第15話
病室のベッドで身を起こした
「じいちゃん」
「おー星斗、来たか」
紅太郎は対面する二人の邪魔にならないようカーテンの後ろに控えていた。
「わざわざ遠くからすまんなぁ。たいした怪我でもないのに」
「ううん。母さんも心配してた。友だちも一緒に来てるんだけど……紅太郎?」
星斗に呼ばれて、慌てて前に進み出る。身内でもないのに病室に入るのが初めてで、落ち着かなかった。
「は、はじめまして!」
「君が紅太郎君か。星斗がいつも世話になってると聞いてるよ。ほら、そんなところにいないでこっちに座りなさい」
その口調には訛りがなかった。紅太郎はもともと星斗の祖父が長く東京にいたという車内での話を思い出していた。促されるままにパイプ椅子に腰かけると、ベッドの上で身をよじって何かしようとしている。
「じいちゃん、俺がやるよ」
「ああ、すまんな」
ベッド脇にあるポットからお茶を入れようとしてくれたらしい。星斗と紅太郎は二人して紙コップにティーバッグを入れると三人分の湯を注いだ。星斗の祖父は引き出しから見舞いにもらったという菓子を出してくれた。
「それで、なんか聞きたいことがあるんだって?」
「うん。今学校の課題で映画を撮ってるんだけど」
星斗が切り出すと、眉間に皺をよせて痛みをこらえるような表情になった。足が痛むのかと慌てて声をかけると首を振られた。
「ああ、大丈夫。星斗がそういう学校に入ったのは麻美から聞いたよ」
「じいちゃんも映画を撮ってたんでしょ?」
親戚の女性から車中で聞いた話を持ち出すと、星斗の祖父は長いため息を吐いた。
「ずいぶん、昔の話だよ」
「教えてくれたらよかったのに……」
紅太郎は小学校の頃から星斗の部屋に積み重なっている無数の古いビデオテープや、映画関連の書籍の類を思い浮かべた。部屋はもともと祖父が書斎として使っていたのを譲り受けたと、いつだったか言っていた。
「教えるようなことは何もないさ。若気の至りで周りにも迷惑をかけたからね。こんなこと言っちゃあなんだが、映画は趣味で見るのが一番だよ」
「俺、今脚本を書いてるんだ。だから将来は映画を撮るよ」
星斗の祖父はお茶を啜ると、しばらく黙って布団の上の一点に目を注いでいた。星斗は何も言わない祖父にじれたように言葉を継ぐ。
「じいちゃんはなにか嫌な思い出があるから映画を離れたの?」
「……なんでそんなことを聞くんだ?」
しわがれた声のトーンが冷えた気がして、紅太郎は星斗を横目で見た。身内とはいえ険悪な空気になっては聞ける話も聞けなくなるのでは、と危惧したからだ。
「だって、俺はじいちゃんから映画の話を聞いたり見たりしたから脚本家になろうって思ったんだ。学校だって紅太郎が引っ越してくるまで全然楽しくなかったけど、将来脚本を書くために必要だと思ったからがんばって通ったし……じいちゃんが映画に携わってたならもっといっぱい話をしたかった」
星斗の口調はいつになく真剣だった。だからこそ紅太郎も横から口を挟まずにいられない。
「あの、俺は小学生の時からしか知らないけど……映画や脚本に関しては星斗、ほんとに真剣で……ずっと脚本も書いてるし」
「そんなことはわかってる」
静かに遮られた。威圧的、とまではいかなかったが紅太郎は思わず姿勢を正した。雨がいつの間にか止んで、病室の大きな窓から西日が差し込んでいる。
「あらー、なーに三人で黙りこくって! おじさんに説教でもされた?」
その時、後ろから明るい声がした。途中で電話がかかってきて席を外した親戚の女性が戻ってきたのだ。紅太郎はほっとして肩の力を抜いた。
「説教なんかしとらん」
「えーそう? こないだもせっかくおばさん連れて来たのに喧嘩しとったろう」
「しとらん。あれはなぁ……」
親戚の女性が登場した途端に場の空気が明るくなった。星斗の祖父は急に言い訳がましく語尾を濁した。
「せっかく遠くから来てくれたのにねぇ? 聞きたいことは聞いた? もう面会時間過ぎてるから聞くなら早くねぇ。それからおじさん、あさっては兄さんが来るけんの」
まったく意に介さない様子で手に持った荷物を棚にしまっている。紅太郎が時計を確認するといつの間にか結構な時間が過ぎていた。
