第12話

 夏休み明けは晴天だった。始業式のあとは午前中に簡単なレクリエーションがあっただけで、午後の校内に人の姿は少ない。


 そんな中、紅太郎こうたろうとひよりは渡り廊下の柵にもたれて話していた。二人とも校舎の陰に入って涼んでいる。日差しはまだまだ暑いが、風は少し秋の気配をはらんでいた。


「じゃあ告白は保留されたってこと?」

「いやーその辺がよくわかんなくて……」


 波乱含みの合宿がとりあえず終わって、星斗ほしとは無事に準備会に残れることになった。条件付きではあったが──今日はそのことについて改めて話をするために三人で集まることにしていた。


 しかし、今二人がしているのは準備会とは関係ないただの恋バナである。星斗が来ないうちにしか話せないので仕方ない。紅太郎は合宿のあとに星斗に告白したことをひよりに打ち明けた。


「合宿のあとは会ってなかったの?」

「いや、会ってた。なんなら三日に一回は」

「え? どういうこと?」


 ひよりに怪訝そうに尋ねられて、紅太郎はどう答えたものか迷った。


「えーと……なんか合宿の時は色々大変だったし、帰りのバスも爆睡してて話せなくて」

「うんうん」

「帰りは星斗の親の車だったし……」


 つまり、紅太郎は告白の返事を聞く機会を逸したのだ。星斗が熱を出したのに加えて、川瀬かわせみどりが急遽交代した発表会もありそれどころではなくなってしまった。


「えー……でも、さすがにスルーはなくない?」

「や、そういうわけでもなくて……」


 合宿が終わってから数日、紅太郎は星斗の家に行くのを控えていた。体調はすっかり戻ったと親伝いに聞いていたが気まずかったからだ。

 勢いで気持ちを伝えてしまったものの、その後について考えていなかった自分に嫌気がさした。


 ──夏休み明け、どうしよう……。


 しかし、紅太郎の心配は次の日に星斗の来訪によってあっさり破られた。


「おい、ちょっとこれ読んでくれ」


 ノックと同時に部屋のドアが開いて星斗が入ってきた時は驚きすぎて固まってしまった。両家の間に鍵はないも同然なのでいつものことなのだが、さすがにしばらく来ないだろうと思っていた。


「なんだよ。腹でも壊したのか?」

「え? いや、もう具合いいのか?」


 星斗は不機嫌にああと返事をすると、床に座った。紅太郎の部屋は一応一人部屋だがあまり広くはない。いつもなら隣に座るのだが告白してしまった今、変に意識してしまってできなかった。

 紅太郎は咄嗟にベッドの端に寄って星斗から距離をとった。


「こないだの合宿で……」


 露骨に避けているにも関わらず星斗が気にしている様子はなかった。ほっとした矢先にそう話を切り出されて、紅太郎は再び身を固くする。


「脚本に出てくる建物の件だけど……部屋にある映画や小説を片っ端から調べてみたけど、それらしいものはなかった」

「あ、ああー……そっちね」


 星斗が言っているのは発表のあとに雪花せつかと碧に頼まれた別件の話だ。紅太郎は知らないうちにかいた汗がクーラーで冷えるのを感じた。


「そっちってなんだよ? ていうか、なんでそんな離れたところにいるんだ?」


 手に持った紙の束を置いて、星斗がこちらに身を乗り出してきた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待てって。おい、それ以上近づくな」

「はぁ? 近づかないと喋れないだろ」


 喋れないとか喋るとかそういう問題ではないのだ。というか、今まで星斗とどのくらい距離を詰めて話していたのか、意識するとわからなくなった。わかるのは頬がやけに熱いことくらいだ。


「……やっぱり熱でもあるんじゃないのか? 具合悪いなら帰るけど」


 常にない紅太郎の様子にさすがの星斗も気づいたようだ。無理に近づくのをやめて、再びもとの位置に腰をおろした。口調に不審さよりも心配する気配を感じ取って、紅太郎は首を振った。


「いや、ごめん。違うんだ……その、合宿で俺が言ったことって覚えてる?」


 あまりにも星斗が普段通りで不安になった。もしかして熱のせいで見た夢かなにかだと思われているのではないか。あるいはどうでもよすぎて忘れてしまったとか。


 ──それはちょっと……いや、かなり悲しい。


 聞いてしまってから、紅太郎は怖くなった。タイミングが悪かったとはいえ気持ちに嘘はない。振られるならまだいいが、これっぽっちも気に留められなかったとするとショックだった。


