第20話

「あんたがカメラマンを降霊させる必要はない」


 星斗ほしとは二人が落ち着くのを待って、陰になった客席──ともいえないただ椅子を並べた狭い空間──から舞台の前に出て行った。本当はさっさと割り込みたかったのに、撮影役の紅太郎こうたろうが後ろから必死に服を引っ張るので時間を食ってしまった。


「どういうこと?」

「意味がないってことだよ。俺は何も知らない」


 そう言ってもみどりは首を傾げている。やっぱり、と星斗はひとりで納得した。


「なんの話?」

「あんたは聞かされてないんだな……おい、いるんだろ! 降りて来いよ!」


 星斗は天井を振り仰いで叫んだ。劇場となった塔の壁にあたった声が反響する。事前にひよりにはこの建物の構造を聞いてあった。


「この茶番劇を用意したのはアンタだろ!」


 何の反応もなかった。しばらくしてから、階段を降りる革靴の音がする。やがて靴音が止まり、入り口付近の黒い幕を上げて雪花せつかが姿を現した。


「雪花、どういうこと?」


 問いかけた碧の声が聞こえていないように、雪花は後ろに幕を背負ったまま闇に溶け込んでる。


「アンタの目的を聞く前に、確かめたいことがある。あの日記に書いてある建物の場所についてだ」

「変なことを聞くのね。こんな奇妙な建物が他にあると思う?」


 雪花はゆっくりと首を動かして辺りを見回した。その視線は舞台にいるひよりと碧の真上を通り過ぎ、星斗のところへ戻ってくる。


「コピーを渡したでしょう? 写真と一緒に」

「ああ、やけに親切だなと思った」


 雪花は眉をひそめている。その表情は嘘をついているようには見えなかった。星斗はまたひとつ納得しながら、話を続ける。


「俺が昔見たテープの記憶をもとにして想像を膨らませてかいた脚本と、この日記には明確に違う部分がある。確かに建物の構造や特徴的な塔の形は一致してるけど、建っている場所が違うはずだ」

「どういうこと?」


 雪花の静かな声が建物の中に反響する。外の気温が下がっているのか、肌寒くなってきた。


「日記にはカメラマンの死因について、転落死だったにもかかわらず、発見された死体は湖から引き上げられた状態で見つかった。それで、死体を何者かが動かした──あるいは誰かが殺したと仲間内で疑いあうことになった」

