第19話

 幕の中は暗い。川瀬かわせみどりは机を隙間なく並べただけの舞台とも呼べない舞台に一人で立っていた。ちょっと歩くたびに足元からガタガタと音がする。


 スポットライトはひとつだけ。暗幕は上から雪花が手動で操作することになっている。目を閉じて、昔ここで死んだカメラマンの霊が降りてくるのを待っていた。


 ──カメラマンの青年。野心家。金に困っている。映画を撮るのに協力するふりをして旧財閥のスキャンダルを掴もうと画策している……。


 

 ***



「来年の主役は川瀬碧に決定しました。春休み明けには脚本の選定に入るので、希望者は順次提出してください。また、来年からは映画制作に専念できる場所を準備会で設けることになったので追って連絡します」


 空き教室に集まった生徒の視線が雪花せつかと、碧に注がれている。パラパラと拍手が起きた。二年生からの引継ぎを受けて、一年生だけが集まっている。

 ホワイトボードには年末に行われた配役アンケートの結果が示されていた。過半数の票が碧に入っている。


「では今年度の映画準備会はこれにて終わります。お疲れ様でした」


 雪花の号令で生徒たちは次々と席を立ち、教室をあとにする。出て行くときに多くの生徒が碧にちらっと視線を投げていった。

 碧はそれに気づきながら曇ったガラス窓の方を見て、そ知らぬふりをした。やがて全ての生徒が出て行くと、口を開いた。


「イカサマだって思われたかな?」


 雪花がホワイトボードに書いた投票数を消している手を止めて、碧の方を見た。不可解な顔をしている。


「本気で言ってる? 誰が見ても納得の結果でしょう」

「そう?」

「それよりも、川瀬みどりのスケジュールが空いてることのほうがびっくりでしょうね」


『中学から芸能活動を再開した川瀬みどりは最初に出演したドラマのゲスト回で存在感のある演技から注目を浴びた。また、引退している有名俳優の娘で元子役というネームバリューも手伝って各方面からオファーが絶えなかった』


 というのが先日発売された雑誌に書いてあった碧のプロフィールだった。


 ──『その後、一年間はフリースクールに通いながら映画やドラマに出演するなどしたが、高校入学を機に学業を優先するとして現在は活動を控えている』だっけ。


 事務所が勝手につくったプロフィールは発売されてからコンビニで立ち読みした。碧は他人事のようにそうなんだ、と思っただけだった。


「父は卒業制作であなたを主役にして一儲けしようとしてる」


 雪花がそう言ったのは何度目だろう。碧にというより、繰り返し自分に言い聞かせているように口にしていた。


「そうなのかな?」

「じゃなければ、事務所があんな仕事を取ってこないでしょう」

「ふふ、あれね。ちょっと面白そうだったけど」


 碧の主役が決定する前に、事務所から密着取材を受けないかという仕事の依頼が来た。卒業制作に向けて撮影の裏側に密着し、上映に合わせてテレビ放送しないかという内容だった。


「ほとんど決まってから連絡してくるなんて、バカにするにも程がある」


 雪花は残りの部分を消し終わると、腹立たしい様子を隠さずに音を立ててイレーザーを置いた。


「雪花が間に入ってくれて助かった」

「本当に?」

「え? うん。私ひとりだったらよくわからないまま受けてたかも」


 演技の仕事なら脚本を先に読んでから出る・出ないを決められるが、取材系の仕事は事務所に任せきりだった。マネージャーがすでに学園に話は通してあると言って、あとはサインするだけの契約書を持ってきた。