「じいちゃん、俺が小さい頃に見せてくれたビデオ覚えてる?」
「あぁ? なんのビデオだ」
「ホームビデオ。じいちゃんが撮ってくれたやつだよ。俺とか姉ちゃんたちが小さい頃の……」
「ああ、それなら家に置いてっただろう」
親戚の女性が荷物をしまい終わって、星斗の話が終わるのを待っていた。星斗はだんだんと早口になる。
「うん。でも一本ないんだ。俺が小学一年生で初めて運動会に出た時のやつだけ。母さんに聞いても知らないって」
「わからんなぁ。古いテープだからもしかしたら引っ越しの時に別の荷物に紛れたかもしれんが……それがどうかしたのか?」
紅太郎も星斗が何を言いたいのかわからなかった。ただ、星斗がここへ来る前に繰り返しビデオテープを再生していたのは知っている。
──なら、どうしてはっきり聞かないんだろ……。
事情を全部話してしまったほうが早い気がするのだが、星斗はあえて核心に触れないようにしている。その理由が気になった。
「映画で使いたいところがあって、どうしても必要なんだ。どこへやったか覚えてない?」
「覚えとらんなぁ。あるとしたら、昔集めていたフィルムやなんかと一緒になってるだろうが……」
「探してもいい?」
「ああ、別に構わないが。明日には帰るんだろう?」
「うん」
「ばあさんに電話しておくよ。まぁないだろうが、おまえは昔から言い出したら聞かんからな。やるだけやってみたらいい」
星斗の祖父は根負けしたように言った。
親戚の女性は話が一段落したとみるや、二人を追い立てるように病室から外へ出した。
「じゃあね、おじさん。また来るから」
「おう、気をつけて帰れよ。星斗と……紅太郎君もありがとう」
紅太郎は帰り際、なんとなく病室をもう一度振り返った。西日に照らされたベッドの上で星斗の祖父はぼんやりと窓の外を眺めていた。
***
星斗は家に着くと、祖母への挨拶もそこそこに祖父が映画関係の荷物をしまってあるという屋根裏部屋に入ってしまった。
「こっちへ帰った時にしまったきりだから、埃だらけだと思うけどねぇ」
星斗の祖母が心配そうに、屋根裏に続く階段を見上げながら言った。平屋の日本家屋の構造が珍しくて、紅太郎はわくわくするのを抑えられない。
しばらくすると、天井に空いた四角い穴から星斗が顔を出した。頭の上に埃がついている。
「汚いでしょうー?」
「うん。でも大丈夫、ばあちゃんは休んでていいよ」
「俺も上がっていい?」
紅太郎がしびれを切らして問いかけると、星斗は頷いて顔を引っ込めた。
「あと一時間くらいで夕飯にするけんの。早めに降りて風呂に入っといで」
「はい! ありがとうございます!」
星斗の祖母は事情は聞いているものの、あまりピンと来てないようで首を傾げながら去っていった。紅太郎ははやる気持ちを抑えて、暗い階段を上る。
「まじで汚いからスリッパはいたほうがいいぞ」
「おーすげぇ! 屋根裏ってこんななってんだ」
太い木が何本かむき出しで通った屋根の下を、屈んで歩く。スリッパを履いていてもじゃりじゃりと細かい砂を踏む音がした。
星斗は突き当たりに積んであるダンボールを開けて中を探っている。
「カメラ持ってきたか?」
「あ!」
問われて、途中からそっくり存在を忘れていることに気づいた。
「荷物の中か?」
「取ってくる」
急いで再び階段を降りると、置きっぱなしにしてあった荷物の中からハンディカメラを引っ張り出した。スイッチを入れて階段を上るところから撮っておく。
「ていうか、病院に着いてからまったく撮ってないんだけど……大丈夫かな」
「あー……まぁレコーダーで音声だけはとってあるから」
星斗が探し終わったダンボールを床に下ろすと、小さな灯りの中でもわかるくらい埃が舞った。
「紅太郎はそっち探してくれ」
「え、ボイスレコーダーなんか持ってたのか? ていうかとっていいか聞いたのかよ」
「スマホでとれるだろ。聞いてないよ、別に使うと決まったわけじゃないし」
「おいおい……」
いつの間にそんなことをしていたのか。他の人が側にいたので問わずにいた疑問が、堰を切ったように口からこぼれ出た。
「そもそもなんでこんなとこまで来て運動会のビデオテープなんか探してるんだよ」