「ええ。そう書いてあった。結局は事故死ということになったみたいだけど」

「でも、それだとおかしいんだ。この学校の周辺には湖なんかないだろ?」


 塔をバックに撮った写真は学校の風景とも一致していたから、なかなか気づけなかった。


「俺がこの脚本を書いている最中、水辺の風景は全然思い浮かばなかったんだ。だから日記を読んでいて死体の描写の部分だけ妙に浮いてる印象を受けた」

「あなたの記憶をたよりに話をされても……もしかしたら湖じゃなくて池だったのかもしれないし、今なくなってるだけで昔はあったのかもしれない」

「そう思って、学校や地域の図書館に行って調べてみた。やっぱり近くに池や湖はなかった」


 星斗がそう言うと、雪花は黙った。


「さすがに俺もそれだけで別の場所だと主張するつもりはない。他にも違和感がある。会長のじいさんは何歳で死んだ?」


 雪花は口を噤んだまま沈黙が続く。しかし、答えたくないという意思表示はすでに何かを知っていると答えたようなものだった。


「九十二とか……たぶん」


 舞台の上から碧が小さくつぶやく。星斗は頷いた。


「この日記が書かれたのが関東大震災の直後だとすると九十年くらい前だよな。となると会長のじいさんとは歳が合わない」

「え? あ、ほんとだ……!」


 ひよりの呑気な声がした。

 そのころ雪花の祖父はまだ二歳になるかならないか、しっかりした文字が書ける年齢ではない。


「となると、考えられる可能性は主に二つ。ひとつは別の人物が書いた日記、もうひとつは全て嘘、あるいは誰かの話をもとにして書いた創作だ」

「でも筆跡は間違いなく祖父のものだし、祖父しか知りえないことが書いてある」


 身内である雪花にそう言い切られると、星斗には反論のしようがなかった。日記の他の部分に何が書かれていて、それが本当かどうか証明する方法もない。

 しかし、星斗が知りたい事実は他にあった。


「だったら、別の人物じゃない。会長のじいさんが書いた嘘ってことになるな」

「なんでそんなことする必要があるの?」


 星斗は首を振る。わかっている事実は少なく、苦労してかき集めた曖昧な情報から推測するしかなかった。


「そこは俺も全くわからない。けど……アンタだって年齢が合わないことくらい気づいてたはずだ。にも関わらず、嘘かほんとかわからない日記を持ち出してまで俺たちを巻きこんだ理由が知りたい」


 不可解なのは雪花の祖父の日記だけでなく、雪花の行動だった。今日、碧が降霊術を成功させたところで日記自体の信憑性が揺らいでしまってはどうしようもない。

 カメラマンが実際にいたのかどうかさえ、あやしくなってくるからだ。


「祖父の日記は曾祖母の話をもとに書き起こしたものよ」

「え?」


 雪花は唐突にそう言った。姿もはっきりと目を凝らさなければ見えない暗闇から、声だけが響いてくる。


「財閥解体後も末端の北山家の商売が持ったのは曾祖母の助言があったからと言われてる。曾祖母は高名な占い師だったの」


 予想外の方向へ話が転がり始めて、星斗の頭は高速で話を整理する。


「重要な決断をするときに占い師を頼るのは当時珍しくなかった。今でいうカウンセラーのような役割ね。でも、実際のところ曾祖母は愛人だった」

「じゃあ、アンタのじいさんは愛人の子だったのか」


 星斗の問いに雪花は頷いた。


「当時の北山家の当主は曾祖母に傾倒して、商売の判断をずいぶん任せてた。内情にも深く関わっていたんでしょう。結局、祖父が跡を継ぐか継がないかの頃に事故で亡くなった。しかも、あの塔から落ちて」

「転落死……」


 思わずつぶやいた。嫌でも日記にあったカメラマンの死がよぎる。星斗は奇妙な一致について気になりはしたが、雪花が話を続けたのでひとまず黙っていた。


「祖父は曾祖母からの助言で新しい事業を次々と展開していった。もともとの商才もあったのかもしれないけど……北山家の資産を増やした功績が認められて跡継ぎの座を争うまでになった」


 雪花は滔々と話し続ける。


「ちょうどその頃に曾祖母が亡くなった。祖父は当時跡継ぎの座を争っていた親戚たちを疑ってた。結局、後を継いだのは祖父だったけど身の危険を常に感じていた──それで生前に曾祖母から聞いた話を日記に書き留めることにした」

「身の危険っていうのは親戚たちから何かされるかもっていう?」

「それもあるかもしれないけど……日記の感じをみるに、祖父はもっと大きな何かを恐れていた」


 大きな何か──星斗の脳裏にビデオの前で陰鬱に喋っていた老人の姿がよぎった。


「それがあの話?」

「そう。だからあれは当時の当主、曽祖父の体験談……だと思う」

「そんなことがありえるのか?」

「祖父は死ぬ十年ほど前に事故にあってから、認知症が進んでまともに会話ができなかったの。どうも自分のことと父親を同一視してたのか曾祖母の名前を呼びながら徘徊したり……日記は字もしっかりしてたから事故の前に書かれたもののはずだけど、年齢の食い違いを考えるとそうとしか考えられない。だって祖父が体験できるわけないから」