 たまたま寮に居合わせた雪花が事務所の社長に問い合わせたところ、勝手に話を進められていたことがわかった。


「なんであんな胡散臭い事務所に所属してるの?」

「お母さんがそこだったから、子役の時もだし」


 雪花の父親とも懇意で、碧の芸能界復帰をずっと後押ししてきた。他の事務所へ行く選択肢ははじめからなかった。


「なんで今まで気づかなかったのか……私たちのまわりの大人は客観的に見るとおかしな点が多すぎる」


 準備会の生徒から回収したアンケート用紙を集めながら、雪花はつぶやいた。

 教室の窓を閉めて、戸締りをする。プリントと鍵を職員室に持っていく雪花に付き合って廊下を並んで歩いた。



 ***



 役に入り込むときの感覚を初めて人に話したのは中学の時だった。親しかったクラスメイトの一人が占いに凝っていて、碧にささやいた。


「私が碧の力を引き出してあげる」


 最初は放課後のおしゃべりの時間が少し刺激的になるだけのお遊びだった。友だちから会いたい人の話を聞き、有名人や身内の気持ちを代弁する。子役時代に母から教えられた台本を読み込んで登場人物になり切るのとやり方は同じだった。


 ただ、たまに最中の記憶が全くなくなることがあった。そういう時に限って、向かい合っている友だちは驚き、感動していた。


「すごいよ、碧。今度文化祭の出し物でやろうよ」


 その年の秋の文化祭で、クラスは大々的に碧を中心とした『占いの館』というテーマで催しをした。

 碧の降霊術は学年で評判になり、やがて口コミで学校の内外にも広まっていった。もともと目立つ存在だった碧に接触するための口実として、利用する生徒もいた。


「碧じゃ対処しきれないでしょ。私がやってあげる」


 あまりにも依頼が増えていったある日、最初に助言をしてくれた友だちが言った。その頃、母親が留守がちにしていた家には気がつくと友だちがいるようになっていた。


「うん」


 体調の優れない日々を送っていた碧は学校も休みがちになった。時折、友だちに付き添われて知らない人の家や、カラオケボックスや、レンタルスペースのような場所に行って降霊術をする。


「みて、碧。すごいよ。これ全部私たちが集めたんだよ」


 いつの間にか、友だちはお金を集めるようになっていた。場所代や差し入れのような形だったのが、希望者が増えるにつれて時間制になりコース別に料金を設定するようになった。


「こうしたほうが碧も楽でしょ」


 しかし、そんな商売も長くは続かなかった。

 学校に行かなくなってしばらくしたある日、担任の教師が家にやってきた。友だちがやってくる日以外は常に寝ていた碧は突然の訪問に驚いた。教師は碧の近況や体調を聞き、世間話をして帰っていった。


 その日以来、毎日のように入り浸っていた友だちがぱったりと来なくなった。連絡もつかない。代わりに教師がたびたび訪ねてくるようになった。


「今、学校であなたたちのやっていたことが問題になってる。もしかすると、これから親御さんに来てもらったりすることがあるかもしれない。お母さんに連絡を取ってるから、何かあったらすぐに言ってね」


