第13話
──先輩、いるかな?
──でも、ちょっと怖いな。あんな話聞いたあとだから……。
──会長はなんで今更使おうと思ったんだろ……。
ひよりはそんなことを思いながら、ドアに貼られた『映画準備会』という白い紙を見つめる。達筆な雪花の文字だった。
「碧先輩……? いますかー?」
そっとドアを開けて中に入る。途端にひんやりとした空気がひよりを包んだ。まだ外は三十度を超える暑さなのに、ずいぶん涼しく感じる。
後ろ手に閉めたドアノブから数歩足を進めて辺りを見回した。むき出しの石造りを残した空間に椅子と机が重ねて置いてある。夏休み前に掃除した時のままだった。
「誰もいない、か」
碧とは待ち合わせているわけでもなんでもない。いつも──それこそ出会った時から急に現れて消える人だった。
「……ひより?」
「わっ!」
後ろから声を掛けられて、大きな声が出た。驚いて後ろを振り向くと制服姿の碧が立っていた。今日はスカートにノーネクタイの長そでシャツを腕まくりしている。
「やっぱひよりだった。違う人かと思った」
「え? あ、髪……」
「かわいいアレンジ。すごい」
碧に会ったのは合宿が最後だった。夏休みの間、ひよりは何度か連絡をしたが返事は返ってこなかった。
久しぶりに会う実物の碧に褒められて、顔が熱くなる。
「か、簡単ですよ! 先輩も髪伸びましたね」
「うん。最近、うっとうしくて」
切ろうかな、と碧は髪を一筋つまんで言った。癖のないストレートがさらりと落ちる。きらきらした金色の髪を切ってしまうのはもったいない気がしたが、碧ならきっと短くても似合うだろう。
「先輩、どこにいたんですか?」
「上」
目線につられて高い天井を見上げてから首を傾げる。この建物は塔のような形をしていて、入ると吹き抜けになっている。明り取りの窓はあるものの、階段などは見当たらなかった。
「……上って?」
「ひよりならいいか」
碧はそうつぶやくと、手招きして入り口の方へ戻っていく。そのまま外に出るのかと思ったら、ふっと姿が消えてしまった。
「先輩⁉」
「こっちこっち」
暗闇から手が伸びてきて、ひよりの腕を掴んだ。ぎょっとしながらも確かに碧の声がする。考える暇もないまま、気がつくと柔らかい何かをくぐっていた。
「え? あ、暗幕?」
「暗いから気をつけて」
目が慣れると細長い廊下にいるとわかる。碧に促されるままについて行くと、突き当りに石造りの階段があった。
「こっち側にも入り口があったなんて、気づかなかったです」
「隠してあるから」
碧が言うように暗幕の目隠しがなければもっとすぐに気づいたのだろうが、それにしても奇妙だった。廊下には窓もなくただ壁に沿って伸びている。まるで舞台裏にでも入るような心地がした。
「この階段はどこに通じているんですか?」
「ついてくればわかる」
階段は登るにつれて緩いカーブを描いていた。ひよりは壁に手を添えて上りながら、塔を囲むように伸びる螺旋階段が頭に思い浮かんだ。碧の足が止まって先が開けると、その予想はほぼ当たっていた。
「わぁ! すごい」
階段から続く廊下がバルコニーのように塔の内側に張り出している。その入り口にひよりと碧は立っていた。柵から顔を出して下を見ると、準備会で使っている椅子や机があった。結構高い。
「こんな風になってたんだ!」
「そう。下からは見えないようになってる」
暗い階段からは想像できないほど、その場所は明るかった。回廊のような足場に沿って窓が複数あり外からの光が十分に差し込んでいる。
「今はまだ暑いけど……冬はあったかい」
碧が近くの窓を開け放つと、涼しい風が吹き込んできた。
「私と雪花しか知らない、秘密基地」
「わたしが入ってよかったんですか?」
ひよりは突然の出来事に今更ながら戸惑っていた。これまで碧のことを一途に追いかけてきたからこそ、雪花との間には特別な絆があると知っていた。
「昔、そこの窓から飛び降りたことがあるんだ。小学生くらいの時」
「え⁉ 危なくないですか?」
窓の外はゆうに三、四階くらいの高さがある。ここから飛び降りるなんて、いくら小学生とはいえ無謀すぎる。
「うん。足から落ちたからまだよかったけど……何針か縫った」
碧は靴下をずらして、傷跡をひよりに見せた。足首にかすかな跡が残っているだけでほっとしたが、当時は相当な大けがだっただろう。
「なんでそんなこと……」
「あんま覚えてないんだ。雪花も一緒で、すごく泣いてた」
その時、強い風が吹き込んで碧の金髪を舞い上げた。碧がいつもつけている翡翠のピアスが日差し受けて耳元できらりと輝く。映画のワンシーンのような光景にひよりは目を細めた。
「でも落ちたあと、不思議なことがあって」
