第17話

 わざわざ山陰まで出向いて得られたのはビデオテープ一本だった。それだって収穫と呼ぶには怪しい。


 紅太郎こうたろうは悶々としながら翌週の半ばまでを過ごした。祖父母の家から帰って来てから星斗ほしとは脚本に集中すると言って、通学中もほとんど口を開かず部屋に籠っている。


「もう諦めたのか?」

「手がかりがない以上動きようがない。それなら土曜までに脚本を進めるほうがいいだろ」


 星斗の言うことはもっともだった。

 しかし、祖父に再び問いつめることもなく早々に帰ってきた星斗を見ていると、やる気がなくなったのではと不安になる。


 ──せめて、俺にできることがあればな……。


 事態が進まないのでカメラマンもお役御免だった。せっかく使い方を覚えたのに、付け焼刃のせいでまた忘れそうだ。


 ──ていうか、これ返さなくていいのか?


 水曜日の授業中、今更ながら紅太郎は疑問に思った。星斗がいつ使うかわからないというので毎日持ってはきているが、正直重いし気を遣う。


 ──星斗、ちゃんと許可とってんのかな。


 そんなことを考えながら迎えた放課後、教室を出ようとしたら廊下にひよりが立っていた。


「おつかれー。なんかあった?」


 ひよりの浮かべた表情には見覚えがある。以前、話があると言って合宿の前に呼び出された時にもこんな顔をしていた。


「紅太郎君! ちょっと来て」

「なになに。こわいんだけど……」


 人気のない廊下の隅まで連れていかれるとひよりは重々しく口を開いた。


「ごめん。実は先輩と連絡が取れなくて」

「また?」


 紅太郎は思わず呆れたような声が出た。十中八九、川瀬かわせみどりの話だと予想はしていたものの深刻な顔で言うような内容ではない。


「どうせ、またしばらくしたら返ってくるんじゃ……」

「違うの! 今回は先輩だけじゃなくて会長もなの!」

「え?」


 あの雪花からも返ってこないのは確かにちょっと変かもしれない。カメラの扱い方を丁寧に教わった経緯のある紅太郎は思いなおして、ひよりの話を聞く。


「わたし、二年生の教室まで行って聞いてみたの。そうしたら二人とも月曜から休んでるらしくて……」

「二人とも?」

「うん。病欠みたいなんだけど、わたし土曜日に先輩と会長に会ってるんだ。その時は二人とも元気そうだったから、何かあったんじゃないかって心配で」


 段々とひよりの鬼気迫った様子の理由がわかってきた。


「うーん……確かにタイミングもタイミングだしなぁ」


 今週末には例の降霊術の会が迫っている。二人に何かあって連絡がとれないとなると、予定通りに行動していいかわからなかった。


「何もないならいいんだけど……それで、寮まで行ってみようと思って。紅太郎君も一緒に来てくれない?」

「あー……わかった。じゃあ星斗にも声かけて」


 その時、ひよりの視線がすっと後ろに逸れた。紅太郎が振り向く暇もなく声がする。


「俺は行かない」

「ぎゃっ! なんだよ、星斗いたのか」

「でかい声で喋ってんのはそっちだろ」


 さっきまで誰もいなかったから、また声が大きくなっていたようだ。星斗は通学鞄を小脇に抱えると、じゃ、とだけ言って踵を返そうとした。


「おい、星斗……」

「烏丸君! ちょっと待って!」


 紅太郎が呼び止めるより早く、ひよりが星斗の腕を掴んでいた。星斗は舌打ちをして立ち止まる。


「なんだよ」

「今の話、聞いてた?」

「あいつらが学校休んでるって話?」


 星斗の中で先輩に対する敬意みたいなものは完全に消え失せたようだった。妙な事態に巻き込まれた原因とあっては仕方ないのかもしれないが、あまりにも露骨である。


「うん。烏丸君はなにか知ってるんじゃないの?」


 ひよりの口調には棘があった。だが、星斗に通用するはずもない。


「……は?」

「だって、ビデオのことだって何も話してくれないじゃん。なにかまずいことがあるから隠してるって思われても仕方ないでしょ?」


 明らかに喧嘩を売っているひよりに、星斗は鼻を鳴らして返事をする。紅太郎はハラハラしながら二人の顔を見比べることしかできなかった。


「そう思いたいならどうぞご勝手に」

「否定しないんだね」

「そっちこそ、先輩と組んでなにか企んでるんじゃないのか? 前科があるからな」


 どうしてこうなってしまうのだろう。今は仲間割れしている時ではないはずなのに──紅太郎は間に入る隙を伺っていたが、睨みあった二人の膠着状態は解けそうもなかった。


「そんな風に思ってたんだね……もういいよ。わたし、一人で行ってくる」

「ちょ、ちょっとひよりさん!」


 ひよりは静かにそう宣言すると、星斗の横を通り過ぎて行った。紅太郎が追いかけようか迷っているうちに、どんどん背中は遠ざかっていく。


「……行けば」


 動けないでいる紅太郎に星斗がぽつりとつぶやいた。その言い草に誰のせいだよ、と言いたくなる言葉を飲み込む。


「ていうか星斗もあんな言い方しなくても……ひよりさんもだけどさぁ」

「オマエはいつもそうだよな」


 さすがにカチンときた。しかし、言い返そうと近くに立った星斗と目を合わせると何も言えなくなってしまった。黒目がちな星斗の瞳が置いていかれた子どもみたいに揺れていた。