 教師の口調は優しかったが、学校で見ていた時より目の下のクマが濃かった。

 数日後、雪花の父が迎えに来て碧のマンションでの一人暮らしは終わりを告げた。それからしばらく休学し、二カ月ほど経って学校へ行くと友だちは転校していた。


 ──私は間違ったんだ。


 一転してよそよそしくなったクラスメイトたちの中で、碧は強烈な後悔に苛まれた。すぐに学校には行かなくなり、たまに保健室へ通う日々が続いた。


 ──どこから……。


 母からはたまに連絡がきていた。雪花の父には休学中から病院に連れていかれて、カウンセラーと定期的に話をするように言われた。それでも、ずっと出口は見えなかった。


 ──自分じゃない誰かになりたい。


 学校へ行かなくなってしばらく経ったある日、雪花の父から芸能活動に復帰してみないかと話をされた。子役時代に所属していた事務所から打診されたという。

 気分転換になるかもしれないし、嫌ならすぐにやめてもいいと言われた。


 ──ちゃんとした仕事なら、大丈夫かもしれない。


 やりたい、と返事をすると運よくすぐにドラマの仕事が決まった。

 ひよりと出会ったのは、台本をもらった頃だった。ちょうど一人での練習に限界を感じていて、相手を探していた。

 だから助けた、という意識はなくむしろ助けられたといってよかった。なのに、ひよりは随分と懐いて慕ってくれた。


 ──今思えば、あの練習が一番楽しかったな。


 暗い幕のうちから、一瞬外に出られた。だんだんと降霊術をする時のように意識が飛ぶことは少なくなった。

 ひよりとの練習を重ねてドラマの撮影が無事に終わった時、はじめて両足がしっかりと地面についていると感じた。役に集中して入り込んでいても、自分自身を見失っていないというあの感覚。


 ──忘れないって思ったのに。


 幕が開いて、目の前が明るくなる。

 あれから三年の月日が経って、碧はまた同じ場所に立っている。


 ──そうか。本当にもうだめなのかもしれない。


 いつまでたっても、役に入り込む高揚感は得られなかった。



 ***



「先輩! もうやめてください!!」


 足になにかがしがみついている。碧は我に返って、膝をついた。


 ──なんでここにいるんだっけ……?


 雪花と暗幕をつくって、カメラマンの霊を呼び出そうとしていた。それで、幕が開いて──。

 降霊術をやるのは久しぶりだったから、集中するのに時間がかかった。目を閉じて過去にどうやっていたか思い出そうとしたら、忘れかけていた記憶に足をとられてしまった。


「……ひより?」

「なんでこんなことをする必要があるんですか!」


 泣きながら怒っているひよりの肩に手をあてる。ふわふわした柔らかい髪がすっかり冷たくなっていた。


「だって……私にできることはこれしかない」

「先輩はやりたい役しかやらないって言ってたじゃないですか」

「……わかんなくなっちゃった」


 望まれる姿に形を変えることは苦ではない。でも、それをずっと続けていたら段々と自分がやりたいことがわからなくなった。

 みんな、自分の理想を押しつけてくるだけで碧が意に添わなけば去ってしまう。母も、雪花の父も、かつてのクラスメイトも。


「先輩……」

「ひよりは知ってる?」

「私は先輩がやりたいことを自由にやってる姿が見たいです。わたしにもそう言ってくれたじゃないですか」


 涙が手に流れて、一瞬なぜか熱いと感じた。でもすぐに冷たく滑り落ちていく。


「やりたいことを自由に……」


 ひよりといる間は霧が晴れるように意識がはっきりしていたから、そんなことを言ったのかもしれない。でも、今はどこへ向かっていけばいいかわからなかった。

 だから、誰かに手を引いてもらえると安心した。ついていって振り払われる、そしてまた手を引いてもらうことを繰り返している。


「ごめんね。いつもこうなっちゃうんだ。ちゃんと考えようとしてもわからなくて……探してもないんだ、どこにも」


 暗幕の中でいつも灯りを探していた。自分に当てられるスポットライトではなくて頼りにできる灯台さえあれば、どこまでも飛んでいける気がした。真っ暗な海の上を飛ぶカモメみたいに。


「じゃあ、わたしも一緒に探します」


 ひよりはきっぱりと強く言い切った。頬の上を流れる涙はいつの間にか乾いている。スポットライトに照らされて、紅潮した頬が光っていた。


「先輩がいたから、今わたしはここにいるんです。だから、先輩がひとりで見つからないなら一緒に探しましょう」

「……うん」

「ほんとにわかってますか⁉ ぜったいぜったいですよ!」


 肩を掴んで揺さぶられると、視界が滲んできた。振動が伝わって、机がガタガタ音を立てている。


 ──あ、私泣けるんだ。


 本当はずっと泣きたかったのかもしれない。塔から飛び降りて怪我をした日も、犬が飼えなかった日も、母が行ってしまった日も、友だちがいなくなった日も。

 自分の頬を伝っていく涙はやっぱり熱かった。

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