「俺のことが好きとか言ってたな」

「あ、覚えてはいたんだ……」

「勝手に逃げたあげく深夜に知らない土地で迷って探させた原因を忘れるわけないだろ」

「う、すみませんでした……」


 不用意な行動で星斗が倒れてしまったことに罪悪感はあった。紅太郎が即座に謝ると盛大なため息をつかれる。


「別にそれはもういい。で?」

「……え?」


 続きを促されて、紅太郎は首を傾げた。星斗は苛立ったように声を上げる。


「だから、覚えてたから何なんだよ? オマエが話し始めたんだろうが」

「いやいやいや、だから……」


 なんとなく嫌な予感がする。紅太郎が告白した相手はあの星斗なのだ。小学生の時に同じ学年の女子を泣かせて職員室で怒られたことを今更ながら思い出した。


「えーと……一般的には告白されたら返事とかするもんなんだけど、ドラマとか映画で見たことないか?」

「あんまり恋愛物は見ないからな」


 星斗は真顔で言った。確かに今まで見せてもらった脚本のなかにラブストーリーはなかった。


「そうだよな。まぁでもそうなんだよ」

「あー……つまり、お前も返事が欲しいってこと?」

「そりゃあ、まぁ……」


 なんだろう。こういう話になった時の照れとかが全くなく、紅太郎は尋問でも受けている気になってきた。


「好きとかよくわからないけど、近くにいてくれないと困る」


 しかし、続けて発せられた星斗の言葉に紅太郎は胸がぎゅっとなる。


 ──こいつ、ずるいな……。


 たぶん星斗にとっては脚本を読んでくれる唯一の身近な存在だから、というくらいの意味だった。それでも紅太郎は嬉しかった。


「え、それで終わり?」


 話し終わると、ひよりは一拍の間を空けてから聞いてきた。ポケットから取り出したオイルで爪の手入れをしている。


「うん」

「紅太郎君、めちゃくちゃチョロくない?」

「え⁉ そうかな……」


 近くにはいるよ、と紅太郎が答えると告白の話は終わってしまった。次の瞬間には星斗が脚本の話をし始めて、いつも通りの空気感が戻った。


「そうだよー。せっかく勇気出して告白までしたのにさぁ」

「でも、俺もぎくしゃくしたいわけじゃないし……」

「まーわたしが言えることじゃないけど」


 ひよりは背をあずけている渡り廊下の柵に手を乗せると、伸びをした。振り仰いだ屋上に人の姿はない。夏休み明け、ひよりはいつも三つ編みにしていた髪を下ろして器用にアレンジしていた。

 クラスメイトの前で声を偽るのもやめたらしい。


「わたし、中学の頃急に仲良かった友だちに無視されるようになって、一時期学校に行けなかったんだ。声が変とか、髪型が変とか陰でこそこそ言われて……教室に入れなくなっちゃって」

「うん」


 紅太郎はひよりが教室の前で足を止めていたことを思い出した。声を偽っていたのも、そういう経緯があったのだ。


「その時は碧先輩が助けてくれたから、先輩を追っかけてトリスに入って……でも、また同じような目に合うんじゃないかって怖くて。だけど、合宿で先輩や紅太郎君と舞台に立ったり、烏丸君も態度はちょっとアレだけど真剣に脚本に向き合ってて……わたしも負けてらんないなって思って。まずは自分を偽るのやめよって思ったんだよね」


 吹っ切れたように言ったひよりの声は明るかった。紅太郎は「そっか」とだけ答える。風に揺れる後れ毛とアレンジされた髪型を見て、妹が背伸びして読んでいる雑誌の表紙を思い出した。


「ひよりさんが今してる髪型って俺でもできるかな?」

「え! 紅太郎君が?」

「いや、俺は長さ的に無理じゃん! じゃなくて、妹がさ、なんか同じようなのやりたがってて……」

「あー! そっか、紅太郎君妹いるんだっけ? これなら簡単だからすぐできるよー」


 ひよりとスマホで動画を共有している時、後ろから引き戸の開く音がした。


「……遅くなった」


 相変わらず顔色の悪い星斗がそこに立っていた。



 ***

 


 薄暗い階段の踊り場に引っ込んだ三人は顔を突き合わせて、書類を覗き込んでいた。


「よみづら……なんて書いてあんの?」

「すぐに読むのは無理だな」


 ひよりから渡されたのは雪花の祖父の日記の一部をコピーしたものだった。旧仮名遣いの上に癖のある書体で紅太郎は早々に読むのを放棄した。


「下に会長が書き起こしてくれた訳と解説もあるよ」

「おーさすが」


 確かに最後の数枚はご丁寧に現代語訳された文章と、注釈がついていた。


「だいたい合宿で聞いた話と一緒だな」


 星斗はさっと目を通すと、隣にいる紅太郎に書類をパスした。特に目新しい情報はなさそうだった。


「うん。でも確か写真が……」

「ん? あ、これか」


 クリップでまとめられた最後についていた写真を星斗は見逃していた。紅太郎から差し出されたそれを覗き込むとモノクロの風景が写っていた。

 奇妙な塔の前に何人かの人物が立っている写真だ。


「これが会長のお祖父さんと映画仲間みたい。それでこの塔が準備会の建物だね。あんま同じ感じしないけど」

「さすがに改修くらいはしてるだろ」

「でも、びっくりだよね。まさかそんな物騒な事件が起こった場所を準備会の拠点に使うなんて」


 トリス学園が立っている場所は雪花の祖父が映画の撮影に使っていた土地であり、日記によると準備会で使っている塔で人一人が亡くなった。そのあとも奇妙な出来事が連続して起こったため、撮影を中止して供養した場所だった。