「は、はい……!」
見惚れていたことを悟られないように、急いで答える。
「降霊術って知ってる?」
「え? その、霊とかを憑依させる……?」
B級ホラーの胡散臭い霊媒師の様子が咄嗟に思い浮かんだ。大げさな演技で見る分には楽しいが、実際にいると相当怪しいはずだ。
碧は窓の外に目をやったまま言葉を続けた。
「うん。できるんだ、私」
「え? 先輩が?」
「そう」
今日は驚いてばかりだ。碧はゆっくりと目線をひよりに向けると静かに微笑んで言った。
「今度やるから、来てくれる?」
***
ひよりが碧と出会ったのは地元の公立中学の中庭だった。
とっくに始業時間は過ぎていて、授業中の校内に人の姿はなかった。その日は無理に学校まで来てはみたものの教室へ向かう足が動かなくて、うろうろしていた。
──どうしよう……。やっぱり帰ろうかな。
中学に入って半年ほどが過ぎてから、徐々に休みがちになった。仲がよかったはずの友だちに急に無視されるようになったのがきっかけだ。クラスでも目立つタイプだった友だちの影響は強く、すぐに周りからも距離を置かれるようになった。
──お母さんとお姉ちゃんが心配するから来てみたけど、無理っぽい……。
朝起きた時はいつになく元気で行けそうな気がしたのに、学校が近づくにつれてそんな予感は消し飛んでしまった。登校中の生徒を見るだけでお腹が痛くなってきた。
「……帰ろう」
校舎の陰に座り込んで登校時間をやり過ごしたひよりは人気のなくなった中庭を横切っていくことにした。万が一、先生に見つかったら教室まで連れていかれるかもしれない。
中庭なら木々が目隠しになって校門まで人目につかずに辿りつけそうだ。そう思って、細い小道に足を踏み入れた時だった。すぐ先にあるパーゴラの下に誰かがいた。
派手な髪色を見て、ひよりはすぐに踵を返そうとした。しかし、足音で先に気がついた相手と目が合ってしまった。
「誰?」
「す、すみません……!」
一瞬、見惚れてしまう。曇って肌寒くなり始めた季節の陰鬱な中庭の中で、その人のまわりだけ光の粒子に包まれているようだった。
ひよりは我に返ると、急いで通り過ぎようとした。
「ちょっと待って」
「え⁉」
「今、暇?」
暇、と言われれば暇だがただでさえ授業をサボっているのにこんなところでゆっくりしていいのだろうか。パーカーの下から見えるスカートは同じ制服に見えた。
「は、はい!」
それなのに、ひよりは反射的にそう答えていた。
「よかった。読み合せの相手してくれない? これ、付箋のところから……線引いてないところ読むだけでいいから」
そう言って、持っている冊子を渡された。きれいな青色の冊子で表紙にタイトルが大きく記載されている。
「土曜ドラマって……」
「うん。今度出る」
パラパラとめくると空白の上段の下にセリフのようなものが書かれている。ひよりが初めて脚本を目にした瞬間だった。
「え⁉ これって、本物ですか? でもうち演劇部ないし……うそ⁉」
「しー……、ほんとは部外者に見せちゃだめなんだ」
ひよりは以前クラスで聞いたことのある噂話を思い出した。二年生にかつて子役をしていた生徒がいるらしいが、ほとんど学校には来ていないこと。見た目はめちゃくちゃいいけど、グレてやばい薬に手を出したとか、精神を病んでしまったとか──。
「川瀬みどり……さん?」
「あ、知ってたんだ?」
すっと名前が出てきたのは仲が良かったクラスメイトがたびたび口にしていたからだ。
「は、はい。子役をされてたって……」
さすがに他の噂話を聞かせるわけにはいかない。
「うん。今度そのドラマで活動再開。ゲスト回だけだけど」
「へぇ……すごい!」
その割に台本に記されているマーカーの箇所は多かった。きっと期待されているのだろう。予期せぬ出会いにひよりの胸は高鳴った。
「出席日数足りないから来たんだけど練習もしなくちゃいけなくて……でも、相手ががいないといまいち感覚が掴めないから」
「わ、わたしなんかでいいんですか⁉」
「なんかって? 他に人いないし、君もサボりでしょ?」
確かに授業中に他の生徒を探すのは難しいだろうし、制服のひよりがサボっているように見えるのも向こうからしたら自然なことだった。
「付き合ってよ。えーと名前……」
「ひよりです。
「ひより、じゃあこのページからよろしく」
本物の
指定された箇所から台詞を読み上げると、碧の表情がさっと変わる。それは不思議な感覚だった。演じる、というよりまるで別の人間になったような──。
「ありがとう。明日も来てくれる?」
夢中でセリフを追っているうちに、気がつくと授業の終わるチャイムが鳴っていた。目の前に穏やかに微笑む碧の姿があった。