「星斗?」

「帰る」


 星斗はすぐに視線を逸らすと、早足で歩き始めた。すぐ近くにある階段をあっと言う間に降りていったので呼び止める暇もなかった。


「みんなして、なんなんだよ……」


 紅太郎は一人残された廊下の隅で立ち尽くすことしかできなかった。



 ***



 ──じいちゃんはなにかを隠している。


 山陰の家まで出向いて、星斗は確信を深めた。ビデオはなんのヒントにもならなかったが一応持ち帰った。


 ──以前見た映像は、建物の前で老人が誰かに話しかけるように喋っていた。あれはじいちゃんと話していたんだろうか?


 帰りの電車の中で、星斗はノートを膝に広げて集中しようとしていた。しかし、先日クラスメイトがしていた会話が脳裏にこびりついて思考の邪魔をする。


『聞いた? D組の益子ますこ君とE組の椿原つばはらさん、付き合ってるんだって』

『そうなの? まぁ結構一緒にいるとこ見るもんね』

『うん。なんかテスト前とか毎日二人で教室残って勉強してたらしい』

『へー青春だねー』

 

 ──クソみたいな噂話。


 おそらく尾ひれがつきまくったあげく、本人たちに確認することもなく拡散しているのだろう。


 ──誰が付き合ったとか、別れたとか……何が面白いんだ?


 恋愛に興味はないが、別に恋愛が楽しいならすればいいと思っている。星斗が脚本や映画制作に打ち込むように、熱中できる何かがあるのはいいことだ。でも、他人の恋愛事情を詮索して間違った情報を流す連中は理解ができない。


 イライラしながら、星斗はノートを鞄の中にしまってイヤホンを取り出した。いつもは車内の雑音が耳に入ったほうが捗るのだが、今日は逆効果だった。適当な音楽をかけて頭を強制的に思考に戻す。


 ──あのビデオに何も映ってなかったってことはじいちゃんが意図的に消したってことだ。


 帰って他のホームビデオと比べてみると、妙に新しい気がした。製造年月日などは記載がないので分からなかったがタイトルを書いたシールも一つだけ黄ばみもなく白いままだった。


 ──昔、映画を撮ってたのなら再編集したのかも。部屋にはパソコンもなかったけど、病室に持ち込んでたのかもしれない。


 星斗は個室に備え付けられた棚の中まで見たわけではない。あるいは、もとになったデータはすでに処分された可能性もある。


 ──でも、なんでそこまでして隠す……?


 老人が喋っているだけの映像にそこまでする価値があるのだろうか。

 唯一のヒントは一緒に映った建物だったが、祖父はどんな経緯で学校のあの場所で映像を撮影するに至ったのか。また、それは雪花や碧が追っている日記の秘密と何か関連性があるのか。


 関係があると仮定すると映っていた老人が雪花の祖父本人で事件の真相を語ってるのではないか、と星斗は予想していた。年代的には一致するし、経緯はわからないが映画を撮るという共通点があるならどこかで知り合ってもおかしくはない。


 ──会長のじいさんが過去の事件に関わっていて、暴露した内容をなぜかじいちゃんが映像に残していた……? でも、のちに不都合が生じたので消したってことだよな。なんでじいちゃんがわざわざ消さないといけないんだろう?


 何度考えても、そこで行き詰る。


 ──じいちゃんと俺、似てるんだよな。


 良くいえば職人気質、悪く言えば頑固なのだ。幼いころから聞いても何も答えてくれなかった。星斗が映画に興味を示しても、何も教えてくれなかったのが証拠だ。一家で会いに行っても早々に部屋に引き上げてしまう祖父についていくのは星斗くらいだった。


 ──聞いてもたぶん、答えてくれない。むしろ警戒して口が堅くなる。


 深く突っ込まなかったのは、そういった経験からくる予感が大きかった。紅太郎は納得いってない様子だったが、あまり感覚的なことを言いたくなかったのだ。


 ──あいつ、俺になんか幻想もってるからな。


 また、違う方向に流れていこうとする思考を眉間に力をこめて無理やり元に戻す。

 日記の内容と映像が見比べられればなにかの手掛かりが得られると思っていた。また調査は振り出しに戻ったわけだが、星斗の祖父がなんらかの理由でテープを隠滅したのは間違いない。


 ──さすがにじいちゃんも俺が会長たちと繋がってるとは気づいてないはず。だから、そっちからアプローチすればまだ手はある。


 星斗は雪花から預かった日記のコピーを取り出して、冒頭から読み直した。もう何十回も読んでいるから内容は頭に入っている。

 しかし、何かが星斗の頭に引っかかっていた。


 ──なんだ……?