 そこで雪花は言葉を切ったあと、ひとつ息を吸い込んだ。


「あなたたちを巻きこんだのは悪かったと思ってる。けど、烏丸君がトリスに入学して準備会に入って、あんな内容の脚本まで提出してきたから……」

「俺が提出した脚本を見て、すぐに日記との一致に気づいたのか?」


 頷いた雪花はつかつかと歩み寄ると、後ろ手に持っていた封筒を星斗へ差し出した。


「あなたのお祖父さまから送られてきたものよ」

「……? あ! まさか……」


 星斗が封筒を開けると、中から一本のテープと手紙が出てきた。


「なんで⁉」


 紅太郎がカメラを回しながら大きな声を出した。星斗はしばらく呆然とテープを眺める。


「烏丸君がトリスに入る一年前に私の祖父の葬式があった。その時には来られなくて弔電だけいただいてたんだけど、後日これが送られてきたの。手紙には十年前に私の祖父に頼まれて撮ったものが出てきたのでお返しすると書いてあった」

「読んでも?」


 雪花は頷いた。急いで手紙を広げて読むと、確かに見覚えのある星斗の祖父の字で映像を撮った経緯が綴られている。


『……編集して渡す約束をしていましたが、そのすぐあとで御祖父様が事故に遭い該当のテープは全て御尊父に没収されました。当時、撮った内容に関しては他言しないと書面にて誓約し、報酬も過分にいただいたことは感謝しております。さて、今更ではありますが、過日途中でカメラの不具合があり間に合わせで撮ったものが残っておりました。この度、御祖父様の訃報の知らせを受けて生前の面影をこちらで処分する決意もつかず、ご返送致しますことをお許しください……』


 手紙は一枚きりで丁寧だが簡潔で、よそよそしい印象を受けた。星斗が手に持ったテープのタイトルを見ると『11月某日、建設予定地』とだけ書かれている。


「建設予定地……」

「学校ができる直前に撮ったものだと思う。この建物が映っていたから」

「やっぱり、あったんだ」


 テープに貼られたタイトルのシールがよく見ると二重になっている。星斗がシールの端をひっかいて剥がすと、下部分にも何か剥がしたような跡があった。下の方だけかろうじて薄く残っており『斗6歳』と読める。

 星斗がずっと探していた幼い頃家にあったテープに違いなかった。


「じゃあ、アンタは俺に会う一年前にすでにこの映像を見てたってわけか」

「ええ」


 それなら、すぐに脚本との一致に気づいたことも頷ける。星斗はまさにテープの映像を見た記憶をもとにあの話を書いたのだから。


「何が映ってたんだ? 俺は正直小さい頃に見たきりで、今回のことがなければ思い出そうともしなかった」

「途中からの映像だから経緯はわからないの。見てもらったらわかるけど……私の記憶にある威厳のある祖父の姿とはかけ離れていた。あまりにも気力がなくて、何かに怯えるようにぼそぼそした話し声で、自分がみんなを殺したから末代まで供養しないといけないとか」


 星斗はただ老人が喋っている映像としか記憶していなかった。幼い頃に見たとしても、そんな衝撃的な内容なら覚えてそうなものだが、全く記憶には残っていなかった。


「事故に遭う前、祖父が心身を病んでいたとは聞いていたけど結構衝撃が強くて……あなたのお祖父さまからはその後何の連絡もなかった。でも、一年後に烏丸君が入学してきた。あなたの脚本を読んだ父の焦りようったら」


 そう言って、愉快そうに声を震わせた。それまではよく知る会長としての冷静さを保っていただけに、一気に不気味さが増す。しかし、雪花は気にしていないようだった。


「父はね、とっても臆病なの。特に春から海外へ事業を広げようというタイミングも悪かった。まるであなたたちが北山家のスキャンダルを握っていて、脅そうと企んでいるとでも思ってたみたい。それで烏丸君がどこまで知っているか探るように言われた」