「俺の運動会の映像、見たくないのか?」
「え? いや見たいけど……ってそうじゃなくて」
紅太郎が知らない星斗の映像が見たいか見たくないかでいえばそれは見たいが──と考えて反射的に返事をしてから、カメラを降ろす。
星斗はこちらを見てにやりと笑った。
「冗談だよ」
「……そういうの、よくないと思う」
紅太郎は自分の恋心がもてあそばれた気がして、腕を組むと星斗を睨んだ。星斗はバツが悪そうに両手を上げる。
「ごめんごめん。まぁそれはさておき、じいちゃんのホームビデオはただのホームビデオじゃないんだ。小さい時はわからなかったけど、映画を撮ってたって聞いて納得したよ」
「どういうこと?」
さておかれたのは気にくわないが、ホームビデオの謎には興味をひかれた。いずれ仕返ししてやると心に決めて、今は星斗の話を聞くことにする。
「ここじゃ再生できないから説明がめんどくさい。とりあえずビデオ探してくれ。早くしないとばあちゃんが呼びにくる」
「わかったよ。夜には絶対説明してもらうからな!」
紅太郎は腕まくりして、星斗の後ろに積んである埃まみれのダンボールに手を掛けた。
***
午後八時、風呂と夕食を済ませた星斗と紅太郎は許可をもらって星斗の祖父が普段使っている部屋にいた。
「なんもないな」
「ばあちゃんはテレビデオがあるって言ってたけど……」
てっきり星斗と同じく本や映画の類が雑多に積みあがっているかと思われた部屋は拍子抜けするほど簡素だった。箪笥とマッサージチェアがあるだけで、デスクすらない。
「お、あったあった」
箪笥の陰に隠れるように古いテレビデオは置かれてあった。
「映るかな?」
結局、件のビデオテープは星斗が開けた三つ目のダンボールから見つかった。タイトルには手書きで『琴音10歳、南8歳、星斗6歳』とだけ書いてあった。
「映るは映るだろうけど……」
星斗は抜かれていた電源ケーブルを繋ぐと、ビデオを入れて再生ボタンを押した。途端に小さな画面に荒い映像が映る。
「あ!」
紅太郎は思わず声を上げる。懐かしい小学校の運動場だった。映像が荒いのでずいぶん昔のように見えるが記憶にはっきりと残っていた。
「おーやばい、懐かしー」
画面の中からは当時流行っていた音楽とともに、人の雑多な声が聞こえてくる。
「あ、星斗のお母さんじゃん。なんか今と違うな」
「そうか?」
今よりも若いのは当然として、雰囲気が暗い気がするのはビデオテープに映っているせいなのか、髪型が違うせいなのか。
「ていうか、俺らの頃ってまだビデオだったっけ?」」
「うん。2000年代の初めの頃はまだビデオテープに撮るのが主流だった。そこからDVD、HDD、メモリーカードって乱立時代になる。ソニーからハンディカムが出たのは85年だけど、じいちゃんはずっと……」
星斗はテレビ画面から目を離さずに、紅太郎にはわからないカメラの歴史を滔々と説明し始める。紅太郎は聞き流しながら、引っ越してくる前の学校の映像を不思議な気持ちで眺めていた。
カメラは姉たちの入場行進を映したあと、かけっこの順番を待っている幼い星斗と他の小学生たちに切り替わった。
「星斗じゃん!」
思わず隣に並んだ肩を掴んで揺さぶるが、星斗は食い入るように画面を見つめていて反応がない。
小学一年生の星斗は紅太郎が最初に会った時よりあどけなく、緊張した面持ちでスタート地点に並ぼうとしている。癖毛の黒髪と芯が強そうな瞳は今と変わらなかった。
「違う」
「あ、こけた! やばい、泣きそう……え?」
映像では派手に転んだ星斗が泣くかと思いきや、立ち上がって走り出そうとしているところだった。カメラはその瞬間を間近で捉えている。『星斗! がんばれ!』という星斗の父らしき声も入っていた。
紅太郎は迫力のあるシーンと、小さい星斗ががんばる姿にちょっと泣きそうになった。それで、大きな星斗がつぶやいた言葉の意味がよくわからなかった。
「違うってなにが?」
「俺が見たやつじゃない」
星斗はテレビに近づいて、早送りのボタンを押したり離したりを繰り返した。
「やっぱり違う……」
「だから何が違うんだよ」