 その正体をずっと突き止めようとしているのだが、うまくいかなかった。星斗は特に違和感を感じる部分に付箋を貼ってあった。

 カメラマンの死体を発見した映画仲間たちの様子を描写した場面だ。


『翌日、普段と同じように起きた面々が塔の前に集合しはじめ撮影をはじめようという時、朝の散歩へ出ていた岩見いわみが戻ってきた。すぐに来いと言う。ついて行くと、安川やすかわの死体があった。冬の朝のことで、びしょびしょに濡れた服の上に膨張した顔を見て、私はすぐに警察を呼ぼうとした。しかし、古橋ふるはしおきに止められた』


 このあと、警察を呼ぶか呼ばないかでしばらく四人は揉めることになる。最終的には日記を書いている雪花の祖父と岩見という人物が押し切る形で呼ぶことになり、検視の結果カメラマンの死因が塔からの転落死だと明らかになる。

 しかし、このことを発端に四人は互いに疑いを向け合うことになってしまった、と日記は続いている。


 星斗は違和感を覚えた部分を読み返しながら考える。しだいに車内の雑音も、イヤホンから聞こえる音楽も遠ざかっていった。



 ***



 寮の前まで勢いで来てしまった。

 ひよりは歩きながら少しずつ冷静に自分の行動を振り返って後悔し始めていた。


 ──なんで、あんなこと言っちゃったんだろう……。


 不安な気持ちを星斗にぶつけたところで、どうしようもないのはわかっていた。完全なる八つ当たりだ。


 ──いつもそうだ。ひとりで空回りして、ばかみたい。


 今だって寮の前まで来ておいて、どうしていいかわからずにいる。スマホは相変わらず先輩も雪花も既読にすらならない。

 通りかかった警備員がひよりを胡散臭そうに眺めている。


 ──聞いてみようか? でも……。


「あなた、寮生以外は立ち入り禁止ですよ。うろうろしてないで早く帰りなさい」


 先に釘を刺されてしまった。勇気を挫かれてしまったひよりが撤退しようと振り返った時、校舎のほうから紅太郎が走ってきた。


「あ、俺ら寮の人に忘れ物届けにきたんですけど……預けて帰ってもいいですかね?」

「誰宛ですか? 約束してるなら出てきてもらって渡してね」

「あーそれが今いるかどうかわからなくて。呼び出してもらうことってできますか?」


 驚いて何も言えないでいる間に、勝手に話は進んでいく。紅太郎がひよりの知らない人の名前を告げると、警備員は寮に入っていった。


「紅太郎君、今のって……」

「クラスの友だちに寮の人がいたの思い出して。さっき連絡してみたら、今ちょうどいるみたいだから」


 こそこそと二人が寮の外で話していると、すぐに生徒が玄関先に現れた。紅太郎が手を振ると靴を履いて近くまでやってくる。


「忘れ物って……?」

「ごめん! それ嘘なんだ。ちょっと聞きたいことがあって……ほんと申し訳ないんだけど!」


 平謝りの紅太郎が手を合わせて相手を拝んだ。最初は不機嫌に見えた生徒は紅太郎の必死な様子を見て表情を和らげた。


「別にいいけどさぁ……なにー? なんか変なこと企んでたらあとでひどいからね」


 いたずらっぽくひと睨みしてから、紅太郎とひよりを交互に見た。本気で怒ってはなさそうでほっとする。紅太郎に促されて、ひよりは口を開いた。


「あ、あの……碧じゃなくて川瀬先輩と会長、北山きたやま先輩って……今どうしてるか知ってますか?」

「あー! なんか具合悪くなって昨日から実家に帰ってるみたいだけど……」

「二人ともいないんですか?」

「私も食堂で偶然聞いただけだから確かなことはわからないけど……なんかあの二人って親戚なんだっけ? 一緒に出て行ったのを誰かが見たって。目立つからねー」


 紅太郎が礼を言うと、生徒は帰っていった。「それだけ?」と問いかけられてひよりは小さく頷くことしかできなかった。


「……納得した?」

「あ、うん。ごめんね。一人で不安になっちゃって……」


 結局、わかったのは碧と雪花が寮にいないということだけだった。勢いでここまで来て、紅太郎に助け船を出してもらったのが申し訳ない。


「まぁ先輩たちは実家に帰ってるみたいだな。既読がつかないのは心配だけど、先生には連絡してるだろうし……俺たちは連絡あるまで待つしかないんじゃない?」

「うん、そうだよね。ありがとう! ほんとに助かった。さっきの人にも迷惑かけちゃった」


 いつも冷静に考える前に行動して、周りを振り回してしまう。ひよりはそんな自分が心底嫌だった。


「俺からも会長には連絡してみるよ。カメラも返さなきゃだし」


 紅太郎の優しいフォローが、今は余計に居たたまれなかった。



 

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