「は、はい! わたしでよければ……」
それから数週間、ひよりは学校の中庭で碧の読み合せに付き合うようになった。
***
「降霊術?」
ひよりは碧から聞いた話を
案の定、紅太郎も首を捻っていた。
「それって本気で言ってんのかなぁ……」
「少なくとも先輩は本気っぽかったけど」
「でもなぁ。降霊術って……」
「紅太郎君はそういうの、あんまり信じてない?」
「いや、どっちかというとあってほしいとは思ってるけど」
ひよりは紅太郎が持っているカゴに油や調味料などを入れていく。スーパーのポイント五倍デーでかさばる物をまとめ買いしたい時、以前は姉と分担するしかなかった。
「そうなんだ。お化けとか?」
「そうそう。俺は霊感とか全くないけど小学校の時に、友だちに見えるやついて。あ、
「それはわかる」
「最初はみんな信じてなかったんだけど、学校の近くに廃病院があってさ。そこで肝試ししようってなった時にそいつがめちゃくちゃ怖がって入れなくて」
「あー……でも、それって単に怖がりってだけじゃなくて?」
「俺もそう思ったんだけど、なんか尋常じゃない怖がり方なんだよ。服の裾掴んで離してくれなくてさ。結局、置いてくのもなんだから俺とそいつだけ残ったんだけど」
紅太郎のエピソードは目に浮かぶようだった。短い付き合いのなかでも、頼まれたら断れない面倒見の良さは実感していたからだ。ひよりもずいぶん助けられている。
「しばらくして、中で叫び声がしたと思ったらみんな走って出てきて……マジで出たって。しかも一人怪我してて」
「えー……やば」
「なんかガラスが急に割れたとかで。そっからちょっと信じてる」
スーパーをぐるっと一周して、ひと通りの買い物を終えてレジに並ぶ。最近野菜がどれも高くてうんざりしていたが、今日は根菜が安くなっていたし肉類も特売で買えた。
「ありがとう! まじで助かった」
「いやいや、こんくらいならいつでも」
紅太郎が家まで運んでくれると言うので、その言葉に甘えることにする。スーパーから家までは十分ほどだった。
「それで、碧先輩が降霊術を使って死んだカメラマンの霊を呼び出すから来てほしいって」
「すごい話だな」
「うん……星斗君とか、来てくれるかなぁ?」
碧から星斗と紅太郎にも声を掛けるように頼まれていた。二つ返事で引き受けたものの、ひよりさえもどういう事態になるのか不安だった。
しかも、わざわざ休日の夜に学校に忍び込むというのだ。
「言ってはみるよ。あ、そうだ。その件で今度星斗のじいちゃんとばあちゃんちに行くことになったんだけど……」
「え? なんで?」
紅太郎は両手に持ったエコバッグを持ち直した。さすがに重すぎただろうか。ひよりが片方を持とうとすると、立ち止まった。
「ごめん、ちょっとだけ」
「もうすぐだから、ここでいいよ」
どうやら重いわけではなく、ずれてくる通学バッグの紐を直したかっただけらしい。まだ話の途中だったこともあり立ち話になった。
「星斗の脚本になんでそっくりな塔の廃墟が登場するのかって話。あれ、ずっと考えてたらしいんだけど、もしかしたら昔じいさんとホームビデオかなんか見てた時の記憶が残ってたんじゃないかって……」
「え! そうなんだ!」
思わず大きな声が出て、そばを通り過ぎた人がこちらを向く。ひよりは慌てて声を落とした。
「大発見じゃん!」
事の発端で、碧と雪花が嘘までついて突き止めようとしていたことだった。
「でも本人もいまいち自信がないらしくて……しかも星斗のじいちゃん、今入院中なんだ」
「そうなんだ……」
「まぁ命に関わるわけではないらしいんだけど……それで、見舞いついでに行ってみようって。うまくいけば話を聞いたり、ビデオテープが見つかるかもしれないし」
「なるほど。それは絶対行ったほうがいいね」
できれば降霊術をやる日までに星斗と紅太郎が事実を突き止めてくれるといい。碧に無理はさせたくなかった。
「まー収穫があるかわかんないけど……星斗はもう行く気でいるから」
「あは! じゃあ紅太郎君も行かないとだね」
ひよりが言うと、紅太郎は両手に持ったエコバッグごと肩をすくめた。
「なにか見つかるといいね」
「うん。その降霊術はいつやるんだっけ?」
ひよりは碧に指定された日時を紅太郎に伝えた。
「月末か。星斗のじいちゃんちに行くのはその前だから……何かわかったらすぐにひよりさんにも連絡するよ」
話し込んでいるうちに辺りが暗くなってきた。ひよりはここでいい、と何度も言ったが紅太郎は家の前まで荷物を運んでから帰っていった。
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