「俺が小さい時にじいちゃんと一緒に見たやつは見出しとか画角が妙に凝ってて映画みたいだったんだ。こんな普通なホームビデオ風じゃなくて。そこに一緒に入ってた十分くらいの映像があって、俺はてっきり旅行の時とかに撮った余りの映像かと思ってたんだけど……それがあの例の塔だったんだ」
紅太郎は星斗に説明されてもしばらくどういうことか理解できなかった。その間、星斗はテープを最後まで早送りで再生してため息をついた。
「やっぱり映ってないな……」
「ってことは、星斗はそれが記憶に残ってたから脚本に登場させたってこと?」
「そう。俺はそのころ、カメラを固定して静止画みたいにして撮る方法に興味があって」
「え、小学生一年生とかだよな?」
紅太郎と出会った時、星斗はすでに脚本めいたものを書いていたからよくよく考えると頷ける話ではあった。
「うん。それでその映像も建物の前でずっと喋ってるのを撮ってて。じいちゃんは途中で寝落ちとかしてたんだけど、その映像が面白くて巻き戻して繰り返し見てたんだ」
「そっか……それで記憶に焼きついてたってことか!」
やっと合点のいった紅太郎は思わず声が大きくなった。すぐに振り向いた星斗に人差し指を口元に立てられた。
「ごめんごめん。てことは、星斗のじいちゃんが学校に行って撮ったってことだよな」
慌てて声をひそめて、星斗に聞く。なんだか話がややこしくなってきた。
「トリス学園の創立は十年前。俺が小学校に上がった同じ時期に撮ったと仮定すると、ぎりぎり学校が建つか建たないかくらいだと思う。それを確認する意味でももう一度同じ映像が見たかったんだけど……」
「このビデオにも入ってない、か。でもそれって星斗のじいちゃんに直接聞いちゃだめなのか? 撮った本人に聞けばより詳しくわかるじゃん」
星斗は課題に使いたいと妙に遠まわしに聞いていたが、事情を説明して話を聞いた方が早いように思える。
「なんて言うんだよ。あの建物で事故があって呪われてるらしいんだけど何か知ってる、とでも?」
「まぁそれはな……でも、全部言わなくても星斗と一緒に見た映像が何かくらいは、ダメかな」
うーん、と星斗は唸った。
「じいちゃんは何か知っててわざと隠してる気がするんだ」
「え?」
「なんで途中の一本だけ家になかったのか不思議だった。でも、今日病院でじいちゃんの態度をみてると何か隠してるとしか思えない」
引っ越しのどさくさに紛れたらありそうだが、身近に接してきた星斗が言うならそうなのだろう。それで、わざと遠まわしに聞いたのか。
「でも、なにを隠すんだ? その映像にそんなまずいものが映ってたのか?」
「それなんだよな……」
星斗は腕を組んで考え込んでいる。まだ答えには至ってないらしい。ビデオさえ見つかれば事態が前進すると考えていたが、そう都合よくは運ばなかった。
「星斗のじいちゃんが何か隠してるとして、会長の言ってた日記とは関係あるのかな? 星斗が書いた脚本はビデオを何回も見てたから出てきたんだろ?」
「俺の脚本と日記を何回も照らし合わせてみたけど、確かに建物の描写は似通ってる。でも塔のような廃墟ってだけなら偶然似てしまった可能性もあると思わないか? なのになんで会長は俺の脚本を見て、すぐに同じだと思ったんだろう?」
「うーん、ちょうど調べてた時に出てきたから?」
「会長が紅太郎くらい単純ならそうかもしれないけど……」
「おい、どういう意味だよ」
聞き捨てならない紅太郎が星斗の肩を軽くパンチすると、左右に揺れながらも腕組みしたまま考えている。
「会長には同じだと確信する理由があったけど隠してる。それでじいちゃんもなんか隠してる」
頭が痛くなってきた。誰もかれも肝心なところは教えてくれないし、実際に動いている自分たちがばかみたいだ。星斗にもそう言うと、でもと返された。
「みんなが隠すってことは何かあるってことだろ?」
「まーそうかもしれないけど……」
星斗はこの状況を楽しんでいるようだ。
「でも、まじでヤバイ事実に突き当たったらどうすんの」
紅太郎はハンディカメラを構えながら聞く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます