第14話

 月末にみどりが降霊術をするらしい、と伝えた時の星斗ほしとの反応は鈍かった。というよりも、別のことに頭がいっていて上の空だった。


「ひよりさん一人じゃ心配だから俺は行くけど」

「ああ……俺も行く」


 星斗はさっきから部屋の隅に積んだビデオテープをデッキに入れては早回しで再生し、また取り出して入れるということを繰り返している。今どき珍しい光景も、紅太郎こうたろうにとっては見慣れたものだった。


「まだなんか気になることがあんの?」


 合宿以降、星斗は自身が書いた脚本を読み返しては記憶を辿るという作業を続けている。雪花の祖父が書いた日記との不思議な一致がどこから来たのか、調査に協力するといっても手掛かりはそれしかなかったからだ。


「人の脳は欠陥だらけだ」


 星斗はただでさえ癖毛でまとまらない髪をかき回しながら、片手で次のテープを手に取った。


「でも全部ひっくり返して探しても見当たらなかったんだろ?」


 だからこそ、祖父母の隠居先にまで出向くことになったのだ。星斗は昔から一つのことに取り掛かるとなかなか抜け出せない。紅太郎は散々確認したのだから祖父母宅に出向くまで脚本でも書いたほうがいいのでは、と言いたかった。


「どこかに見落としがあるかもしれない」

「脚本は?」


 星斗は猫背で画面をのぞき込んでいてこっちを見る気配もない。遠まわしに言って通じる相手ではなかった。


「ああ……そうだ。紅太郎はカメラ係な」

「ん?」


 部屋の入り口に立ったまま、紅太郎は聞き返す。星斗は手だけで背後の机を指し示した。いつも原稿を書いているパソコンの横に、見慣れない機材が置いてある。


「会長に借りた」

「どういうこと?」


 話が全然見えてこない。たぶん星斗の中では辻褄が合っているのだろうが、あまりにも説明不足だった。

 しかし、わからないなりに嫌な予感がする。机の前まで行き、機材のひとつを手に取った。使ったことはないが、おそらく一眼レフカメラだ。ハンディカメラもある。


「来週までに使い方覚えてくれ」

「おーい」


 最初から説明してくれる気はないらしい。紅太郎はカメラを持ったまま、星斗のとなりに腰を下ろすとリモコンを奪って一時停止ボタンを押した。


「なんだよ」


 作業の邪魔が入って星斗は露骨に不機嫌な声を出した。


「俺はエスパーじゃないんだぞ。これをどうするのか、ちゃんと説明してくれ」

「あ?」


 さすがに存在をないがしろにされすぎている。そう思ったら、いつもより苛立った口調になってしまった。やっとこっちを向いた星斗としばらく無言で見つめ合う。


 ──……ん?


 妙な間があったあと、星斗はふいっと視線を逸らした。


「悪い。集中してたから……」

「あ、ああ。ごめん、俺も話がわからなくてイライラして」


 謝られると調子が狂う。星斗も居心地の悪さを感じたのか、早口に喋り始めた。


「えーと、今回はプロットを作らずにやってみようと思って。こんな面白い題材を使わない手はないだろ? ドキュメンタリー形式にして、あとからプロットを作るんだ。そしたら一石二鳥だろ」


 要は調査そのものを脚本にしてしまうということらしい。そんなことができるのかは疑問だったが、確かに時間の短縮にはなりそうだ。ひよりもそこを不安がっていた。


「でも、そんなことして会長は大丈夫なのか?」


 部外者に漏らすな、というのが約束だったはずだ。


「もちろん、あとから大幅に脚色するし設定も変える。あくまで下地になるような制作にする条件で許可してもらった。機材も貸してくれたしな」


 星斗が知らぬ間に精力的に動いていたのに驚いた。脚本に関してはいつも真剣だから、それがいい風に働いたのかもしれない。


「だから、降霊術でもなんでもござれだ」


 確かに降霊術をする川瀬碧なんて、カメラ映えするのは間違いなかった。星斗はオカルトを馬鹿にするような人間ではないとは思っていたが、それ以上に野心家だった。


「俺がインタビューをして紅太郎がカメラを回す」


 星斗はきっぱりとそう宣言すると、再びビデオテープを再生する作業に戻った。



 ***



 紅太郎はトリス学園の一角にある人工芝のグラウンドの前にいた。

 準備会会長の雪花は会がない日の放課後、ラクロス部の部長として活動しているとひよりに聞いたからだ。


「もうすぐ抜けられるから、ちょっと待ってて」


 いつも制服をきっちり着て眼鏡をかけた雪花が、スポーティな練習着でラクロスに励んでいる姿は新鮮だった。

 司令塔ポジションらしく、声を張って部員たちに指示を出している。

 

