筋を噛んだ。


 「やっぱり、こういう事するのはちょっと恥ずかしい。でも、悪い気はしない。むしろご褒美……みたいな」

 「そこも少し照れて言っちゃうんだ」

 「アハハ……そう言うファナエルは?今、ちょっとだけ不安?」

 「どうしてそう思ったの?もしかして、まだ私の心の声が聴ける?」

 「いや……抱きしめる力が徐々に大きくなってるからさ、そうなのかと思って」


 俺がそう言うとファナエルは一旦首筋を噛むのを辞めた。

 その代わり、顔を俺の頬に摺り寄せて甘い声色でささやき始める。


 「本当はね、ちょっと不安なの。今日異常の悲劇がまた私達を襲うかもしれないし、さっき私がアキラに対して感じてた罪悪感も消えてないから」

 「……」

 「でもね、そんな今もあんまり悪い物じゃないって思えてるんだ。ずっと罪悪感で苦しんで居たのに、私の傍に居てくれたアキラの気持ちが今は良く分かる」

 「そっか。ファナエル自身が納得してるなら、俺はそれで良いよ」


 抱き合っていた体を少し放す。

 もうかれこれ10分程度が経ったのかな。


 そう言えば、氷雨達は今何をしているんだろう。

 全ての事が終わったら俺達を捕まえるというあの言葉は確実に本物だった。


 だったら何故突入してこない?

 もしかして、あいつ等がここに侵入できない理由がまだここにあるんだろうか。


 少しだけ気がかりだな。

 

 そう思って考えを巡らせていると、ファナエルがツンツンと俺の肩を突いた。


 「アキラ、お腹鳴ってるよ」

 「へ?」


 そうして、俺は自分の腹の虫が鳴いている事に気が付いた。

 そう言えば、この時間は元々皆でご飯を食べる予定だったなと言いながらファナエルと笑う。


 「実はね、私ここでお弁当作ってたんだ」

 「え、どうやって?」

 「秘密。それに作ったと言っても、弁当箱に食べ物を詰め込んだだけなんだけどね」


 でもお腹すいてるなら食べてよと言いながらファナエルはその弁当箱を右肩から伸びる5匹の蛇達で器用に取り出した。

 色んな種類の料理にファナエルの泥が掛かった弁当が顔を覗かせている。


 ファナエルの蛇の内一匹が、泥の掛かった唐揚げを運ぶ。


 「はい、ア~ン」


 俺はファナエルの掛け声に合わせて口を開け、その唐揚げを飲み込んだ。

 ジューシーな肉の味と、ファナエルを感じる泥の食感が口の中で混ざりあっている。


 「美味しい?」

 「うん。美味しいよ」

 「そっか、良かった」


 彼女の蛇がまたおかずを運ぶ。

 俺はまた、ファナエルの掛け声に合わせて口を開き、おかずを噛んで喉に流した。


 少し気がかりな事はあったけど、まぁ別に深く考えなくても良いか。


 分からない事は分からないし、どれだけ準備しても不測の事態は起こる。

 今はファナエルと隣に居れて幸せだし……互いの心の距離が前より近くなった今ではきっとー


 どんな障害にも負けないだろうから。


 「鬱陶しいぐらいにお熱いね……お二人さん」


 俺の声でもなく、ファナエルの声でもない、第三者の声が公園に響く。

 俺達は自然と二人で動きを揃えながらその声の主に視線を向けた。


 そこに立っていたのは、悔しそうにも楽しそうにも見える顔をしたロキだった。


 「私達の時間に割って入ってこないで、あなたはさっきみたいに地面に這いつくばている方がお似合いよ」


 ファナエルはロキの姿を見て不機嫌そうな声色でそう言った。

 それに対し、ロキはからかうような口調でファナエルに言葉を返す。


 「ここで『はいそうですか』って言いながら帰るなんて面白くない事、私がするはずないじゃん?」


 ロキの両手で紫色の液体が隆起する。

 右手に絡みついた液体は槍に、左手に絡みついた液体は鉄槌に変化して彼女の両手に納まっていく。


 「私は気ままに過ごしてるけどやると決めたことは何が何でも完遂する」


 俺を一度殺したあの時と全く同じ装備を構えて彼女は宣言した。


 「君たち二人を殺す」


 そこに居たのはもう楽しみながら俺達二人に罰を与えるロキの姿ではなかった。

 その立ち振る舞いは、自らに掛けられた天罰を執行するためだけに武器を構える刺客のそれだった。


 俺に一杯食わされて地面を抱きついたのが悔しかったのか、それとも俺とファナエルのやり取りを気絶しながら聞いて心境が変わったのか、切っ掛けは良く分からない。

 

 ただ一つだけ分かる事は、ロキは依然として俺達を殺す為に立ちふさがる敵だって事だけだ。

 だったら俺がやる事は一つだけ。


 一歩前に出て、ファナエルを庇う様に立つ。


 「そうはさせない‥‥‥ファナエルと俺の幸せな未来は誰にも傷つけさせない」

 

 俺の体にはもう触手も堕天使の力も災厄の力も無い。

 それでも、体の中で蠢くファナエルのが俺に力を与えてくれる。


 『ファナエルを守りたい』と言う思いに応えられる体になる様に、体が変化していく。


 ゾンビの体に……ドラゴンの右腕。

 守りたいって気持ちに反映してドラゴンなんて、ちょっと安直な自分の思考に笑ってしまう。


 きっと俺の体はこれからファナエルを守る事に適したキメラへと変貌していくんだろう。

 今は人間の見た目をしている左腕も、両足も、背中も、次第に歪んで化け物になっていく。


 そんな俺を見て、ロキは呆れたようにため息をついた。


 「どーしてそこまでその女にこだわるんだか。君が私についてくれるなら見逃してあげてもいいのに」

 「断る。俺が生涯を捧げる女はファナエルだけだ」

 「ああそう。それなら私がプレゼントしたその醜い体で必死に二人で慰めあって生きてきなよ!!」


 その声に合わせて俺はドラゴンの爪を構えた。

 チラリと横を見ると、ファナエルの蛇達が俺の体を噛み、泥を送って力を与えてくれているのが見えた。


 今度こそ二人そろって困難を乗り越えようと、ファナエルが口パクで俺に伝えてくれる。

 そして俺達は、ロキの問いかけたその言葉に答えを突きつけた。


 「ああ、俺たちはどんなに姿形が変わろうともー」

 「どんな輩が私たちの中を引き裂きに来てもー」


 「「永遠に一緒にいて愛し合って生きる」」

 「結婚式でもしてるつもりかよ!!」


 ザッっと音を立てて擦れる地面を蹴り上げ、俺は叫びながら右手の爪を薙いだ。

 腐敗したドラゴンの爪と銀色の鉄槌が衝突しする。


 この光景を見れば嫌でも自覚せざるを得なくなる。

 俺は本当に、普通ではない恋をした。

 その中には苦しい事もあったけど、俺は後悔なんて一ミリもしていない。

 だって、こんなにも愛おしい彼女がそばに居てくれるんだから。

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