 星斗はこういった事情を合宿で雪花から聞いた。


「そもそもなんで供養までした場所に学校なんて建てたのか謎だよな」


 紅太郎が言う事ももっともだった。そのせいで、星斗はこんな面倒な調査に付き合う羽目になってしまった。


「学校が建てられたのは事故からずいぶん後になってからだから……その間になにかあったのかな?」


 ひよりが写真を眺めながらぽつりとつぶやく。


「さぁな。なんにしろ、このじいさんが何か隠してるのは確かなんだろ。それをあの二人は突き止めたい。理由はわからないけど」

「うん」


 合宿で言われたことを再確認するために星斗は繰り返した。


「会長のじいさんの日記をもとに二人は過去の出来事について調べていた。その最中に俺が提出した脚本に日記とそっくりな建物が出てきた。内容がまずかったので一旦理由をつけて脚本をボツにしたが、まだ俺がなにか知ってるんじゃないかと疑って椿原つばはらに調べるように頼んだ」

「まぁ、そうだね……」


 よくわからないがそういうことらしい。肝心のまずい内容について会長である雪花は口を噤んだまま、一切語ろうとしなかった。


「でも協力して真相にたどり着けば、俺は来年の卒業制作の脚本を書けるわけだ」

「会長はそう言ってたけど……でも二年になるまでに調査もやって、脚本も仕上げるなんてほんとにできるのかなぁ」


 ひよりは不安げに眉を寄せた。

 雪花は調査に協力すること、また内容を口外しないことを条件に来年の脚本を任せると約束した。そんなことができるのか、と問うとできると答えた。


「ここだけの話、今までもある程度は絞られていたから出来レースのようなものなの。夢を壊すようで申し訳ないけど……それに比べれば早くに決めて発表してしまったほうが親切とも言える。ただ、指名されたということはそれだけみんなを納得させるものをつくらないといけないわけだからプレッシャーは相当なものだけど」


 星斗としては複雑な心境だった。結果として、紅太郎の言った通りツテというものの重要さを思い知らされることになった。


「でも、そんなのは業界に入ったら序の口よ。本当に映画監督や脚本家を目指すなら使えるものはなんでも使っていくしかない。その上で相手を実力で黙らせるの」


 その覚悟があるなら、と雪花は言った。

 正直、馬鹿馬鹿しくてやっていられなかった。別に品行方正にこだわるわけではなかったが、最初くらいは脚本の力だけで勝負したかったところだ。


「順番が逆になるだけよ。この学校から業界に入るなら、最低でも卒業制作を手掛けなければならない。その点であなたは運がいい」


 謝りたいというのはただの建前で、雪花は最初から星斗が断れないと踏んできていた。


「できるっていうか、やるしかない」


 退路はすでに断たれている。ひよりは星斗の答えを聞いて、長いため息を吐いた。


「別に嫌なら俺ひとりでやるからお前らは好きにしろよ」


 雪花からは形ばかりの猶予期間を与えられていた。それが夏休み明けまでだった。星斗の心はすでに決まっていたが、紅太郎とひよりがどうするつもりなのかは聞いていない。


「わたしは当然やるよ。碧先輩が困ってるんだもん。先輩も烏丸君ひとりで脚本書くより、わたしがアドバイスしたほうがいいって言ってたし」

「はぁ? 余計なお世話だ」


 それは本心だったが、安心している自分がいて星斗は不可解だった。夏休み明けのひよりはどこか雰囲気が変わったようで、前より堂々としている。


「わざわざ独りよがりにならないように協力してあげようって言ってるのに……ね? 紅太郎君」

「お、おう……」

「紅太郎君はもちろんやるでしょ?」


 ひよりはすでに決定しているような口調で言った。星斗だって協力してくれる人間がいるならそれに越したことはない。日記と脚本の奇妙な一致に関しては夏休みを使って調べてみたがわからないままだった。

 脚本は書くしかないにしても、調査には人手がいる。


「まぁ、暇だしな」


 紅太郎はちらっと星斗に目を移しながら答えた。


「ありがとう」

「え、なんて?」


 小さな声でなるべく早く言ったのに、ひよりがこれ見よがしに聞き返してくる。わざとなら相当性格が悪い。星斗は息を思いっきり吸い込んだ。


「あ・り・が・と・う!」


 今までで一番大きな声でやけくそ気味に叫んだ。

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