 しばらく待っていると、練習がキリのいいところまで終わったらしい。集合した部員たちに声をかけたあと、雪花は紅太郎がいるグラウンドの外のベンチに向かって歩いてきた。


「ごめんなさい。待たせて」

「あ、いえ! 俺の方こそすみません、部活中に……」


 アイガードを外して首にかけた雪花は凛々しくて、準備会で見るのとは別の人のようだ。紅太郎は慌てて持ってきた一眼レフカメラとビデオカメラを荷物から出した。


「烏丸君がカメラを貸してくれって来た時、使い方を教えようか聞いたらどうにかするからいいって言われたの」

「結局、二度手間になって申し訳ないです……」

「あなたも苦労性ね」


 雪花は笑ってカメラを受け取ると、いつも通りてきぱきと使い方を説明してくれた。


「じゃあ今のやり方で、一度撮ってみて」

「はい」


 紅太郎は一眼レフカメラを持つと自然と目の前にいる雪花を映していた。ファインダー越しの雪花は切れ長の目を細めて困ったような顔をしている。


「私だけじゃなくて、他にも動かして」

「あ、はい!」


 カメラをグラウンドのほうへ動かすと、ラクロスの練習をしている部員たちが映った。楽しそうに笑う声がここまで届いてくる。部長が見ていてもリラックスしているということはいい環境なのだろう。


「じゃあ遠くにある被写体にズームしてみましょうか」

「っす!」


 しばらく迷ったあと、知らない生徒にズームするのは気が引けたので遠くを飛んでいた鳥に焦点を当てられないか試した。しかし、動きが早くて難しい。


「一眼レフだと手ブレもあるから、ビデオカメラのほうがいいかもしれない。画質は劣るけど、長時間撮影もできるし。メインはビデオカメラにして、映像のクオリティを上げたい場面だけ一眼レフを使ってみたら?」

「はー……なるほど」


 その後、ビデオカメラでも撮影の練習をしてなんとかひと通り使えるようになった。雪花の教え方は簡潔で的を射ていて、紅太郎にも理解しやすかった。


「ほんと、ありがとうございます! 助かりました……!」

「いいえ、私がお願いしたから。なにか収穫があったらすぐに教えてほしい」

「はい! それはもちろん。あ、そういえば川瀬先輩が降霊術をやるって聞きました」

「ああ、うん。そのことだけど口外は……」


 首を伸ばして辺りを気にする雪花に、紅太郎は声を落として言った。


「してませんよ! 約束の日の夜に学校に来ればいいんですよね?」

「ええ。駐車場から学校の敷地内に入る業者用の通用門を開けておくから、そこから入ってほしい」

「わかりました。でも、なんでわざわざ休みの日の夜にやるんですか?」


 雪花の権限があれば大抵のことはできるようだが、それにしても夜の学校に忍び込んでまでやることなのだろうか。真面目に会長や部長として活動する雪花を見ていると、ますます疑問はつのった。


「誰にも邪魔されないようにやりたいの。何が起こってもいいように」


 静かに微笑んで、雪花は言った。濃い睫毛のかかった目が伏せられて、地面に落ちる。


「それに……雰囲気がでるでしょ」

「本気で言ってます?」


 雪花は顔を上げて「冗談よ」と笑う。笑っているのに有無を言わせぬ雰囲気があって、紅太郎はそれ以上つっこんで聞けなかった。

 ただ、これだけはと念を押す。


「その……俺はできるだけのことはするんで、星斗の脚本をよろしくお願いします」

「益子君はどうして烏丸君のためにそこまでするの?」


 雪花はグラウンドに目を移したまま尋ねた。

 急に問われて、咄嗟に答えられない。好きだからと言うのはさすがに恥ずかしかった。


「なんか、あいつが……星斗がコケるとこ見たくなくて」

「ふふ、そうなの?」

「あんまよくない、とは思うんですけど……」


 ぽろっと出てしまった言葉に、紅太郎自身が戸惑っていた。


「自分でそう思ってるならいいんじゃない? 本人にぶつけなければ」

「うーん……いや、すみません! ていうか、部活の邪魔なんでそろそろ失礼します」


 カメラの使い方を聞いたのだから、さっさと引き上げるべきだった。雪花は途中で無理に抜けてきているのだ。


「さっき撮ったテスト映像は消しておいてね」


 最後に雪花はそう念押しすると、グラウンドで練習する部員たちのもとに帰っていった。



 ***



 星斗の祖父母が住んでいる家は山陰地方の山深い土地にあった。祖母の親世代が住んでいた土地を譲り受けたらしい。


「行ったことあるのか?」

「ない」


 脚本以外に興味を示さない星斗に代わって、紅太郎は星斗の母から祖父母の家までの行き方を教わった。


「急に見舞いに行くって言うからなにがあったのかと思ったら……まぁ学校の課題っていうならねぇ。何かあったらすぐに連絡してね。本当は私も行けたらよかったんだけど……」