「アホらしい。俺は何も知らなかった。それに事件だって大昔の話だろ? なんの証拠もないのになんでそこまで怯えるんだ」


 雪花の祖父が言うように事故にみせかけた殺人事件が起きていたとしても、すでに百年近く経っている。今更脅しのネタに使うには弱すぎる気がした。


「そうね。父は祖父のように目に見えない何かを恐れていたのかもしれない。昔あなたのお祖父さまが撮った映像を全部処分したのは他ならぬ父だったから……ともかく私は忙しい父に代わってあなたが脚本を書いた経緯を調べるとともに、うまく丸め込んで口止めするように言われた」

「じゃあ俺の脚本を卒業制作にって話は……」


 星斗は手に持ったテープと手紙を握る。紙がつぶれるかすかな音がした。


「父は卒業制作をドキュメンタリーにして宣伝し、碧を華々しく売り出す契約を事務所と結ぼうとしていた。家の醜聞を知って脚本にするような人間を選ぶと思う?」

「そんな……」


 碧のつぶやくような声がする。星斗が一瞬舞台の上に気を取られているうちに、隣を誰かが通り過ぎていった。


「知るかよ、そんなこと! じゃあ最初から誰かにふさわしい脚本とやらを書かせればいいだろ⁉」


 いつの間にか紅太郎がカメラを降ろして、雪花に迫っている。


「おい、ちょっと紅太郎! おまえは撮影係だって……」


 星斗は慌てて紅太郎の背中にしがみついて、引きはがそうとした。


「星斗、お前がばかにされてんだぞ⁉ どんなに苦労して今まで脚本を書いてきたのか俺は知ってる!」


 普段は穏やかな男が怒ると怖い。紅太郎はもともと星斗より背も高いし、中学までは陸上部をはじめとして色んな運動部に助っ人で入っていたくらいだから力も強いのだ。星斗の力で抑えられる自信はなかった。


「俺は別にいいんだよ。何回だって、どこでだって書けばいいんだから!」


 星斗が叫ぶと、紅太郎は急に動きを止めた。

 舞台の上からがたがたと机を鳴らしてひよりと碧も降りてくる。二人が雪花と紅太郎の間に入ると、しばしの沈黙が劇場に満ちた。


「……ごめん。頭に血が上った」


 ぽつりと紅太郎がつぶやくように言った。星斗はやっと肩の力を抜く。本気で殴りかかろうとしたわけではないにしろ、紅太郎がそうなれば自分はどんな手段を使っても止めなければならないと思っていた。


「うしろで見てるから話を続けてくれ」

「紅太郎……」


 うなだれて引き下がる紅太郎に肩を叩かれて、星斗は改めて舞台の方に振り向いた。まず、間に入ったひよりと目が合い、次いで視線を移すと碧が雪花の腕を掴んでいる。


「離して」


 雪花は碧を睨んでいた。紅太郎に迫られても微動だにしなかった雪花が動揺しているのが伝わってくる。


「嫌だ。なんで? 雪花は私たちが自由になるために行動してたんじゃなかったの?」


 激しい動きで雪花は碧の腕を振り払った。勢いで揺らいだ碧の体をひよりが受け止める。


「父を許せなかった。母を裏切り、死に追いやって、碧には知らないふりで、私にはずっといい父親を演じていたあの男を苦しめてやりたかった。あの男だけじゃない、祖父やその前の代々続いた家系を踏みにじって、めちゃくちゃにしたかった。自由になんか……なれるわけない」


 呪詛めいた言葉とは裏腹に、その口調は淡々としている。


「アンタは父親に協力してたんじゃなかったのか?」

「表向きはね。でも私は従うふりをして卒業制作を中止に追い込みたかった。映画を利用して碧を売り込もうとする──それだけは許せなかった。私が準備会の会長としていい映画を作ろうとしてたのにはなんの意味もなかったんだなって」

「それだけ?」


 星斗の問いかけを雪花は鼻で笑い飛ばした。

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