 星斗の祖父は足の手術が無事に終わって入院しているが、面倒は近くに住んでいる親戚が見てくれているらしい。


「だから、こっちに住むように言ったのに」


 いつも朗らかな星斗の母がめずらしくため息交じりにこぼした。祖父母の子どもたちは東京近郊に住んでいるのに、反対を押し切って田舎に隠居したことが未だに不可解だと言う。


「やっぱり生まれ育ったところに帰りたくなるのかなぁ」


 ひとりごとのようにつぶやいた言葉がなぜか紅太郎の頭に残った。


 それから一週間ほど経った週末、二人は機材や土産の入った荷物を抱えて空港に立っていた。星斗が事前にアプリか何かで手続きを済ませてくれたので順調に保安検査場を通過し、搭乗口までたどり着いた。


「やば! 飛行機めっちゃいる」

「空港だからな」


 紅太郎は飛行機に乗ったことがなかった。興奮してスマホを構える紅太郎に対して、星斗は待合の椅子に座ってノートパソコンの充電をはじめた。


「冷めてるなー、飛行機乗ったことあんの?」


 そういえば、妙に落ち着いているし道順なども迷っていなかった。方向音痴のくせに。


「うん」

「え、でも行ったことないんだろ?」

「小さい頃、たまに星を見に行ってた。父さんと」

「あ、そっか。好きだもんな」


 紅太郎は小学生の時、星斗の父に連れられて夜の展望台まで行ったことを思い出した。まさか飛行機に乗って見に行くほどだったとは。

 星斗から北海道や岩手で見た星の話を聞いているうちに時間は過ぎてアナウンスが流れた。


『お待たせしました。……便にご搭乗のお客様は順番に乗り継ぎバスへお進みください』


 搭乗口から外へ出ると空は曇っていた。紅太郎は折り畳み傘をスーツケースに入れてしまったことを少し後悔する。



 ***



 現地に着くと、案の定雨が降っていた。

 空港には星斗の親戚が車で迎えにきて、先に病院まで連れて行ってくれることになっている。

 赤ん坊の時にしか会っていないという星斗がわかるか不安だったが、到着口ですぐに手を振っている五十代くらいの女性に気がついた。


「星斗君! 大きくなったねぇ。飛行機、大丈夫だった?」

「……はい」


 星斗は人見知りを発揮していたが、女性のほうは親しげな様子を崩さなかった。紅太郎の方にもすぐに目を向けて話しかけてくる。


「こちらがお友だちね。わざわざ遠くからありがとうねぇ」

「いえ、こちらこそ。今日はよろしくお願いします」


 紅太郎が会釈すると「まぁ礼儀正しい」と感心された。見舞いを口実に調査にきているのでなんとなく後ろめたい。


「これ、母さんから……」

「あらーわざわざ悪いねぇ。あさちゃんも元気にしてる?」


 星斗の母親の名前は麻美あさみといった。親戚の女性は星斗の母の従姉妹にあたる人で幼い頃はよく遊んでいたと話した。


「母も来たかったと言ってました」

「東京は遠いからねぇ」


 そんな話をしながら車に乗り込むと、一行は星斗の祖父が入院している病院へ向かった。紅太郎が車中でハンディカメラを回していいか聞くと、快く承諾してくれた。一応、事情は星斗の母から通っているようだ。


「映画を撮ってるんだって? 色んな学校があるもんだねぇ」


 星斗が何も話そうとしないので、紅太郎がひと通りそれっぽく捏造した学校の課題を説明する。親戚は疑う様子もなくミラー越しに何度も頷いていた。


「叔父さんの血かねって母に言ったら眉を寄せてしかめっ面してたわ。まだ叔母さんを東京に連れてったこと恨んでるのかね」


 急に言われて紅太郎が面食らっていると、それまで黙っていた星斗が身を乗り出してきた。


「それって、どういうこと?」

「ええ? まぁもう昔の話だけどね。うちの母は姉妹仲がよかったから、叔母さんが結婚して東京へ嫁ぐってなった時に反対したらしいのよ。その時、叔父さんは映画を撮ったりしてて生活も不安定だったし……」

「え? じいちゃんって映画撮ってたの?」

「そうよー。あれ、聞いてない?」


 雪花の祖父も映画を撮っていて、カメラマンが事故で亡くなったと日記に書いてあった。突然既視感のあるエピソードが飛び出して、紅太郎は思わずカメラを構えなおした。


「じいちゃんはただの映画好きだと思ってた」

「若い頃は随分熱中してたみたいよ。さすがに子どもが三人産まれてからは、きっぱり足を洗ったみたいだけど……気になるなら今日聞いてみるといいわ」


 身を乗り出していた星斗が振り返る。紅太郎と目を合わせると、静かに頷いた。着いて早々に雪花の祖父の日記に繋がる何かが浮上するかもしれない。

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